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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.28] ■■■
[27] 「欠史八代」という安直な解釈は無意味
2代から9代迄は、単純な父子型の継承の系譜の記載と天皇崩御の年齢しか記載されていないので、"欠史八代"と呼ばれ創作部分とされているようだ。(例外的だが、8代で吉備制圧の事績の記載がある。)
この主張は論理を欠いており、この部分だけ強引に墨を塗らせる行為と言わざるを得ない。

この考え方を是認するなら、"欠史八代"以前の"東征"に至っては、完璧なフィクションと見なすしかなかろう。それなら、八代の箇所では何故の適当な事績を捏造しなかったのか説明する必要があろう。誰が考えたところであり得ぬような長寿命を記載する理由さえ語れないのに、自信を持って「欠史八代」と言い切るのだから、素人には驚きである。
ともあれ、この論調からすれば、後世の部分にしても、すべて都合よく改竄していると解釈せざるを得ず、創作では無い箇所を同定する方法論が提起されていない以上、歴史を知る上では全く役に立たぬ資料と見なしているのと同義である。

従って、小生は、こうした主張はほとんど無意味と考える。📖「欠史八代」論は説得力不足
他の情報の質はもっとひどいからでもある。

例えば、地名など、好みの善文字への改定が推奨され、音も意味も変質しているし、併合や集落移転も少なくないため、何時頃発生したのかなどわかるのは例外的事例のみ。有名だからといって、信用できる訳ではない。その名前にしてから、様々なタイプの為政者が命じたにすぎまい。そんなデータを集めて単純分析するだけで、モノ事が読み取れる訳があるまい。全国に銀座という地名があるから、銀貨は各地でつくられていたと主張するのと、ほとんど同レべルの議論になりかねないからだ。
しかも厄介なのは神社である。多くは地場信仰地に於ける後世創建のもの。しかし、必ずと言ってよいほど、創作古代伝承譚がある。箔を付け、官から高い位置付けを獲得しようとの取り組みは当然のことで、そんな経緯を残しておく訳もなく、縁起ストーリーの真偽確認は極めて難しい。その上、明治初期に廃仏・合祀方針が貫徹されたから、実態は全くわからなくなっている。
と言うことで、極めて意味の薄いデータを集めているのはわかりきっているものの、他に地域情報など無いから致し方ない。

そもそも、「古事記」自体、それぞれの勢力が好都合な系譜を創ってしまい、これではどうにもならぬから、整理してみよ、ということで始まったプロジェクト。
従って、「欠史八代」に系譜が記載されて当然と言うより、目的からすれば、"肝"そのもの。その部分に墨を塗れと主張する人が多数派なのが、この国の風土なのである。

こうした点を踏まえて、自分の頭で考えるようにしたいもの。

素人からすれば、この八代のハイライトはなんといっても宮の場所。
ご存じのように、その観念は今もって、日本に於ける歴史区分方法そのもの。つまり、事績完全無記載ということではない。
  📖[9] 春日之伊邪河宮【添上】…若倭根子日子大毘毘命
  📖[8] 軽之堺原宮【高市】…大倭根子日子国玖琉命
  📖[7] 黒田廬戸宮【式下】…大倭根子日子賦斗邇命
  📖[6] 葛城室之秋津嶋宮【葛上】…大倭帯日子国押人命
  📖[5] 葛城掖上宮【葛上】…御真津日子訶恵志泥命
  📖[4] 軽之境岡宮【高市】…大倭日子友命
  📖[3] 片塩浮穴宮【高市】…師木津日子玉手見命
  📖[2] 葛城高岡宮【葛上】…神沼河耳命
  📖[初] 畝火 白檮原宮【高市】…神倭伊波礼毘古命
・・・これを踏まえて、初代の記述をよく読めば、なんということもない。
現代的視点で眺めれば、簡素な箇条書きにしているようなもの。上記で触れたように、それがわかるように、極く短い吉備国派遣譚が記載されると共に、10代初國之御眞木天皇の時代に、系譜人物を搭載させ、地方完全制圧談が登場してくる。大乱の時代が終わりを告げたことになろう。
歴史観を伝えようとの意図が伝わってくる記述の仕方を工夫したことが伝わってくる構成なのだ。

初代天皇が、何年もかけて武力で奈良盆地を平定していった訳だが、各地区の勢力が平伏したとはいえ、その枠内で力を発揮することになるから、天皇としては有力な勢力の地に宮を置くことで安定化を図るしかあるまい。
しかし、すでに初代の3皇子から皇位継承の血みどろの戦いが発生しており、飛び抜けた力を持つ勢力も生まれにくいから、以後も騒動は絶えなかったと見てよさそう。系譜は単純だが、その実態としては、それぞれ勝手に宮相当の拠点を造り、継承を迫るというような強引なものだった可能性が高かろう。乱立化してしまえば、継承時点がはっきりと定義できなくなってしまう訳で、それをどのように記載すべきかは悩ましいものがあろう。
10代初國之御眞木天皇の時代、ようやくにして混乱が収まり、全国を統治を実現することができたと語っているとしか思えまい。

初代はイワレの地を確保し、2〜9代の系譜とはそこからの拡大史を示していることになろう。

そう考えると、各地区での実質的天皇期と称する期間を並べ繋げて整理した可能性が高い。それこそ、8本の微妙に異なる帝紀が存在していたことに気付いたということでもあろう。常識的に考えられない長寿命としているのは、そこらの編纂方針を示唆していると見ることもできそう。

当時の、中央(大和朝廷)での統治の実態は、宮と御陵の地の概念図を眺めると、大体の流れが想定できそう。・・・
[KEY] ◆:宮地 ◇:御陵地 数字は天皇代 大和国を4区域に分けて北から南に並べた。
----------------------------------------
<添下>   <添上>
----------------------------------------
↓JRなら駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼卍 ←東大寺
─│──○ ←近鉄 なら駅
────────────────
┼┼┼┼卍 ←念仏寺山/伊邪河之坂上陵◇9 興福寺
┼┼┼┼┼┌■─■ ←猿沢池 荒池
┼┼┼┌┘←率川神社=春日之伊邪河宮◆9
┼┼┼┼
──────┘ ←率川

─┴───────○── ←JRきょうばて駅

----------------------------------------
<平群>            <山辺>
          <式下>
 <広瀬>
----------------------------------------
┼┼┼↓近鉄生駒線
┼┼┼
┼┼─────┐
┼┼┼┼┼┼┼
┼┼└─○──┐←おうじ駅
┌────○──┐←おうじ駅
┌┘┼┼┼┼┼└──←大和川
┼┼┼┼┼┼└──←JR大和路線
┼┼┼┼┼┼└──←近鉄田原本線
┼┼┼┼←片岡馬坂上陵◇7
┌┘┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼↑JR和歌山線
┼┼┼┼┼┼┼↓近鉄
┼┼┼┼┼┼┼↓寺川
┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼ ←いわみ駅
───○─┐ ←くろだ駅
┼┼┼ ←法楽寺=黒田廬戸宮◆7
┼┼┼┼ ←廬戸神社(孝霊神社)
┼┼┼┼
┼┼┼┼┼└┐│
┼┼┼┼┼┼○○ ←にし駅 たわらもと駅
┼┼┼┼┼┼ ←薬王寺
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼↑R24

----------------------------------------
          <十市> <式上>
 <葛下>             <宇陀>
   <忍海>
----------------------------------------
↓高田川
┼┼┼┼┼↓葛城川
┼┼┼┼┼
──○─────←近鉄 やまとたかだ駅
┼┼┼┼┼
───○┬───←JR たかだ駅
┼┼┼┼
┼┼←石園座多久虫玉神社=片塩浮穴宮◆3
───○────○─←近鉄 たかだし駅 うきあな駅
┼┼┼┼
↓曽我川
┼┼┼↓近鉄
┼┼┼↓R169
┼┼←衝田岡陵◇2
┼┼←畝火山北方白檮尾上陵◇1
←畝傍山 うねびごりょうまえ駅
┼┼←畝火山之真名子谷上陵◇4
┼┼←橿原神宮≒畝火之白檮原宮◆1
←畝傍山之美富登陵◇3
┼┼←深田池
──○──○←にしぐち駅 かしわらじんぐうまえ駅
┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼←剣池 剣池之中岡上◇8
┼┼┼┼┼←軽島明宮◆15
┼┼┼┼┼←法綸寺(軽寺)
├──┐←(大軽)丸山古墳◇29=軽之境岡宮◆4
┼┼←牟佐坐神社=軽之堺原宮◆8
┼┼┼←おかでら駅
┼┼┼
┼┼┼
┼┼┼↑檜前川

----------------------------------------
 <葛上> <高市>
 <宇智>
           <吉野>

----------------------------------------
↓葛城山
┼┼↓葛城川
┼┼↓R24
┼┼
┼┼
┼┼←近鉄御所駅 JR御所駅
┼┼└───────○─ ←JR和歌山線たまで駅
┼┼┼┼←玉手丘上陵◇6
←掖上博多山上陵◇5
┼┼┼┼←葛城掖上宮◆5
←九品寺
┼┼←今出 池之内
←葛城高岡宮◆2
←一言主神社
┼┼←小碓命(倭建命)陵
┼┼┼┼┼┼←国見山
┼┼←宮山古墳=葛城室之秋津嶋宮◆6
────┤∨∨∨∨∨][∨∨∨←一水越川
┼┼┼←巨勢山 ↑大口峠
┼┼
┼┼←金剛山
┼┼
┼┼↑R24

系譜で特徴的なのは、根子日子との称号がつく7〜9代である。
大和の特定地域を本拠地にしている武力を誇る天皇のようで、皇子を地方に送り武力平定を進め、地方官僚統制を一気に進めたようである。
ここらの対立は、中央に従わぬ地方という構図があるように思える。"敵"は、夷賊とか、土蜘蛛とされるが、交流が薄く従おうとしない土着部族との対立とは本質的に異なるものだと思う。
もちろん、各地の土着勢力であるが、その代表は大和に移住している筈で、天皇を支える縁戚あるいは有力な臣でもあった筈である。従って、土着勢力としては、相変わらずの連合王国的感覚でいたが、中央では天皇を中心とする全国統治体制へと進む方針で動いていたから、軋轢は酷くなり、対立熾烈化、ということだろう。

[6]大倭帯日子国押人命@葛城室之秋津嶋宮
└┬△忍鹿比売命(姪…兄 [5]天押帯日子命の娘)
├┐
大吉備諸進命
┌─┘
[7]大倭根子日子賦斗邇命@田原黒田廬戸宮


└┬△細比売命(大目の娘)…【祖】十市県主
↓●[8]


└┬△千千速真若比売命@春日
△千千速比売命


└┬△意富夜麻登玖邇阿礼比売命/蠅伊呂泥
├┬┬┐
△夜麻登登母母曽毘売命
日子刺肩別命…【祖】利波臣@高志 国前臣@豊国 五百原君 角鹿海直
┼┼比古伊佐勢理毘古命/大吉備津日子命…【祖】吉備上道臣@吉備
┼┼┼△倭飛羽矢若屋比売

4 (蠅伊呂泥、蠅伊呂杼姉妹は3代の皇子 師木津彦の孫)
└┬△蠅伊呂杼(阿礼比売命の妹)
├┐
日子寤間命…【祖】牛鹿臣@針間
┼┼若日子建吉備津日子命…【祖】吉備下道臣, 笠臣)

例外的に事績。・・・
  大吉備津日子命與若建吉備津日子命二柱相副 而
  於針間氷河[播磨の加古川上流の地]
  之前居忌瓮而針間爲道口
  以言向和吉備國也(…誅殺した訳ではない。)
  故此大吉備津日子命者

武力を背景に、前代からの懸案事項であった吉備制圧を実現したのであろう。さらに、播磨、越の統治を精力的に進めたと思われる。伯耆や讃岐へも。裏を返せば、今迄は、いずれも大和と肩を並べるような大国然とした姿勢をみせていたことになろう。当然ながら、信仰風土的も違っていておかしくない。

[8]大倭根子日子国玖琉命@輕之堺原宮


└┬△内色許売命(内色許男命の妹)…【祖】穂積臣
├┬┐
大毘古命
│○少名日子建猪心命
↓●[9]

└┬△n.a.
├┐
建沼河別命…【祖】阿倍臣 等
┼┼比古伊那許士別命


└┬△伊迦賀色許売命(内色許男命の娘)
○比古布都押之信命…【祖】膳臣


└┬△葛城之高千那毘売(意富那毘の妹)…【祖】尾張連
○味師内宿祢…【祖】山代内臣


└┬△山下影日売(宇豆比古の妹)…【祖】木国造
○建内宿祢

└┬△波邇夜須毘売(河内 青玉の娘)
○建波邇夜須毘古命

河内、尾張や紀伊といった、周辺との紐帯を固めており、これにより遠征の力を高めた時代のように見える。
同人物が後代に登場してくるから、平定は長期に渡ったことを意味しているのだろう。
(●[10]御眞木入日子印惠命@師木水垣宮)之御世
大毘古命者遣高志道(越後以北の出羽か。)
其子建沼河別命者遣東方十二道而
 令和平其麻都漏波奴[自麻下五字以音]人等。
・・・"十二道#不詳…遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵
    安房 上総 下総 常陸 上野 下野で12。陸奥[白河, 那須,・・・ ]は除外か。
    12と数が多いので、近淡海⇒美濃⇒飛騨⇒信濃のルートではなさそう。)

・・・【常陸国風土記」行方郡 板来村】
  斯貴の瑞垣の宮に大八洲所馭しめしし天皇[10代]のみ世、
  東の荒ぶる賊を平けむとして、建借馬命を遣しき。
  卽ち、此は那賀の國造が初祖なり。・・・
  
大井神社@那賀郡/水戸飯富(御祭神:建借馬命)

東方所遣建沼河別與其父大毘古共往遇于相津
  故其地謂相津[会津]
 伊佐須美神社@10代崇神天皇10年
  越後境御神楽嶽⇒博士山⇒波佐間山⇒高田南原⇒大沼会津美里宮林甲
  (御祭神:伊弉諾尊+伊弉冉尊 大毘古命+建沼河別命 父子)



[9]若倭根子日子大毘毘命@春日之伊邪河宮


└┬△竹野比賣(由碁理:大県主@旦波の娘)
○比古由牟須美命
└┬△n.a.
├┐
○大筒木垂根王
┼┼○讚岐垂根王


└┬△伊迦色許賣命([8]天皇の妻)
├┐
[10]御眞木入日子印恵命
△御眞津比賣命


└┬△意祁都比賣命(日子国意祁都命:丸邇臣の祖の妹)
日子坐王


└┬△荏名津比賣/苅幡戸辨@山代
├┬┐
○大俣王
│○小俣王…【祖】当麻勾君
○志夫美宿祢王…【祖】佐佐君
└┬△n.a.
┼┼├┐
┼┼○曙立王…【祖】品遅部君@伊勢 佐那造@伊勢
┼┼┼○菟上王…【祖】比売陀君


└┬△沙本大闇見戸賣(建國勝戸賣@春日の娘)
├┬┬┐
○沙本毘古王…【祖】日下部連 国造@甲斐
┼┼○袁邪本王…【祖】葛野之別 蚊野之別@近淡海
┼┼┼△沙本毘賣命/佐波遲比賣
┼┼┼┼○室毘古王…【祖】耳別@若狭


└┬△息長水依比賣([御上祝斎]天之御影~@近淡海の娘)
├┬┬┬┐
丹波比古多多須美知能宇斯王
│○水之穗眞若王…【祖】安直@近江
○神大根王/八瓜入日子王…【祖】本巣国造@美濃 長幡部連
┼┼△水穗五百依比賣
┼┼┼△水穗五百依比賣
└┬△摩須郎女丹波の河上
┼┼├┬┬┐
┼┼△比婆須比売命
┼┼┼△真砥野比売命
┼┼┼┼△弟比売命
┼┼┼┼┼○朝廷別王…【祖】穂別@三河


└┬△袁祁都比売命(御上祝@近江が斎する天之御影神の息女[妹])
├┬┐
○大筒木真若王@山代
│○比古意須王
○伊理泥王
└┬△n.a.
┌┘
└┬△阿治佐波毘売丹波
┼┼○迦邇米雷王
┼┼└┬△高材比売(遠津臣@丹波の娘)
┼┼┼○息長宿祢王
┼┼┼
┼┼┼
┼┼┼└┬△氣高額比売@葛城
┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼○息長帯比売命
┼┼┼┼┼○虚空津比売命
┼┼┼┼┼┼○息長日子王…【祖】品遅君@吉備 阿宗君@針間
┼┼┼
┼┼┼
┼┼┼└┬△河俣稲依毘売
┼┼┼┼○大多牟坂王
┼┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼┼【祖】国造但馬

└┬△鸇比賣(垂見宿祢@葛城の娘)
○建豐波豆羅和氣王…【祖】道守臣 忍海部造 御名部造 忍海部@稲羽 竹野@丹波 阿毘古@依網 等

平定に長期かかったというのは曖昧な表現で、連立王権的風情が消えて、大和地区にも各地勢力が終結することで中央政治が貫徹する仕組みは一応整って来たのだと見てよいのでは。
島国や山国のような、箱庭的状況では、どうしても各地区部族代表の全員参加型での王権となりがちだが、その風土を取り払ったのは確か。
しかし、中央に住む勢力代表と、それを支える筈の地場統治者に齟齬が生まれるのは致し方なく、特に、独自文化の色彩が強そうな、丹波(+丹後+但馬) 山城 近淡海は難物だったろうが、次代につなげて、なんとかこぎつけたというところか。
路線を敷いてもらったので、次代は、越から以北や東国への本格的派兵にも踏み切ることになる。
(●[10]御眞木入日子印惠命@師木水垣宮)之御世
日子坐王者遣旦波國
 令殺玖賀耳之御笠[此人名者也玖賀二字以音]
・・・【「丹後風土記(残欠)」伽佐郡】[来歴不詳であり逸文認知外資料]
  甲岩は古老伝て曰く、
   御間城入彦五十瓊殖天皇の御代に、
   当国の青葉山[@若狭境馬耳山]中に陸耳御笠と曰ふ土蜘の者有り。
   其の状人民を賊ふ。
   故日子坐王、勅を奉て来て之を伐と。
 
籠神社@宮津大垣(御祭神:彦火明命)…海部氏伝世鏡所蔵:息津鏡@後漢+邊津鏡@前漢
  奥宮:
真名井神社(御祭神:豊受大神)

尚、太安万侶の見立てでは、すでに初代天皇代で、出自たる九州勢力の力は無視できる程度になってしまった、ということになろう。それに抗したかの如くの、信仰は根強いものがありそうだが。
 阿蘇神社/阿蘓神社@阿蘇一の宮宮地(御祭神:12柱)
  …初代天皇の3皇子が祀られている。
  [一宮]健磐龍命/阿蘇都彦命(=神八井耳命②の子)
  [三宮]國龍神/吉見神(=日子八井命①)
  [十二宮]
金凝神(=神沼河耳命③)…偶数女神の対偶形式から外れるので後世入れ替え。
  <初代3皇子>
 ○神沼河耳命③…[2]天皇位継承
 ○日子八井命①…【祖】茨田連手嶋連
 ○神八井耳命②…【祖】意富臣 小子部連 坂合部連 火君 大分君 阿蘇君 筑紫三家連 雀部臣 雀部造 小長谷造 都祁直 伊余國造 科野國造 道奧石城國造 常道仲國造 長狹國造 伊勢船木直 尾張丹羽臣 嶋田臣 等
(「古事記」では触れられていない"金凝神"称号の背景) 阿蘇カルデラは8,500年前迄は湖であったと推定されており、西側は常緑樹林、東側は薄平原だった可能性が高い。地下水盆が形成されており、肥後が湧水の地となった理由はこの地形にある。うしたカルデラ域は稲作には向かないが、遺跡は多いから、西側でのベンガラ採取が盛んだったことを示すと見ることもできよう。阿蘇山からは、筑後川(玄界灘)、大野川(瀬戸海)、白川(有明海-八代海-天草灘)で海に繋がるし。「古事記」がこの辺りの状況を無視したのは、結果的に見れば、ベンガラ特産地の意味はそれほど大きなものではなかったとの評価でもあろう。この時代は、奈良盆地内での覇権闘争が焦点との判断と言えそう。
<日子八井命祖>
茨田連…河内(茨田)
手嶋連…摂津(豊島)
<神八井耳命祖>
意富臣[多] 多神社/多坐弥志理都比古神社@磯城田原本[御祭神:神八井耳命]
小子部連 子部神社@橿原飯高[御祭神:小子部命]
坂合部連…摂津・大和
火君…肥後(宇土)
大分君…豊後(大分)
阿蘇君…肥後(阿蘇)
筑紫三家連…筑紫
雀部臣…和泉
雀部造
小長谷造…大和(泊瀬)
都祁直…大和(山辺)
伊余国造…伊予
科野国造…信濃
道奧石城国造…陸奥(磐城)
常道仲国造…常陸(那珂)
長狭国造…上総(長狭)
伊勢船木直…伊勢
尾張丹羽臣…尾張
嶋田臣…尾張(島田)

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