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■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2016.1.25 ■■■

帝国中央樹木

考古学的に、中国の養蚕は少なくとも5,000年前には存在していたことがわかっている。甲骨文字に桑や蚕だけでなく、帛という製品名まで登場する。
当然ながら、詩経國風【風】「七月」[→]にも。
 女執懿筐,遵彼微行,爰求柔桑。
   ・・・女麗しき籠を執り,彼の細い道に沿って行き,桑の柔葉を求める。
 蠶月條桑,取彼斧
   ・・・蚕月は桑の小枝の季,彼の方形斧を取る.
 以伐遠揚,猗彼女桑。
   ・・・以て遠くにとんでいる枝を伐採.ア〜、彼の女桑なり.

倭人伝でも絹生産が指摘されており、早くに養蚕技術が伝えられていたということのようだ。わざわざ記載しているところを見ると、日本列島産絹は上質ということであろう。

この桑だが、植物学では無花果系の木とされている。
  [→桑科を整理してみた (20140903)]
西洋民衆的分類はとうも"実"の観点からのようで、"ベリー類"になる。
  [→Berryの定義とは (20140330)]
しかし、東アジアではあくまでも蚕の食葉用樹木としての位置付け。もっとも、「南山有桑,北山有楊。」とされているから、編む材料に利用できる木でもあった訳だが。
  [→詩経の山の樹木を眺めて (20151211)]
後、珠江デルタでは桑基魚塘的産業が大繁栄。おそらく、南の養蚕用桑栽培は大前提なのであろう。
この表現でもわかるように、桑樹の用途は広いから、古代人にとってはイの一番に重要な樹木とされておかしくない。
 養蚕
 食用果実
 桑実酒
 漢方(桑椹,桑葉,桑枝,根皮)
 桑葉茶
 タパ布・桑皮紙
 桑染
 各種用材(琵琶,箸,仏壇,細工小物,等々)
  幹に空洞が多いので構造材用木材には向かない。

実際、三星堆出土品から、神樹の存在が確認されており、それは扶桑とされる。・・・
 太陽東出扶桑、日中建木、西帰若木 @山海経

中華帝国は地上では東西南北と中原といった世界観があり、これに天信仰が付随する訳だから、扶桑は扶木と桑木をまとめたものと考えた方がよさそうである。

 扶木在陽州、日之所
 建木在都廣、・・・蓋天地之中也。
 若木在建木西、・・・其華照下地。 
@淮南子/墜形訓

これも、今一歩のところがある。多分、東「扶木」、西「若木」、南「建木」、北「_木」、中央「桑木」だったのだろう。

これほど重要な信仰対象の樹木はなさそうだし、日本版の略本暦第二十ニ候小満初候は「蚕起食桑」だというのに、日本列島では、宗教儀式に用いられる主要材として扱われてはいない。せいぜいが、桑弓程度。それも他の材の弓ほどの価値があるとはされていないのが不思議である。
だが、考えてみれば、桑樹は御蚕様の神樹ともいえる訳で、ヒトが直接信仰する対象としては外れたということではなかろうか。もしも、桑樹の靈を尊崇するなら、桑染め衣類が重視されてしかるべきなのであるから。
おそらく、尊崇対象は桑葉ではなく、お蚕様なのであろう。従って、宮中での御養蚕行事が連綿と続いているのであろう。大伴家持が御下賜品である養蚕用の玉箒に命の息吹を頂戴したとの歌を詠っているが、おそらく、それは桑葉の精霊ではなく、それを得た蚕の生命力が体に入って来たということなのだろう。
 初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒[古事記#4493]

萬葉集の歌も、桑そのものを詠んだのではなく、養蚕歌なのであろう。布に蚕の生命力が宿っているという感覚が底流にありそう。
 たらちねの母がそのなる桑すらに願へば衣に着るといふものを[古事記#1357]
 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも[古事記#3350]

尚、柘を詠んだ歌もある。漢語では、桑とは別種の針桑を指すようだ。桑同様の用途のようだが、養蚕用としては廃れているから、今一歩の質なのだろう。
日本の古語であるツミがこの字に当てられている場合は山桑と見なすべきらしいが、素人にはその辺りはよくわからない。
 いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも [古事記#387]
 神なび山に 明けくれば 柘のさ枝に [古事記#1937]

現在の栽培用桑の元は、山桑/日本桑、魯桑、白桑/唐山桑/真桑の三種だとされる。[東京日日新聞 1936.5.5@神戸大学附属図書館 代替名は筆者が勝手に付与]
地域の特性に合わせて、3種が交配されたということのようだ。尚、南島には、島桑/鷄桑があるが、山桑と同類と見ることもできるようだ。
もともとは山岳湿地域棲息植物のようだから、ヒトの手が入らない限りそうそう広がる筈もなく、ヒトが持ち出すことで地域毎に細かな種が生まれていそう。(八丈桑,小笠原桑,・・・,西蔵桑/長果,蒙古桑,西域桑/黒桑)なにせ、養蚕に適した卵と桑の種を魏國から西域の王女が密輸したとの話を描いた絵が出土している位で。

おそらく、日本にも大陸から大量に桑樹が持ち込まれたのだと思われる。そう思うのは三陸海岸の漁港に「唐桑」という地名があるから。
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