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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.23] ■■■
[509] 天人供養甘露
震旦の般若経典の霊威譚に"甘露"が登場してくる。
本朝でも、この言葉は仏教用語とされており、花まつりでは花御堂を設置し甘茶を満たした灌仏桶に誕生仏を安置し、お祝いしている。
しかし、それは、"甘露"ではなかった。・・・
 「天上天下,唯吾獨尊。今茲而往,生分已盡。」
 隨足所蹈,出大蓮花。二龍踴出,住虚空中,而各吐水,
 一冷一暖,以浴太子。

    [「大唐西域記」卷六 室羅伐悉底國 八 臘伐尼林及釋迦誕生傳説]

震旦で、冷暖水が"甘露"に替わったことがわかる。
と言っても、「今昔物語集」【天竺部】にも"甘露"は登場してくる。📖甘露樹 📖対外道六師婆羅門
それは、ベーダ経典にでてくる、長生不老藥"阿密哩多"のことで、当然ながら天界の飲み物ということになる。
漢訳する際に、それを震旦用語の"甘露"と同一としたことで、飲み物が湯浴みに使われる迄、変貌してしまったのである。・・・
本来的には、仏教上は、甘露門というような使い方の筈なのだ。
   辭。偶連句。
  共入夕陽寺,因窺甘露門。(升上人)
     …「開甘露門 (施餓鬼) 」は餓鬼道から抜け出すための経典。
     📖「酉陽雑俎」お寺サロンでの詩作-II

「今昔物語集」編纂者はそこらをご存知だったかも。

震旦では、仁政が敷かれると、天が瑞祥として"甘露"降らせるとされているからだ。
 天不愛其道,故天降甘露。[「太平御覧」天部上]
 「老子」曰:天地相合,以降甘露。[「太平御覧」露]
 (永平)十七年春正月,甘露降於甘陵。[「後漢書」卷二顯宗孝明帝紀]
その発祥は極めて古い。
 鳳鳥の卵を食べ、甘露を飲む。📖「山海経」大荒西経【沃民之國】

そこで、震旦譚では、甘露を降らせるのではなく、天人が持参するとされている。おそらく、瓶に入れたものを供養したのだろう。
  [巻七#_7]震旦比丘読誦大品般若得天供養語
 年来、大品般若読誦していた山寺住持の比丘のところに
 何時も夜になると、天人がやって来て、天の甘露で供養してくれた。
 その際の会話。
 比丘:「天上に般若有りや無や?」
 天人:「天上に般若有り。」
 比丘:「然らば、般若、天に有るには、
     何の故に来て、供養するぞ?」
 天人:「法を敬はむが故に来れる也。
     亦、天上の般若は、諸天の伝へたる言也。
     人中の般若は、正く仏の言を証せる也。
     此の故に、我れ、来て供養する也。」
 比丘:「天上に般若を受持する者、有りや無や?」
 天人:「天には楽に着せるが故に、受持する者無し。
     余州にも亦無し。
     但し、此の閻浮提には、
     大乗根、熟せるが故に、
     善く般若を受持して、苦を離るる事を得る也。」
 比丘:「般若を受持する人を守護する天人、
     只汝ぢ一人のみ有りや否や?」
 天人:「般若を受持する人を守護する天人、
     八十億有り。
     皆、人間に来下して、般若を受持する人を守護す。
     乃至、一句をも聞く人を敬ふ事、仏を敬ひ奉れるが如し。
     然れば、廃れ退する事有るべからず。」


上記で、もう一つ、仏教的な箇所としては、八十億の天人が般若を受持する人を守護するという下りがあげられよう。
八は仏典では聖数のようだから。(インドで聖数ということではないようだ。)📖日本の聖数8について
  能作一切如來一切印平等種種事業。
  於無盡無餘一切衆生界。一切意願作業皆悉圓滿。
  常恆三世一切時。身語意業金剛大盧遮那如來。
  在於欲界他化自在天王宮中。・・・八十倶胝菩薩衆倶。

    [不空[譯]:「般若波羅蜜多理趣経」]
  天人師。佛、世尊。其佛有八十億大菩薩摩訶薩,・・・
    [鳩摩羅什[譯]:「妙法蓮華卷六#23薬王菩薩本事品]

南陽のの宝室寺の僧の話でも、一切経八百巻書写がでてくる。一切経とされるのだから、全体はその5〜6倍の分量がある筈で、なにもそんな数字に拘る必要などなかろうに。
一方で、「金剛般若經」は百部書写でしかない。📖酉陽雑俎的に「金剛般若經」を読む

  [巻七#_9]震旦宝室寺法蔵誦持金剛般若得活語
 州宝室寺の僧 法蔵は
 619年の閏三月、重病に罹り、20日余りで死去。
 すると、青衣を着用し、麗々しく花を飾っている人が、
 高楼の上に現れて、経巻を手に取って、法蔵に告げた。
 「汝は、今、三宝の物を誤用した。重罪である。
  我が持つ経は金剛般若経。
  もし、この経を自ら一巻書写し、真心で受持すれば、
  一生の間の三宝の物の誤用罪を失滅できる。」と。
 法蔵、これを聞き、罪を失滅させたので、治癒。
 その後、金剛般若経100部を書写。
 心を尽くして受持・読誦し、忘れることもなかった。
 しかし、法蔵もついに命が尽き、閻魔王の御前に。
 王:「師は一生の間にどの様な福業を成したのか?」
 法蔵:「仏像を造り、金剛般若経百部を書写。
     諸々の人々に転読。
     さらに、一切経八百巻を書写。
     昼夜に般若経を受持し、忘れたことは無い。」
 王:「師の功徳、甚だ大、かつ不可思議。」
 そして、使を蔵の中に派遣し、功徳の箱を取って来させた。
 王、自らその箱を開け点検したが、法蔵の言う通りだった。
 と言うことで、王、法蔵を讃嘆。
 王:「師の功徳は、不可思議である。
    よって、速に師を放ち還すことにする。」
 法蔵蘇生。
 寺で諸々の人々を教化し、般若を読誦。
 諸々の功徳を修し、怠ることなし。
 結果、病無く長寿。臨終して十方の浄土に。


このストーリーでは、僧が、突然、ケチを付けられる話になっていて、違和感を覚えるが、引用した譚の元ネタ冒頭には、もう少し記述があったのである。・・・
    [「持誦金剛經靈驗功コ記」]
  ・・・戒行精淳。為性質直。
  隋開皇十三年[593年]。
  於洛交縣川城造一所僧房。二十餘間佛堂三口並架瓦嚴麗彩飾精茅。丈六素像總有部部別各有十一事。等身觀世音石像一千屏風像等。
  至大業年[605年〜]得寺千。
  時舍像並令移就州墎伽藍安置破壞補缺並得成就。更造一切經寫得八百餘卷別造長張。於京城月愛寺令人抄寫。並檀香為軸莊嚴妙好。


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