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2003.9.27
 
 


和食の負け組み…

 4回に渡り、日本の酒/麺市場の動きを眺めてきた。
  ・ 日本酒の没落…
  ・ 焼酎ブーム…
  ・ 10割蕎麦ファン…
  ・ 讃岐うどんの一人勝ち…

 この程度の分析で、大胆な仮説を提起するのは気がひけるが、洞察力を磨くための刺激材料にはなるだろう。思いきって書いてみた。

 といっても、単純な仮説である。
 ・・・食文化の大転換が始まったのではないか。

 顕著な傾向、とは言いきれないが、伝統的な「和」を謳う食文化が負け組み化しているように思えるからだ。
 本来なら、成熟社会では、匠の技術の粋を集めた和食こそが、垂涎の的になる筈なのに、どうも逆なのである。匠の知恵を入れた「食」の魅力が急速に薄れているのだ。

 ・・・と記載しただけでは、余りに抽象的だから、簡単に解説しておこう。

 まずは、匠の技術を生かす「和食」の考え方を纏めてみよう。以下の原則が貫かれているように思える。
 (1) 味と香りを、できる限り薄め、その微妙さを尊ぶ。
 (2) 色を、できる限り淡くし、その無垢な印象を尊ぶ。
 (3) 食感は、できる限り単純化し、その視点からの限界達成努力を尊ぶ。
 (4) できる限り均質化し、混じり物を徹底的に排除する。
 (5) 食に付随するものにも、徹底的にこだわる。

 これは、職人芸を賞賛する、高級割烹料理そのものである。柔らかいものは、極限と思われるまで柔らかく、旬の香りを愉しみたいものは、その香り以外を徹底的に排除する。口に入れば、すぐに消え去るような感じで、抵抗感は全くない食感がよしとされる。灰汁など全く感じないし、本来あった筈の雑味も消される。食する部屋と季節に合わせた、皿やアクセサリーが使われる。そして、余計な部分をカットした、美しい料理が供される。真似できないような、素晴らしい技術といえる。
 これが、伝統的な「和」の粋とされてきた。

 今、この思想が揺らいでいる。

 モノ作り職人を礼賛しすぎてしまったようだ。書き方を変えると、問題点がよくわかる。
 (1) 食材が持つ、旨みや臭みを消して、癖をなくす。
 (2) 材料の特徴が目立たないように工夫する。
 (3) 食べ易い/飲み易い食感を提供する。
 (4) 安定した品質を実現する。
 (5) 見栄え向上を図る。
 こう記載すると、イメージは大きく変わるのではなかろうか。大量生産の工業製品作りにも当てはまる方針だ。このことは、超高級品が大量生産品と同じ思想で作られていることを意味する。消費者が違和感を感じるのも、当然かもしれない。

 そこで、消費者が求めたのは、この思想とは正反対の食品である。素材が持つ力を感じる食品に人気が集まり始めたのだ。
 もちろん、廉価品もあれば、超高額品もある。しかし、その差は、職人の付加価値で生まれたものではない。希少価値が認められれば、価格が高騰するだけの話しだ。市場主義が浸透してきたのだ。

 作り手側が最高級と決めても、顧客と思想を共有できなければ、独り善がりにすぎない。旧来型高級品の思想への支持が失われれば、伝統的高級品市場は急速に萎むかもしれない。


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