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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.6] ■■■
[372] 柿の実
柿は本朝に古来からあり、日本特産のように映るが、実は日本産ではなく伝来栽培品種が残っている可能性も。  →日本的果実の木[2015.9.4]

柿の実は、林産品の代表のようで、兎捨身の話[→]では、天竺で猿が採ってくるモノは、玄奘は名称を書かないが(猿於林樹,采異花果)、「今昔物語集」だと、栗・柿・梨…となる。
本朝の猿の場合は、木の皮や自然薯を写経のために供養するようだが、栗や柿も定番品。[→]
ちなみに、実が付かない柿の木には天狗の偽仏が降臨したりする。[→]実が食せるまでには約8年が通り相場だが、なかには全くならない木もあるのは確かだ。
実が成らない柿の木には妖術使いらしき翁が出現することもあり[→]、特殊な誘引力があるようだ。

現代でも、京都から比叡の山に通じる雲母坂辺りには多くの柿の木が見られるが、古からそのような景色が広がっていたのかも知れぬ。
渋柿が多いが、種無しだと渋抜きすると甘いのである。なかには、種有も混ざってくるが、立派な種だとどういう訳か多少渋みが残ったりする。
種無き柿がいかにも戒遵守の僧のようだから、豊穣の秋には、西坂の柿がことさら愛されていたであろう。
そんな情景での、なんということもない、ご教訓話がある。
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_8]法性寺尊勝院僧道乗語
 法性寺尊勝院の供僧 道乗は、
 比叡山西塔の正算僧都の弟子。
 比叡山に住した後に法性寺に移ってから長い。
 若い頃から、法華経読誦。
 老齢でも怠ることなし。
 しかしながら捻くれ者。
 弟子の童子を口汚く叱責。
 道乗、夢を見た。
  法性寺から比叡山に行く途中のこと。
  西坂の柿の木まで来た。
  遥か山の上を見上げると、
  山麓の坂下から頂上の大嶽に至る迄、
  堂舎と楼閣が重層状態。
  金銀装飾瓦葺き屋根であり、
  建物の中には沢山の経巻が奉置されていた。
  黄色紙に朱色の軸だったり、紺色紙に玉の軸。
  どれもが、金泥か銀泥で書かれている。
  何時もとは様子が違うが、どういうことかと思い、
  傍に居る老僧に、
  数え切れない程の経典があるが、
  何方が安置されたのか尋ねてみた。
  すると、汝が長年読誦して来た法華大乗経、とのこと。
  大嶽から水飲迄積まれている経典は、
  汝が西塔に住していた時分の読誦分。
  水飲から柿の木の下まで積み置かれている経典は、
  法性寺で読誦した分との応答。
 この善根で、汝はは浄土転生となろう、とも。
  道乗は奇異に感じたが、
  その時、突然、出火。一部の経典が焼失。
  その理由も老僧に尋ねた。
  すると、
  汝は、瞋恚で、童子を怒鳴った。
  その瞋恚の火が、読誦した経典を焼いたと言われてしまう。
  汝が瞋恚を断てば、
  善根はさらに増え、必ず極楽往生できるとも言われ
 その言葉を聞いた時、夢から覚めた。
 その後、道乗は悔い悲しみ、瞋恚を断ち
 さらに、法華経読誦に専心。


柿や梨は、自然の恵みであり、盲目で採実できなくても、善行を積めばなんとかなるという話も収載されている。
  [巻十三#18]信濃国盲僧誦法花開両眼語
 妙昭は、信濃に住む両眼盲目僧。
 目で経典を読めないが、日夜、法華経読誦。
 7月15日、合図に金鼓を打とうと、外に出たが、
 深山に迷い込んでしまった。
 しかし、山寺に辿り着くことができた。
 寺には独り住持の僧が居り、
 事情を知り盲目僧を哀れんで、暫く滞在するように言った。
 但し、明日、所要で里に出なければならず、
 その後戻ったら送り届けるから
 出歩かないように、と。
 ところが還ってこない。
 少量の米しか置いてないのでこまったが
 仏前で法華経読誦で、ただただ待ち続けるしかない。
 3か月、木の葉を食していたが、11月に入ってしまい
 雪が積り、寒いし、木の葉も手に入らなくなった。
 餓死目前で、嘆いて、仏前読誦していると
 半分、夢状態になり、
 「汝、嘆くな。我が助けてやる。」と言う人が出現。
 果物をくれた、と思った瞬間に我に返った。
 すると、大風が吹き始め、大木が倒れたような大きな音が聞こえてきた。
 盲目僧は恐怖にかられ一心に仏を念じ奉ったのである。
 風が止んだので、盲目僧は庭に出て手探りで調べると、
 梨の木と柿の木が倒れており、沢山の大きな実が採れた。
 極めて甘い実で、1〜2個食べると、飢えはどこかに消滅。
 それ以上の食欲も失せたのである。
 「これこそ法華経の霊験。」と思い、
 その実を沢山採り、保管して、日々の食事にあてた。
 倒木の枝も折り取り、燃やして冬の寒さを堪えて過ごすことができた。
 やがて、年が明け、春二月の頃。
 里の人達が入山し、出会うことに。
 盲目僧から事情を聞いてから、
 里人は、住持の僧が昨年七月十六日に里で急に逝去されたと語った。
 盲目僧は泣き悲しんで、
 それを知らずに、帰って来ないことを恨んでいましたと言い、
 里人と共に山寺をあとにした。
 妙昭は、その後も、一心に法華経を読誦。
 病に苦しんでいる人々は、この盲目の僧を小生し読誦してもらい
 聴聞すると治癒するので、大勢の人が深く帰依するように。
 そのうち、盲目僧は両目ともに視力が回復。
 法華経霊験と喜び、山寺にも常に参詣し、仏への礼拝恭敬を奉った。


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