表紙 目次 | ■■■ 日本語の語彙を探る [2015.3.23] ■■■ 鳴く䖵 「蛇という蟲」[→]の話をした。・・・ 「虫」はマムシ(蝮)の象形文字であり、それが3つ集まる「蟲」は生物全般を現す。後者は現代ではもっぱら昆虫を指すが、3つ書くのが面倒なのでその省略文字とみなされている。ちなみに、「蟲」の概念はこんな風に解釈できる。 ○「着衣蟲」(裸蟲)類・・・人間 ○「肌蟲」類・・・象、河馬 ○「羽蟲」卵性繁殖二翼ニ足・・・鳥/鶏 鳳凰 ○「毛蟲」類 【純草食性-健脚】・・・馬 駱駝 【純草食性-角・特殊胃】・・・牛 羊 山羊 鹿 【狩猟性】・・・虎/猫 狼/犬 熊 白鼻芯 【雑食性】・・・猪/豚 鼠 兎 猿 ○「殻蟲」類・・・犀 【特殊:卵生】・・・蜥蜴 【不明】・・・辰 青龍 ○「鱗蟲」類・・・センザンコウ 【特殊:脱皮、卵性、無】蛇 玄武 → 「東アジアの民俗的分類」[2013.5.2] つまり、「虫」とは昆虫を意味していないことになる。 → 「蟲という言い方」[2013.5.21] そもそも、そんな大きな使い方の変化が突然発生する訳がなかろう。各文字の漢語発音を見てみるとこうなる。 蟲:"chóng, zhòng, tóng" 䖵:"kūn" 虫:"huǐn", chóng" 確かに、虫1つと虫3つは同じ発音であり、同一の意味で使われておかしくない。しかし、虫2つは全く異なる。䖵虫=昆虫ではないのかと思わせる音である。よくよく文字情報を眺めてみると、実はその通りのようだ。䖵の異體字は蜫とされているからだ。つまり、蜫蟲が昆虫と簡素化されて表記されていることになる。 その昆虫のなかで、鳴く虫をとりあげてみたい。 日本人は特異的に「虫の音("ne")」好きとされているからだ。確かに、この概念自体特殊と言えよう。「音」を"oto"とは絶対に読まない訳で、基本的には「虫の声("koe")」なのである。虫の言語として扱われていることになり、周囲で発せられる音とは異なるジャンル。 日本語は、擬声語とされる言葉が矢鱈多い言語だが、それは音を声とみなしがちな体質に由来するともいえよう。 と言うことは、鳴く蜫蟲は、その声の特徴が名前になりがちということ。 その典型が蟬(蝉)とはいえまいか。・・・"せみ〜 せみ〜 せみ〜"と鳴いている訳である。 さらに付け加えれば、以下のようになろう。 "ニイニイ"と鳴く蝉/蟪蛄・・・𧉓 "ミンミン"と鳴く蝉・・・蚗 "つくつく法師"と鳴く蝉・・・蜺 いずれもかなり音は違うが、振動発生機構は全く同じ。ヒトの耳には違って聞こえるが、本質的には"せみ〜"と鳴いている筈である。その辺りを敏感にとらえているとも言えよう。 これに当てはまらないのが、日暮。秋蜩とか茅蜩という名称だったようだ。万葉集は蝉だが、蜩で通っていた可能性が高い。蜩をセミとは読まなかったかも。 「詠蝉」 [万葉集#2157] 夕影に 来鳴くひぐらし[日晩] ここだくも 日ごとに聞けど 飽かぬ声かも すでに、この時代に、晩夏の鳴き声にもののあわれを感じていた可能性が高い。「空蝉(うつせみ)」という抜け殻を表す語彙が使われていたと考えられるからでもある。渾身の力を込めて最後の一声を振りしぼっている姿を想像しながら、魂の歌と感じいりながら、耳を傾けていたのではなかろうか。 しかし、それが古代の感覚と全く同一と考える訳にもいかないから、元の名前は「"カナカナ"と鳴く蝉」と考えた方がよかろう。 尚、蜩は色々な表現があるが、どの蝉を指しているのかは定かではない。(丕蜩,寒蜩,蜋蜩,螗蜩) 中国では蝉に興味を持つ人は少なかったようだから、それぞれの漢字の由来についての話もはっきりしない。ただ、文献的には様々な文字表現があったようだ。(蝒, 螓, 蠽, 五色, 寒螿, 蜻蜻, 蜓蛛, 蟪蛄, 螗蛦, 螇螰) 西洋の情報が伝わる時代に入り、味もそっけもない、それこそ分類のためだけの名称がつけられるようになったと思われる。そこではっきりしたのが、上記のように、セミはもっぱら鳴き声分類だった点。外見をたいして気に止めてはいなかったのである。ただ、はっきりさせるために新たに加わった生物用語もある訳だ。 熊蝉・・・蚱蝉 馬蜩 𧉄 油蝉 おそらく、この辺りから虫屋が生まれたのではないか。多分最初は甲虫集めで、次が蝉。さらに現代になってから蝶と想像するが、調べた訳ではないので当たっているとは限らない。小生は、虫屋の動きに触発されて、石屋が増え、さらに星屋へと広がったと見る。 話がそれたか。 もとに戻して、鳴く声で名称がつけられたと考えられる䖵を追加することで、話を終えたい。 先ずは「くつわむし[轡虫]」。大きな音がする篳篥がお嫌いと見える清少納言が、"かしましい"と見なした虫だ。おそらく、その名は「ガチャガチャ」。これでは余りにそっけないので、その音を発する轡を当てたのだろう。 同じことが「馬追」にも言えそう。その音は「シーッシーッ」と言ってよいのでは。小生は「チンチョンチョンチョン スイ〜ッチョン」は楽譜に合わせた作り句と見る。ただ、馬を追うシーンが一般的になったのは近世だろうから、その昔はどう呼ばれていたかはなんとも。なにせ、大人しい虫ではなく、突然、暴れ馬化するタイプ。スイ〜ッチョンと言う虫の音を愉しむ風情にはならなかったのでは。当然ながら、歌に登場することもない。昔の名前は忘れ去られて当然だろう。 一方、その情緒感から好かれていたと思われる松虫や鈴虫だが、万葉集には全く登場しない。詠われるのは「こおろぎ[蟋蟀]」のみ。 「詠蝉」 [万葉集#2158] 秋風の 寒く吹くなへ 我が宿の 浅茅が本に 「こほろぎ[蟋蟀]」鳴くも その後、「きりぎりす[螽斯]」と記載されているものも、こほろぎ[蟋蟀,蛬,蛩,蛼]としか考えられないそうだから、鳴き声の区別はしなかったということなのだろう。 おそらく、「キリギリス」という名称は金属の擦れ合うような「キリキリ」や「ギー」音の、擬声だろう。この範疇に入る虫はすべて一括りにされていたのでは。それを分別するようになったのは、虫篭に入れて、虫の音を愛でるようになってから。 そう考えると、万葉集の蟋蟀の訓は"こほろぎ"ではない可能性もあろう。 「キリギリス」は「機織」とも呼ばれていたそうだが、くつわむし同様に、織機が登場すると、糸が擦れる金属的な音が似ているから「機織虫」とされただけだろう。 それなら、「こほろぎ[蟋蟀]」とは何か。 みるからに漢語ではなさそうな音であるし、現在の漢語発音とは縁遠い。それに、大陸では虫の音には無関心。もっぱら国家流行"闘蟋"としての虫。たとえ類似の音名があったとしても、そのような習慣を欠く倭人がそんな名称を使うことはないだろう。 人によって印象は違うとはいえ、無理矢理"こほろぎ〜"という擬音と見なすのは、どうかと思う。いくらなんでもそれはなかろう。 そうなると、他の固有名詞の転用と見るのが自然。唯一残る語彙としては、高千穂地域に残る氏族名の興梠(こうろぎ,こおろぎ,こうろき,こうろ,等)。神呂木由来だそうなので、無関係に見えるが、この氏族の特徴が似ていた可能性もあろう。 虫名に混乱が生じているのは、止むを得まい。蝉と違って、野で鳴いている虫は様々であり、近寄れば鳴き止むから、声と個体の突合せは余程の関心が無い限り無理である。曖昧な概念であるのは止むを得まい。中国で闘蟋に使われる鳴く虫が知られていたから、文字はすぐに決まったろうが、訓は擬音の命名だったから、初期の読みはマチマチだったかも。 たまたま流行った名称が、コウロギという用語だったろうが、それが擬音ではなかっただけ。一方、野で鳴く虫の擬音名はキリギリスに統一されていったのだろう。その後、虫を飼うようになると、音の違いは歴然としているから、それぞれ別扱いにせざるを得ない。当然ながら混乱が生まれる。単に、そういうことで不思議でもなんでもない。 尚、松虫や鈴虫は、それぞれ、「チンチロ チンチロリン」、「リンリンリンリン リい〜ンリン」と鳴くことになっているが、それは、文部省によって尋常小学読本に掲載された唱歌「虫のこゑ」の制定に基づくもの。万葉集には登場しないから、古代には特段決まった名前は無く、感じたままの擬音が使われたのだろう。どのような形態の虫であるのか、確認もせず。 そうそう、一つだけ例外的な命名があるので、抜かしては拙かろう。 唐期の沈既済の小説「枕中記」から採った古都名「邯鄲」である。漢語は天蛉だから、ほとんど無関係。日本における虫の音の感じ方をはっきり示していると言えよう。 従って、"こほろぎ"にも、特別な種族の命運を感じさせる情感が籠った言葉だったに違いない。 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2013-2015 RandDManagement.com |