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【古都散策方法 京都-その18】 寒い京で漱石を想う。
〜 文芸作品から京都の象徴を選ぶと何になるのだろうか。 〜
散策と言いながら、頭でっかちになりかねない話をしてきたが、少し趣を変えて文芸の視点で京都を眺めてみようか。
ただ、平城京という短期間の都の思い出を凝縮できる奈良とは違い、京都は余りに長い歴史なので焦点を定めるのが難しい。単純な紀行記は全く馴染まない土地と言ってよいだろう。
小生にしてみれば、京都といえば、どうしても梶井基次郎になってしまう。しかし、その世界はすでに消え去ってしまった。
考えてみれば、小生にしても、檸檬という文字は多分もう書けない。レモンのイメージも京都ではなく、御茶ノ水の画翠だ。自分の頭からも、消え行く情景なのである。
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“「檸檬」時代の終焉”、“[続] ” (20040819,20090216)
そうなると、「金閣寺」としたくなるところだが、どんなものか。この作品の場合、京都の必然性は無さそうな感じがするし。
それよりは、三島の遺作「豊饒の海」シリーズの方が、余程京都らしいかも。京都には直接関係ない話だが、ドロドロとした中味と、自虐嗜好は、京都の一面を見ているような気がするのである。
それなら何か。
赤い文字の「ぜんざい」提灯はどうだろう。
〜 漱石の感覚は今でも通用するかも。 〜
おそらく、「ぜんざい」提灯などと言われても、知る人ぞ知るといったところだろう。漱石の「京に着ける夕」(→
青空文庫)の象徴的一物だが、小生も最近まで知らなかった。
普通、京都と漱石といえば「虞美人草」(→
青空文庫)である。 他の作品と違って、つまらぬという読後感しかないので、読み返す気にはならないが、日露戦争から朝鮮併合に至る頃の時代感覚を踏まえれば、こういった小説を書きたくなった気持ちもわからないでもないが。
それよりは、同じく新聞連載された紀行随筆、「京に着ける夕」の方が余程面白い。
これから書くぞという構えた姿勢が、小説ではマイナスに、随筆はプラスに働いたというところでは。
この原稿を下鴨神社が購入したようだが慧眼。
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“夏目漱石自筆原稿『京に着ける夕』 公開中” 下鴨神社 [2009年]
それに、この紀行文、いかにも漱石臭いところが良い。も逆に嫌いな人には耐え難いだろう、それがさらに素晴らしい点。張り詰めた緊張感で満ちているということでもあるからだ。
なにせ、“汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて”で始まるのだ。続けて、“余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱっと吐いて、暗い国へ轟と去った。”とくる。凄い表現である。
京都駅のその昔のプラットフォームでの、汽車の風景描写と言えばそれだけの話だが、この随筆、亡き正岡子規の思い出の記。冒頭からその感情が溢れ出してくるのである。
亡友と同じく、文芸で生きていく初日は京都ではなければならなかったということでもある。淋しく、寒いところだが、そこは通らねばならぬということ。
その象徴が、赤い文字の「ぜんざい」提灯。それは先に逝ってしまった友、子規の墓標でもある。
そして、京都での、“寂しさ”と“寒さ”で身が引きしまる訳だ。その結果、自然と“凛”となるのだが、それは漱石の決意あってこそ。 ・・・ 春寒の 社頭に鶴を 夢みけり
この紀行に沿った歩き方もある。
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“二百里の春を貫いて” 鉄道で行く旅 (著者不明)
しかし、キリリとした皮膚感覚で、漱石の緊張感を味わいたいなら、北山杉や竹が屹立している地域を冬の朝に歩くことをお勧めしたい。
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