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■■■ 古代の都 [2018.12.18] ■■■
[番外-18] 墓制と「古事記」
(13:地蟲 v.s. 鳥)

古事記はどう見てもアンチ蛇信仰一色。

それは、渡来征服勢力の天ツ神 v.s. 定住型土着勢力の国ツ神という構造からくるものかも知れぬが、信仰的には、死を忌み嫌う勢力と死を身近なものと考える勢力の違いがあるのかも。

いかにも両者は相容れないように思ってしまうが、伊邪那岐命と伊邪那美命の神生みが対立を表しているとは思えず、錯綜した信仰が容認されていた可能性が高い。
 天之些土---国之些土
 天之狭霧---国之狭霧
 天之暗処---国之暗処


そのため、ストーリーの骨格は国ツ神から天ツ神への統治権移譲であるにもかかわらず、祭祀についてはママ継続という、神権政治としては曖昧な決着が図られたということか。

その辺りの曖昧性は、葬儀次第でも、いかんなく発揮されている。・・・
天照大御神は、我が御子 正勝吾勝勝速日天忍穂耳が豊葦原之千秋長五百秋之水穂国を統治すべし、と言因せた。ここだけ読めば、国ツ神政権を征服するゾと高らかに宣言した以外のなにものでもなかろう。
ところが、命を受け天浮橋に立ったにもかかわらず、コリャ駄目だということで、降臨を止めてしまうのである。
 此國道速振荒振國~等之多在
続いて遣はせられるのが天菩比神。大国主神に媚び附いてしまったが、致し方無しなのか、放置。
そこで、天若日子を遣はすことになる。すると、大国主神+多紀理毘売の娘 下照比賣を娶ってしまう。そこで、命に従わない理由を尋ねに雉の鳴女を派遣するが、天若日子は射貫いてしまう。流石に、これは許容できぬということか、その還り矢で射貫かれ死んでしまうが、その葬儀には鳥が派遣されるのである。
その後、ようやく武神や祭祀の一団が送られて、その武力の威力で「国譲り」が成立する訳だ。
高天原の神意を伝える役割は、当然ながら空を飛び、ヒトと親和性がある"鳥"ですゾということ。高天原的感覚であると、葬儀を取り仕切るのは"鳥"が望ましいのであろう。
時に、鳥骨を抱えた人骨が出土するのは、そんな観念があるからか。(家族的な鳥だった可能性もあるが。)

これと対比的情景が描かれているのが、大穴牟遲~の根堅州國参り。すぐに須勢理毘賣と目合したのを面白く思わない須佐之男命は蛇室で寝るように命令。毘賣の比礼(頒巾)で蛇を避けだが、次は呉公と蜂の室だが、同様に難を逃れる。
○蛇は勿論のこと噛まれれば死を避けられぬ蝮だろう。
○呉公(蜈蚣)/蜈/蛆/は巨大百足。
  [→「呉の国の百足」(2016.9.23)]
○蜂は地下に巣を作る"猛烈的攻撃"がお得意の大雀蜂/大虎頭蜂だろう。

須佐之男大神の意を伝えるのは、地に棲む蛇であり、百足であり、地蜂ということを示しているのだろう。何れも、その力を得るために大切にされ飼われていた可能性さえある。もちろん、薬的に使われる訳である。
出雲の祭祀には、こうした地の蟲が関係していたのではないか。

【ご参考】 「蛇信仰風土を考える」
  [→先ずは折口/吉野論から(2015年12月17日)]
  [→語名の分類整理(2016年1月11日)]
  [→極東での洗練化(2016年1月26日)]

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