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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.22] ■■■
[237] 法会一瞥
学僧の登竜門と見られていた維摩会を取り上げることになるが、法会についてバラバラと見て来たのでザックリ眺めて、「今昔物語集」のものの見方を考えてみたい。

維摩会が有名なのは、大法会の筆頭の如きイメージが形成されているから。
 《南京三会》@平城京
  山階寺/興福寺維摩会
   657年(藤原鎌足が私寺建立@山科陶原邸)
   658年僧 福亮「維摩経」講賛…鎌足治病呪術
   706年藤原不比等再興…不比等治病呪術
   733年光明皇后再興@皇后宮(非氏族長施設)
   757年藤原仲麻呂再興…護国・論説(学僧研鑽)
   834年勅願
  (山階寺)(法華会)
  宮中大極殿御斎会
   768年始修
  薬師寺最勝会
   830年始修
 《北京三会》@平安京
  法勝寺大乗会
   1077年始修
  円宗寺最勝会
   1082年始修
  円宗寺法華会
   1116年始修 …1072年勅会

「今昔物語集」での並びは以下のようになっている。・・・
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#_1]越後国神融聖人縛雷起塔<舎利会> [→国上山の泰澄大徳]
  [巻十二#_2]遠江国丹生弟上起塔<舎利会> [→磐田の遠江国分寺]
  [巻十二#_3]於山階寺行維摩会 
  [巻十二#_4]於大極殿被行御斎会 [→吉祥天] [→金光明経]
  [巻十二#_5]於薬師寺行最勝会 [→薬師寺ご本尊] [→金光明経]
  [巻十二#_6]於山階寺行涅槃会 [→山階寺涅槃会]
  [巻十二#_7]於東大寺行花厳会 [→「法華経」v.s.「華厳経」]
  [巻十二#_8]於薬師寺行万灯会 [→薬師寺ご本尊]
  [巻十二#_9]於比叡山行舎利会 [→仏舎利法会]
  [巻十二#10]於石清水行放生会 [→八幡宮放生会]

起塔は、土着地主神信仰と切り離すことは難しいが、仏教の法会の原点かも。しかし、舎利が経典に代替されていくと、塔の重要性は失われいく。
  舎利会@比叡山/花山寺、唐招提寺
一方、釈尊の一生を祈念する《三仏忌》の方はすでに述べたように涅槃会しかとりあげていない。
  仏生会/灌仏会/降誕会/花まつり
  成道会/臘八会
  涅槃会/常楽会@山階寺、比叡山

「今昔物語集」では、本朝の仏教・政治史の記載は聖徳太子から。
その太子が「法華経」・「勝鬘経」・「維摩経」の義疏を著したのだから、当然ながら、諸王・豪族を集めて行った法会は国の根幹ということになろう。従って、この辺りが由緒ある法会と言ってよいだろう。

ただ、これらの法会はあくまでも経論主旨講論の場である。経典毎に開催方式が異なるのが自然である。その法会を主導する尊敬を集める学僧の意向が反映される筈だから。
従って、そんな学僧達を集める力がある寺が各法会を主導することになろう。おそらく、その力の源泉は法会毎に違う。
  維摩会@山階寺
  最勝会@薬師寺
  唯識会@興福寺(山階寺)+春日大社
  華厳会@法華寺
  法華会@高雄神護寺、岩淵寺
尤も、3,000の仏名を唱えるための経典「三劫三千諸仏名経」になるとそうはいかないが。
  仏名会@清涼殿
  
一方、鎮護国家祈願という点では、こうした法会が直接関与しているとは思えず、以下の法会となろう。
  仁王会@宮中
  大般若会@東大寺、大安寺、薬師寺
  放生会@石清水八幡宮

以上とは、意味が違うのが、季節に意味付けした法会だろう。
  修正会…必ずしも正月だけではない。
  御斎会
  修二会…必ずしも二月だけではない。
  霜月会@比叡山
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  節分会
  彼岸会
  盂蘭盆会

ということで、山階寺維摩会の記載譚を見ておこう。
〇山階寺維摩会は、10月10日から7日間の法会。
 天智天皇代に藤原姓を賜った大中臣の内大臣、
 大織冠
[藤原鎌足]の命日に行われる。
 法会は数多いが、その中では特に優れており、
 震旦でもその行為が知られているほど。
〇起源は、大織冠が山城宇治山階の末原の家で罹病したことにある。
 長い間患っており、出仕も出来なかった。
 百済国渡来の尼 法明が訪問して来た時、
 百済でこのような病を治した例があるか尋ねたところ、
 薬や医師では効果がなかったが、
 維摩居士像の御前での維摩経読誦したちまち治癒との答。
 そこで、大織冠は邸内に堂を建て、維摩居士の像を造り、
 維摩経を講じさせ、尼を講師として招聘。
 初日の講は問疾品から。
 始めるとたちどころに霊験。
 大織冠は大変喜び、尼を拝礼。
 毎年、この講を行うことしたものの、
 大織感逝去後、途絶えてしまった。
〇大織冠の御子 淡海公
[藤原不比等]は、若くして跡を継いだので、
 この法会を知らずにいた。
 大臣位に就任した時、手の病にかかってしまった。
 占わせると、
 父の代に行われていた法会を断ってしまった祟りと。
 そこで、維摩経を講ずる法会を行うことになった。
 優れた智者を講師として招請し、数々の寺で行うことに。
 奈良の都に、山階末原の家を移築し寺創建。山階寺と名付けた。
〇843年、維摩会はそこで行われことにことになった。
 毎年の公事とされ、藤原氏出身の弁官が勅使として遣わされる。
 講師は、諸事諸宗の学者から選ばれ、
 褒賞として僧綱に任ぜられる。
 聴衆も諸事諸宗の学者から選ばれる。
 藤原氏の上達部はもちろんのこと、五位の者まで、
 寝具を縫って僧に布施。
 儀式は荘厳そのもので、講経・論議は素晴らしく
 まさに維摩居士の"浄名の室"そのもの。
 仏前供物、僧への供物は、大国に倣い、他寺では見られないほど盛大。
 本朝で仏法が末永く栄え、国王が法に従い儀式を行なうことに
 敬意を払っており、そのような法会は他にはない。


尚、巻十二の法会関係譚の出典はほぼ「三宝絵詞」984年下巻らしい。(#3[下28], #4[下_2], #5[下11], #6[下_8], #8[下15], #9[下16], #10[下26])
尊子内親王[966-985年]に源為憲が、仏道入門書として献上した絵巻だが、絵は散逸。
 上巻…13譚 釈迦本生譚
 中巻…18譚 本朝高僧伝(「日本霊異記」引用)
 下巻…31譚 法会来歴・作法の月次解説
【参照】馬淵和夫,小泉弘[校注]:「三宝絵 (注好選)」新日本古典文学大系31 岩波書店 1997年
下巻序によればカレンダーは以下のようになっている。
  正月…(修正月) 御斉會 比叡山四季殲法 室功徳 布薩
  二月…(修二月) 西院阿難悔過 山階寺涅槃會 石塔
  三月…志賀大(傳)法會 薬師寺最勝會 高雄法花(華)會 法花(華)寺花(華)厳会 比叡坂下(本)勸學會 薬師寺萬燈會
  四月…比叡舎利會 大安寺大般若會 御前灌仏 比叡山受戒
  五月…長谷寺菩薩戒 施米
  六月…東大寺千花(華)會
  七月…文殊會 盂蘭盆
  八月…比叡山不斷念仏 八幡放生會
  九月…比叡山灌頂
  十月…山階寺維摩会
  十一月…熊野八講(會) 比叡山霜月會
  十二月…御佛名

尚、上記の法会解説に用いられた話は、巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史)にも見られるとのこと。
 《「三宝絵詞」⇒「今昔物語集」巻十一》
  [下_3]比叡(山四季)殲法⇒#10, #26
  [下10]志賀大傳)法會⇒#29
  [下11]薬師寺最勝會⇒#17
  [下16]比叡舎利會⇒#11, 27
  [下17]大安寺大般若會⇒#16
  [下19]比叡(山)受戒⇒#13(欠文), #26
  [下20]長谷(寺)菩薩戒⇒#31
  [下22]東大寺千花會⇒#13
  [下25]比叡山不斷念仏⇒#27
  [下27]比叡(山)灌頂⇒#10
  [下30]比叡(山)霜月會⇒#26


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