→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.19] ■■■
[294] 天竺髑髏供養塔
現代人が耳にすると驚くような慣習が記載されている。
髑髏を紐で繋いで持ち歩く婆羅門が王城に入って来たというのである。

しかし、よく考えれば、それほど驚くようなことでもなさそう。
チベット密教仏教 無上瑜伽タントラの尊像 ヘールカ/赫魯の持物は髑髏杯と髑髏杖だからだ。カギュ派ヘールカの勝楽金剛/チャクラサンヴァラなど生首の場合さえあり、髑髏のネックレスとスカート装着像もよく知られている。

先ずは、話を見ておこう。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#30]天竺婆羅門貫死人頭売語
 とある婆羅門が独りで王城に入って来た。
 数多くの"死人の古き頭"こと髑髏を
 緒で貫いたものを持っていた。
 そして、背を伸ばし、大声で叫んだのである。
 「我は、髑髏貫いて集めたものを持っているぞ。
  誰か、この髑髏を買う者はおらぬか?」
 こんな風に叫んだけれども、誰一人買い手は出てこなかった。
 婆羅門は売れないので、悲しんていたが
 見物人が大勢集まって来て、
 際限なき程、罵倒され嘲笑されたのである。
 そんな時、
 智ある人が出て来て、髑髏を買い取ったのである。
 婆羅門は髑髏の耳の穴に緒を通して持っていたが、
 買った人は耳の穴に通さずに持ち返ろうと。
 そこで、婆羅門は尋ねた。
 「何故、耳の穴にヒモを通さないのだ」
 答えるに、
 「法華経を聞いた人の耳の穴に緒を通すことなどできぬ。」と。
 そして持ち返ったのである。
 その後、塔
(覆鉢式塔/堵坡)を建て、
 この多くの髑髏を安置して供養した。
 その時、天人が下りて来て、その塔を礼拝して去って行った。


原典とは、少々違えてあるが、その気分わかる気がする。
それはともかく、どうしても髑髏が気になってしまう。本朝の場合はどんな感じになるかといえば、・・・。
《報恩譚》
  【本朝仏法部】巻巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#31]髑髏報高麗僧道登恩語 [→架橋] [→兄弟殺意]
《聖跡譚》
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#30]比叡山僧広清髑髏誦法花語 [→仙人空海]
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#18]僧明蓮持法花知前生語 [→前生蟋蟀の僧] [→熊野の地]
さすれば、本朝での髑髏供養行為は、天竺から仏教と共に渡来したということか。

本朝で、髑髏を持つとなると、夜叉女とされる荼枳尼天(空行母)
その起源はベンガル地方の土着信仰で、血と殺戮を好む女神 迦利/カーリーの人肉食の侍女。(ジャータカを読むとジャッカルがよく登場するから、そのトーテヌがヒト型変換されただけ。)
  →l曼荼羅を知る"天部 [5] 閻魔"[2019.3.3]

ベーダ経典では、カーリーはシヴァ妃だ。両者ともいかにも恐ろし気。
おそらく、髑髏所持の意味は、神への生贄となったヒトに対する一種の尊崇なのだろう。その供犠により生命力を頂戴するといったところか。
こうしたヒト生贄が不可欠な信仰はインド亜大陸では決して古代のものではなく、現代でも消滅していると断言はできないかも。巡礼者絞殺は18世紀に多発していたことが知られているからだ。
まさに仏教とは正反対の信仰と言えよう。
カーリー信仰が現代インドを代表している訳ではなかろうが、世界的に良く知られているのは、マザーテレサのお蔭かも。施設の近辺にカーリー寺院があるからだ。・・・現時点はどうなっているのか知れぬが、そこら一帯は売春窟で、行き倒れだらけの地。しかも、西洋人にはドブ川にしか見えない場所で沐浴が行われており、寺では定期的に山羊の首が刎ねられその血が捧げられる。もちろん、大群衆参詣の図。大衆が望むなら、何時、山羊をヒトに戻してもおかしくないのが現実である。それが、誇張など何一つない日常的情景。

この譚の時代ははっきりしないものの、血の供犠がなされていただろうし、信仰からの人肉食いがあってもおかしくなかろう。髑髏を持っていれば、その有り難き生贄の霊力を頂戴できると考えるのであろう。

つまり、天竺においては、このような信仰者を折伏する必要がある訳だ。それは、仏教と正反対の信仰であり、常識的には論理で対応したところで何も変わるまい。
成功するかはなんともいえないものの、この譚のように情緒で迫る以外に手はないだろう。
ここはそういう心情吐露譚と見てもよいのではあるまいか。

そうそう、「今昔物語」編纂者がこの譚を取り上げたくなった理由は、塔建造もありそう。
ベーダ教にせよ、仏教にせよ、輪廻観念の天竺では骨を埋める墓的な塔なるものは原則的には存在しえない。例外は釈尊と高僧だけであり、それは非仏教信仰からみれば神的モニュメントに相当するから意味があるとも言える。
婆羅門が大切にし、霊的力があるとされる髑髏を塔に納めることで、仏教の枠内にその信仰を囲い込んでいる訳だ。

【原典】吉伽夜・曇曜[訳]:「付法藏因縁傳」(釈尊後継者23祖師の事跡集)巻六
於往昔有婆羅門。持人髑髏其數其多。詣華氏城遍行衒賣。經歴多時都無買者。便極瞋恚高聲唱言。此城中人若不就我買髑髏者。吾當相為作惡名聞言。汝諸人愚癡闇鈍。爾時城中諸優婆塞聞是語已。畏其毀謗。便持錢物至彼買之。即以銅筋貫穿其耳。若徹之者便與多價。其半徹者與價漸少。都不通者全不與直。時婆羅門問優婆塞。我此髑髏皆悉無異。何故價直而有差別。優婆塞言。如前髑髏有通徹者。斯人生時聽受妙法。智慧高勝貴其若此。相與多價。其半徹者雖聽妙法未善分別。以是因縁與汝少直。全不通者此人往昔都不聽法。吾以是故不相與價。時優婆塞持此髑髏。往至城外起塔供養。命終皆得生于天中。以是因縁當知。妙法有大功コ能建立人。何以故。此優婆塞以聽法人髑髏起塔尚生天上。況能至心聽受斯法供養恭敬持經人者。此之福報甚難窮盡。未來必當成無上道。是故諸有欲得無上安隱快樂。為化衆生作大饒益。皆應受持如是勝法。


 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME