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■■■ 中華地政学的山脈の位置 2017.5.4 ■■■

「山海經」山経の地誌は、中華帝国が生まれていく過程を示していると、読むこともできよう。列伝的に語ることで"王朝史"を書き下ろすと考えるなら、さしずめ"風土史"である。時代区分での"最古"は冒頭の山経ということになろう。
古書再編が盛んになった後世、残存文章から想像した絵画を付けたので、奇書として葬り去られていたのが、逆に人気が生まれたのが愉快。それはどうでもよいことだが、このことは山経とは絵画集であったことを意味している。つまり文字発生以前の話の集成の可能性が高いのである。

しかし、山経の構成は、いかにも中華帝国思想に基づいた編纂がなされた地誌の趣。
ただ、残念なことに、山系といういかにも山脈然とした記載になっていても、その現在地がさっぱりわからない。
そこで、少しでも感覚が湧くように、地勢全体観をつかんでおきたい。

西域
 (突厥族)
蒙古高原
(蒙古族)



青蔵
(吐蕃族)
黄土高原
(漢族)
南蛮の地
まず、おさえておくべきは、われわれの常識的な中華帝国思想の東西南北観とはかなり違うという点。
【参考(20101117〜20101130)】
「突厥」 「河西走廊」 「河西走廊[付録]」 「四夷」 「騎馬民族」

右が、その概略図である。
中央は"中原"。黄土高原である。漢族の地としてはいるが、これは人種、生活習慣、言語等で規定される民族ではなく、中華思想を共有し書き言葉として漢字を用いる人達というだけのことだから、注意を要する。
南はもっぱら征服していく文化的後進地であり、東は海人棲息地で関心は相対的に一番低かったと見て良かろう。

新疆・ウイグル蒙古高原


青海
チベット
黄土高原
四川盆地
雲貴高原
中華思想の現代中国ならこれは右図となるだけ。民族ではない「漢族」の国家であり、そこに浮島の如くに少数民族が存在するとの概念。例えば、すでに、満州族は消滅している訳だ。
と言っても、独自文字まで持っていた、外来王朝を樹立した満州を恣意的に捨象した訳ではない。地勢の全体を俯瞰する場合は、 西から東に、「奥内陸域」、「高地中核域」、「中・低地域 + 沿岸帯・島嶼」という4列 で眺めるのが一番的確と考えているだけ。
それが地政学的な図としても通用するのが面白い。

図の北を、東西に渡って地勢をみるとこうなる訳だ。北京〜天津を無視しているように映るが、本来的にはそこらは黄河デルタの北に当たる沿岸部でしかなく、軍事的に意味があるだけで、燕のような満州を抱合した勢力は特別な地域と見なしていなかったと思う。華北、華中、華南という領域設定はかなり歪んだ見方だと思う。

西←
【山岳】

【高地】

【山間】

【中・低地】

【沿岸】
→東
【島嶼】  
パミール
高原

ヒンズークシュ
山脈
西

蒙古
−−−

蒙古
大興
安嶺
山脈
東北
平原
(満州)
朝鮮
半島

(倭)
[日本海]
日本
[太平洋]

黄土
高原
黄河下流
(山東)
黄河
デルタ
渤海

上記の"西域"は、地理上ではステップの道を経てウラル山脈南端につながる地域に当たる筈だが、黄土高原からの入り口である河西回廊〜新疆・ウイグルと同一視するのが、中華帝国の地政学的見方となる。
細かくみれば、こうなるのである。・・・

 
 
 砂漠
蒙古高原
陰山山脈
河套
黄河
オルドス
沙漠
・・・長城・・・
“河西走廊”
・・・・・・長城・・・・・・
 
・・・長城・・・
 
祁連山脈
 
黄土高原 
下流→

陰山山脈(1,000-2,000mHigh)の北側は緩やかな傾斜で蒙古高原、南側は断崖的で黄河が流れオルドスにという構造。東は興安嶺[大興安嶺山脈]で、西は天山山脈系に繋がる賀蘭山脈〜狼山となる。

ところで、その"新疆"という語彙だが、新時代の疆ということだと思われる。
"疆"=土+彊[=弓+[=−x3+田x2]]であるから、3本の山脈の間に2つの田ありで、そこは弓の民の地でもある。
上図の南側も加えれば、4本の山脈による、3地域ありということだが。・・・
アルタイ山脈
ジュンガル盆地
天山山脈(パミール高原[キルギス]〜新疆・ウイグル〜モンゴル高原南東)
タリム盆地(タクラマカン砂漠)
崑崙山脈
  [西端]アムネマチン山脈
  [西端]パミール高原のコングール山脈
  [東部北分脈]祁連山脈-党河南山+阿爾金山脈
  [東部南主脈]阿尼瑪卿山 巴顔喀喇山

青蔵高原(蔵北+青南)
ヒマヤラ山脈

ついでながら、ウイグルについても。・・・
モンゴル系の柔然から独立し、突厥語でまとまった遊牧民達は、あくまでも地域的に分散した勢力の集合体。繁栄したが、東西分裂し、東は唐の傘下に。西は、もともと属していた鉄勒に倒される。そのなかの土拉河北側グループに、韋[=維吾爾/ウイグル]と呼ばれる部族がいた。唐朝が鉄勒を制圧した頃の9部族の主力メンバー。

新疆
ウイグル
蒙古高原


黄土高原
崑崙青海
チベット
四川盆地
雲貴高原
そして、この勢力の南に崑崙の地ありとの発想が強かったようである。いわば右図の具合。

この図の南西域の南境を規定しているヒマヤラ山脈にも触れておこう。・・・
  <東端>
横断山脈(群)・・サルウィン川・メコン川・揚子江[怒江、瀾滄江、金沙江]
  峽山 Qonglai
  大雪山 Daxue
  雀儿山 Chola Shan-沙魯里山 Shaluli Shan
  芒康山 Markam Shan-雲嶺 Yun Ling
  他念他翁山 Taniantawen Shan-怒山 Nu Shan
  伯舒拉嶺 Baxoila Shan-高黎貢山 Gaoligong Shan

  <中央> [北側]青蔵高原
ヒマラヤ山脈
  <西端>
[北側]パミール高原Pamirs
  [東]コングール山脈Kongur
  [西]ザアライ山脈Zaalaiski
[南側]ヒンドゥクシュ山地Hindu KushカラコルムKarakorum

さて、黄土高原と四川盆地の境界だが、南北に長い陝西の中央を東西に貫く秦嶺山脈[2,000〜3,000mHigh]で峠越ルートが古くからあったとの話はすでに西山経のご紹介の項で記載したのでここでは割愛。[→]

要するに、南北を4行に分けている訳で、北から、内陸ステップ系(その北は北方樹林・タイガ地帯ということ。)、黄河水系、揚子江水系、珠江水系としている訳で、その境は分水嶺たる山脈になるのである。蒙古高原-黄土高原-四川盆地-雲貴高原はその見方での4地域であるが、かなりの内陸部であり、標高も高い。
従って、その海側は、丘陵地帯と沿岸地域に2列に分けて眺める必要があろう。
当然のことだが、これらの境は山脈である。・・・
よく知られる南嶺山脈は、東から西に延びており、大-騎田嶺-九嶷山-萌渚嶺-都山-越城嶺-南山という具合に連なっている(1,000-2,000mHigh)
その東北側は揚子江水系の湖南〜江西になり、南側は珠江水系の広西〜広東。上図の四川盆地と雲貴高原の2"行"の境である。梅嶺路、摺嶺路、桂嶺路が山脈越えルート。

ちなみに、内陸高地の東には山脈があり、そこが交流の障壁になっているのは間違いない。例えば、洞庭湖西側には3本の山脈、石門、武陵、雪峰がある。東は江西、西は湖南に連なる山系もある。北から幕阜山-九嶺山-武功山-万洋山-諸広山の山脈構成である。

内陸から、太平洋沿岸まで連続的に繋がっている訳ではなく、台湾に面する福建が完璧な沿岸部という理由は、その西には山岳地が控えているから。内陸部とは地勢的に隔離されているのだ。境は武夷山脈。
河川といっても、日本のような滝のような川ではなく、海に近い訳で、古代の広大なデルタ地帯に住むということは、島嶼生活に近かった可能性もあろう。


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