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魚の話 2009年5月22日 |
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おおつたのは貝の話…面倒だ 好きな車輪と 名付けよう 古墳時代に車輪があるとは思えないが。
沖縄にはいないようである。地理的には、この辺りは3地域に分かれるとはいえ、北部の島だけというのも不可思議だ。天敵(ヒト)が採り尽くしたのか、生存に不適な環境なのかはよくわからぬが。 オオツタノハ貝と言う。大きいタイプの笠貝。(1) → 「かさ貝」(20090515) 見た限りではさほど特殊な形態をしているようには思えないが、この貝殻の加工品が全国の古墳で見つかっている。 どういう訳か南海の貝は特別な魅力があるようだ。 → 「ほら貝」(20090313) → 「ごぼうら貝」(20090403) → 「すいじ貝」(20070427+追記) → 「食べわけ、すみわけのイモガイ」(20080222)
しかも、石(碧玉)、銅/鉄、ガラス(エメラルド色)といった貴重な材料を使っており、ほとんど場合は釧(腕輪)だ。 ただ、流石に、シャコ貝のような大きな貝の模倣品は本土では作らなかったようである。磨いて切断用道具として使う方が合理的だし。素人考えだが。 ところで、オオツタノハ貝模倣品を車輪デザイン腕輪と命名したところから見て、考古学者は貝が由来だったことがわからなかったのだろう。いかに、視野が狭かったがわかる。関心の対象はもっぱら鏡で、腕輪などどうでもよかったのかも。 どんな宗教観で、支配の仕組みがどうなっているか、仮説さえ立てず、鏡が重要と決めつけるのだからからこまったものだ。同じことを繰り返さないようにして欲しいものである。 まさに、他山の石。 それにしても、古代人のビジネス感覚には恐れ入る。これが、日本のモノ作り精神の発祥元かも、 なにせ、高品質なコピー品製造に注力し本家本元の貝製品を駆逐したのだから。 --- 参照 --- (全般の参考) 川西町 島の山古墳 現地説明会資料(1996年5月) http://www.kashikoken.jp/from-site/sima.htm 「石のもとは貝だった…」 山梨県立考古博物館 (2008年9月16日) http://www.pref.yamanashi.jp/kouko-hak/h19event/tacchi20070916.html 忍澤成視: 「2 東千草山遺跡のオオツタノハ製貝輪」 http://www.city.ichihara.chiba.jp/~maibun/isekimore2.htm 佐野大和: 「呪術世界と考古学」 八木書店 1992年 http://books.google.co.jp/books?id=srWeIfDzOdUC&pg=PT153&lpg=PT154&ots=tNXAvKZ9Mm&dq=%E8%B2%9D%E9%87%A7&as_brr=3 (1) http://shell.kwansei.ac.jp/~shell/pic_book/data34/r003313.html (2) 文化遺産オンライン 腕輪[オオツタノハ] http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=12764 車輪石 http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=18817 鍬形石 http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=41508 (機関車車輪の写真) (C) EyesArt, Inc “フリー画像素材 EyesPic” http://eyes-art.com/pic/ 「魚」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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