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■■■ 古代の都 [2018.11.8] ■■■
[時代区分:5] 20〜25代総ざらい

20〜25代をまとめてみた。

「古事記」は古代文学として読むべしとの意見も多い訳だが、この時代の記載を読むと、軍記物のピカ一「平家物語」をはるかに凌駕した美学を感じさせる内容。その辺りはセンスの問題ではあるが、"おけ""をけ" 兄弟譚は文芸的に勧めに値する箇所だと思う。
こうした感覚は思った以上に重要と思うので、一言述べておこう。

「古事記」は天皇家の神権政治史を日本語叙事詩として編纂したもの。「平家物語」が琵琶の音に合わせて詠じられたように、独特の口調で心を籠めて謳うための書。
叙事詩であるから、現代人の感覚からすれば潤色だらけなのは当たり前。しかし、それは政治な「嘘」を意味する訳ではなかろう。実際、その中身は、徹頭徹尾、皇位継承の争い。
敵対者の惨たらしい殺戮はあるは、権謀術策や裏切り行為をなんのためらいもなく行う姿が描かれており、これを天皇史を美化する書と決めつける人が存在すること自体が驚き。
そのよな皇位継承闘争が頂点に達すると、血筋が絶える危機的状況を招くことになるのは必然。「古事記」とは、それをいかに乗り越えてきたかという苦闘史ともいえる。そのような題材を、いかに叙情的に描くかが作品の価値を決めることになる。

それを考えると、20〜25代の記述は、まさに芸術的に磨き抜かれた箇所ということになろう。しかし、一般には、物語としては余り評価されてはいないようだ。

この部分が優れているのは、前の時代とのコントラストが余りに激しい点にあろう。

16代はまさに古代における大阪城的な難波高津宮に座す天下人そのもの。それを引き継いだ同母兄弟の天皇は、中華帝国了解の下で、朝鮮半島を支配化に敷いたほどの絶大な権力を握ったいたのである。
[16]天皇
大雀命┬石之日売命(葛城之曽都毘古の娘)…皇后
┼┼┼├─大江之伊邪本和気命⇒皇位継承[17]
┼┼┼├─墨江之中津王
┼┼┼├─蝮之水歯別命⇒皇位継承[18]
┼┼┼└─男浅津間若子宿祢命⇒皇位継承[19]

ここだけ見ればなんの波乱もないように見えるが、ナンノ、ナンノ。墨江之中津王は継承争いで殺されたのである。
この辺りが引き金になって、とんでもない話が続くことになる。・・・
20代天皇は、禁断の恋で放逐され死ぬことになった太子に代わり天皇の地位を得たが、殺戮対象者の妻を娶ったため、その連れ子に寝首を掻かれる。そこで弟が皇位を継承[21]することになる。ところが、皇位を脅かす存在をすべて消し去るという激情剛腕の持主。結局のところ、唯一残った男系が継ぐ[22]ものの婚姻せずで血脈が絶える寸前に至る。そこに突然、殺戮を懼れて逃亡して隠れていた兄弟が、劇的に登場。
 [23]"をけ" 袁祁王之石巣別命
 [24]"おけ" 意祁命

24代の御子の、([16]大雀命と[21]大長谷若建命に対応した名前の)[25]小長谷若雀命が継ぐ訳だが、8年間も統治しているのに、継承者を用意させなかったのである。

この時代のネーミングだが、殺戮を繰り返した[21]大長谷若健命と、直系血族が絶えてしまった[25]小長谷若雀命の宮地を考え、こうしてみた。。

《初瀬川時代》

大和川は、奈良盆地内の水流を集めて河内を河口とするが、一番東の山際を南北に流れる支流が初瀬川である。
三輪山の南山麓の桜井近辺で盆地内に入ることになるが、そこらは初代が最初に制圧し、そこから香久山方向に進んで決戦になったイワレある地。
初瀬川と東の山々の間を山の辺の道が走っていることになり、渓流が注ぎ込んでいる訳である。下流側の天理辺りから見るとこんな具合。
  ・布留川[石上神宮]
    −西門川
  ・纏向川[巻向山西]
  ・三輪川[三輪山]
  ・烏田川
  ・(最上流山岳部)[初瀬]
宮地はこんな具合。
  [20]石上穴穂宮@石上神宮
 ⇒[21]長谷朝倉宮
 ⇒[22]伊波禮甕栗宮
 ⇒[23]近飛鳥宮
 ⇒[24]石上廣高宮
 ⇒[25]長谷之列木宮
石上、桜井南、長谷(初瀬川山岳部上流)を一括したい訳ではない。近飛鳥宮の地は盆地外だし、《初瀬川時代》といっても、その地域に焦点がある訳でもない。地理的な意味を問うなら、自由自在に動き回れる交通路が完備した時代という意味になろう。交通路が発達しており、"おけ""をけ" 兄弟は隠れる地を捜し求めて苦労したのである。
主要陸路からいえば、こんな感じではないか。
┼┼┼■■■■■■日本海
┼┼┼若狭敦賀
┼┼┼┼┼└─┤┼┼┌──東山道
┼┼┼┼┼┼┼┌┘
┼┼┼┼┼┼┼琵琶湖
┼┼┼┼┼大津├─┴─┐
淀川┼┼┼┼┼┼┼┼├─東海道
┌───宇治川┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
難波┼┼┼┼┼┼┼┼※至;伊勢

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┌─────
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┼┼┼▲▲
┼┼┼└──初瀬川
└─────┼───※至;伊勢
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難波から奈良盆地に入る竹内街道の山越え前が"近アスカ"だが、「古事記」ではその名前の由来も、臣に位階を与えると騙し、仮宮まで造って大杯を呑ませて刺し殺したため明日出発になったからとされており、まさに殺戮三昧のストーリー。
そのような話は詳しいが、22代と24代など没年御陵等無記載。ご陵などどうでもよくなったか。
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