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【古都散策方法 京都-その38】 体質を見抜く。[信心のエネルギー]
〜 徒然草を読むと、仏教信仰とは建前的な思想に映らないでもない。 〜
死者の供養は仏様にすがるしかないと考えていると見た話を書いたが、もう一言付け加えておきたい。
兼好の書きっぷりが面白いので、ここは是非とも引いておかねばなるまい。・・・ (222段)
Q(東二乗院): 「亡者の追善には、何事か勝利多き」
A(山科の乗願房): 「光明真言・宝篋印陀羅尼」
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Q(弟子達):「いかにかくは申し給ひけるぞ。」
Q-Clitics(弟子):「念仏に勝る事候ふまじとは!」
A(乗願房):「我が宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、
正しく、称名を追福に修して巨益あるべしと説ける経文を見及ばねば、
何に見えたるぞと重ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、
本経の確かなるにつきて、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。 」
信仰の実態は、かなりイデオロギー的なものだったことがわかる。
兼好法師のエスプリ表現と言えないこともないが、結構本音かも。
神社出身でもあるから、経典宗教とは肌合いが合わなかったこともありそうだが。
それはともかく、古来の神に惹かれているのは間違いなさそうだ。
“斎宮の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。”
なんといっても圧巻は、弔いを連想させるからか、お経とか仏様という言葉を嫌っていたこと。その社会状況を正直に語っている。
“「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙」など言ふなるもをかし。”
[経典は色紙だったようである. 仏像は厨子に入れ仏間に置くものということか.]
兼好にとっては、神社参拝は心に染みるものだったが、仏像にお経をあげるイデオロギー色濃厚な世界はどうも馴染めなかったようだ。出家していながら、この感覚。
“すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。
もの古りたる森のけしきもたゞならぬに、
玉垣しわたして、榊に木綿懸けたるなど、
いみじからぬかは。” (24段)
まあ、知識人らしさ紛々といったところ。
→ 「徒然草の魅力[1]」 (2007年9月19日)
〜 兼好は、伏見稲荷大社は古来の感覚と違ったものを感じていたかも。 〜
・・・と言いたかったのではない。これは枕。
兼好がお勧めする神社一覧を見たかっただけ。それは以下の通り。 (24段)
京都外は4社が選ばれている。出雲が無いのは、恣意的に削ったというより、視野に入っていないだけでは。まあ、そんなものといった印象の選択である。
桜井: 三輪(大神神社)
伊勢: 伊勢
奈良: 春日
大阪: 住吉
引き続いて、京都。入って当然と思われる有名な神社として、まずは4社。
古社: 松尾、賀茂(賀茂別雷神社)
洛北: 貴布禰(貴船神社)
出身: 吉田
さあ、そこでだ。・・・
Q: 「他に2社あるが、それは?」
A(現代常識): 「伏見と石清水」
A(兼好): 「大原野と梅宮」
[素人的には大原野神社は春日大社の長岡京版. 梅宮大社は橘氏の氏神の古社.]
大原野は納得。八幡宮はどう見ても戦いの神だから、外されるのはわからないでもない。しかし、伏見ではなくて梅宮というのは、意外な感じがしないか。酒の神だから入れておかねばという話としても、伏見稲荷落選は驚き。
“なまめかしき”神社ではないと見なされたのは間違いあるまい。
このリストを、清少納言作と比較すると面白い。
“神は松尾。
八幡、この國の帝にておはしましけんこそいとめでたけれ。
行幸などに、なぎの花の御輿に奉るなど、いとめでたし。
大原野。賀茂は更なり。
稻荷。春日いとめでたく覺えさせ給ふ。佐保殿などいふ名さへをかし。
平野はいたづらなる屋ありしを、「ここは何する所ぞ」と問ひしかば、「神輿宿」といひしもめでたし。 嚴籬に蔦などの多くかかり て、紅葉のいろ/\ありし、秋にはあへずと、 貫之が歌おもひ出でられて、つく%\と久しうたたれたりし。
水分神いとをかし。” (枕草子287段 Japanese Text Initiative)
実際、伏見稲荷に2月午の日の暁に詣で、山歩きにへばってしまったりしている。
その際、信仰心篤い人をみかけたことが印象的だったようであり、ここは、是非にも訪れるべき信仰の地だったことがわかる。
(枕草子158段)
清少納言流なら、春めいた季節の山詣でに感じ入るといったところなのではなかろうか。
その後、勢力が衰微していたとしても、無視できる神社とも思えまい。
兼好にはなにかこだわりがあったのではないか。
〜 注目すべきは信仰のエネルギー。 〜
と言うことで、お稲荷さんを少し検討してみよう。ご存知のように、ビルの片隅や屋上、工場や屋敷内、町の一角で小さなお社をよく見かける。 それだけではない。商店、事務所、家屋内にも鎮座していたりする。従って、日本全国でその数、無数と言ってよいのでは。
そこまで信仰が広がっているわりには、伏見稲荷神社に関してわかっていることは僅か。
・渡来人の秦氏が天皇の命をうけて開いた。
・ご祭神は古事記に登場する穀物神の宇迦之御魂大神である。
(詳細不明. 丹波国から勧請した伊勢の豊宇気毘売神も食物神.)
そして謎だらけ。書いてみると、まさに何故の連発。・・・
・何故、穀物神を深草の地に勧請しなければいけないのか。
・何故、鳥居や旗で徹底的に朱色を目立たせる必要があるのか。
・何故、鳥居を数多く並べるのか。
・何故、開いた当初から「初午」の日を重視するのか。
・何故、白狐が神のお遣いなのか。
・何故、お狐様に、稲とは無縁の油揚を供えるのか。
・何故、神社の杉の木を切ってよいのか。
・何故、空海の東寺に材木を提供したのか。(神社の杜は伐採禁止ではないのか。)
・何故、密教はご祭神をインドの人肉を食べる夜叉神としたり、狐を菩薩とみなしたのか。
・何故、お山の土を使った愉快な人形(伏見人形)を作るのか。(招き猫や福助もここからでは?)
・何故、様々な神の名を冠する塚(磐)を沢山乱雑に祀っているのか。
・何故、護符に蛇が登場するのか。
(宝珠,杉葉と鍵を銜えた蛇と米俵,白/黒狐)
・そして、以上のようなことが、何故、穀物神とつながるのか。
〜伏見稲荷大社の稲作に係わる行事〜 |
-時期- | -行事- | -内容- |
1月5日 | 大山祭 | 注連張 |
1月12日 | (奉射祭) | 豊凶占 |
2月初午 | 初午大祭 | 鎮座日 |
4月12日 | 水口播種祭 | 苗代 |
4月20日頃 | 5月3日 | 神幸祭 神輿巡幸 還幸祭 | 旅所巡幸 氏子区域 本殿奉遷 |
6月10日 | 田植祭 | 御田舞 |
10月25日 | 抜穂祭 | 刈取 |
11月8日 | 火焚祭 | 稲藁焼 御神楽 |
11月23日 | 新嘗祭 | |
http://inari.jp/c_sairei/c01.html |
ただし、こと稲作の祭礼については、雨乞、害虫・暴風雨除を覗けば、揃っている。だが、それだからといって本家本元と見なす訳にはいくまい。
一つは、稲に特化している点。昔の農業はモノカルチャーではないから、収穫祭は、瑞饋祭(北野天満宮)や猪子祭(護王神社)のように米以外も含まれるものが普通だろう。
もう一つは、山から神が降りて又還るという稲作祭祀自体、全国どこの農村にもあったからだ。稲荷神社をよく見かけるのは、そのような農村地帯ではなく、武家屋敷を始めとした非農業部門の施設内や、町なか。(鋤臼の仕事始や牛関連の儀式も無く、都会的な宗教に映る。)
口伝の秘儀が多い世界だし、呪術が風俗的慣習化しただけかも知れぬから、詳細が解明できないのは当然かも知れぬが、説得力ある推測位できそうに思うが、何かタブーでもあるのだろうか。
まあ、素直に眺めれば、特段の理屈がある訳ではなく、信者が様々な要素を取り込んだ結果に過ぎないとなるが。
もともとが、秦氏が外来宗教を大神神社や春日大社の信仰様式に習合させたようだし、それなら、ここはなんでもありとなったか。お上による秩序だった信仰でないので、皆やってきたと見れないこともない。
と言うか、アニミズムからシャーマンの時代の息吹を残しながらも、新しい信仰形態への転換の流れに乗ったのかも。下手をすれば罰が下されかねない恐ろしい神でなく、寛容で親和性がある神ということ。全力を尽くして目標に向かって進むことを神に誓い、ご加護と願望成就を期待する信仰に応えて頂ける神と見なされたのだろう。
「鰯の頭も信心から」というのは、揶揄表現とされているが、実は、そういうことではないかも。つまらないものなら、それはそれで結構ではという強い意志を現しているともいえる。神祇の序列など気にしていられるかといったところ。
→ 「奈良むかし話 “鰯の頭も信心から”」 (C) 奈良デザイン協会
まあ、そんな自発的な多様な信仰を生み出したからこそ、凄まじいエネルギーが湧きあがってきたということだろう。雀の焼き鳥に伏見の清酒で一杯というお店(祢ざめ家,稲福,・・・)がここら辺りの名物というのもわかる気がする。
そうそう、このように見ると、冒頭の話もわかってくる。
雅の世界で遊ぶ清少納言のことだから、山歩き遊び半分での参拝だったろう。そんな気分で訪れて、くたびれてしまったが、信仰の情熱を目にしてビックリということ。
一方、醒めた目で世の中を眺める兼好は、神社は静寂でなければという思いがあり、大衆的熱狂の拠点はとても好きにはなれないのである。
ということで、独断と偏見でまとめれば、・・・。
〜京都の民の体質〜 |
- 1 - |
土着感覚 |
地についた伝統でなければ収まりが悪い。 |
- 2 - |
身分峻別 |
分相応をわきまえない信仰は落ち着かない。 |
- 3 - |
怨念の地 |
権謀術数からくる祟りなどたまったものではない。 |
- 4 - |
縁の伝承 |
親の信仰を粗末には扱う訳にはいくまい。 |
- 5 - |
混沌堅持 |
商売繁盛は皆で謳歌したいもの。 |
- 6 - |
霊と共存 |
この地の霊と共に生きていく。 |
- 7 - |
信心第一 |
信心こそ命。 |
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