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■■■ ジャータカを知る [2019.6.8] ■■■
[90] ミルク
梵語Sujātāスジャータとは、苦行放棄を決意した釈尊が悟りを開く直前、樹神と考えて乳粥を供養した娘の名前。
牛乳か山羊乳かはわからないし、乳に何を加えたのかも不明であるが、滋養豊かな食べ物だったと見るべきだろう。
従って、現代のスーパーに並ぶような廉価な牛乳とは程遠く、大衆が簡単に手に届くような食品と考えるべきではないと思う。

母乳の意味ではなく、食物としてのミルクはジャータカにはチラホラ登場する。・・・

[#25]沐浴場譚では、王専用の若馬が水浴場に降りようとしない理由を食べ物で例えている。ギー、蜂蜜、砂糖入りの乳粥であっても、人は飽きるものと。上流階級の美味しい食べ物との印象を与える。

[#316]兔譚[→]は、自分の身体を食べ物として布施するために焚火に身を投ずる話で、余りに有名。言うまでもないが、肉食は当たり前であることを意味している。そこでのジャッカルは、小屋で食料を見付ける、蜥蜴lizardと"milk-curd"のポット。

さらに、[#30]姆尼迦豚譚[→瘤牛]では、美味いものを食べさせてもらう豚を牛が羨む話がある。豚は食われるという結果であるが、草との比較とはいえ、乳粥は御馳走なのである。

ミルクの位置付けがなんとなくわかる気分になるのが、[#537]大須陀須摩譚[→海豚]。人喰い王が登場するカニバリズム話であり、実に示唆に富む。
歴代地主の紳士、名前はパリー語のSujātaだが、ヒマヤラからやってきた食べ物に関する禁欲主義者達に提供するのは蒲桃Rose-apple[→]
さらに、話の続きで出て来るのはマンゴー、パンの木, バナナといった果実類。これに粉砂糖を加えるようで、植物由来食品のみ。
同じく禁欲主義の婆羅門の家族の賢き若者も登場。仲間は、魚、肉、酒を厭わずで、この若者に禁を破らせようと工夫するのである。ミルクならよいだろうとして。

ジャータカを通して眺めると、ベジタリアンは尊崇対象であっても、ミルク食は勧められているようには思えない。
ここらの姿勢がインド亜大陸での仏教の繁栄を導くことになったと同時に、衰退の背景となっているように思える。

釈尊以前のベーダ教時代、肉食は嬉しいものだったに違いない。婆羅門は、祭祀に当たっては数多くの牛を供犠とし、牛肉は大量に振舞われたに違いないからだ。
しかし、それは広大な草地を必要とする訳で、農耕地からの生産量は上がらないから多大な人口を養うのは難しい。それでなくとも、貧困者だらけだったに違いなく、飢餓的状況に陥ってもおかしくなかったろう。
それを救うには、肉食を禁忌にするにしくはない。婆羅門もその方向に動くしかなかっただろうが、祭祀官である以上そうそう簡単に転換できなかっただろう。肉食をできる限り抑える風土への転換に合う信仰が拡がるのは当然の流れである。仏教はその流れに乗ったとも言えよう。
ところが、ヒンドゥー教も似たコンセプトで勃興してくる。聖牛コンセプトを打ち出し、新たな流れに作ったのではあるまいか。・・・
牛飼いの神に人気が集まってきたのである。そして、始原的な性的信仰にもミルクが係ってくるし、力のある神は牛に乗るようになる。
大乗仏教化は、この流れにうまくのれなかったとも言えるのでは。食に柔軟な態度をとった釈尊とは違い、原理主義的に肉食禁忌化を打ち出したようだから。

そう思ってしまうのは、日本でミルク食回避文化が根強かったから。それはほんの100年前迄のこと。仔育て乳の横取りはけしからんと考えたのか、この禁忌観念はすんなりと受け入れられたようである。その結果、日本列島には、乳糖に弱い人が大勢住むことになってしまった訳だ。

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