→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.8] ■■■ [66] 柿本人麻呂とは無縁か? ❶"やまとうた"とは ❷やまとうたの"みなもと"📖歌のみなもとは古事記 ❸うたの"ちちはは"📖大雀命のどの歌を重視するか ❹"うたのさま"むつ"📖太安万侶流の歌分類 ❺"はじめ"をおもふ📖心地概念や修辞法は似合わない ❻"かきのもとのひとまろ"と"やまのべのあかひと"☚ ❼ちかきよに "そのな きこえたるひと" ❽なづけて"こきむわかしふ" ❾ときうつりとも うたのもじあるをや 「古今和歌集」奏上は905年で、「古事記」は712年だから、前者に登場する歌人を云々しても意味なさそうに思ってしまうが、"仮名序"で大絶賛されている柿本人麻呂[est.660-est.708年]は、「万葉集」では持統天皇3年[689年]〜文武天皇4年[700年]に活躍した歌人として記録されており、「古事記]編纂者の太安万侶[n.a.-723年]と同時代に生きた人ということになる。 「万葉集」の編纂者と目される大伴家持[718-785年]は、太安万侶没後の人だが、"山柿の門"として、柿本人麻呂と山部赤人[n.a.-436年]を特別扱いしているから、太安万侶が柿本人麻呂を知らない筈はない。 かならず習う柿本人麻呂の代表作と、その歌が意味する背景の系譜を考えれば、影響を受けているのは間違いなかろう。 「古事記」は歌集ではないし、古い事を記載した書なので、同時代人を取り上げる必要はないから、直接的に影響を検討することはできないが、そのように想定はしておくべきだと思う。 《軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌》 [「万葉集」巻一#45-49] : 東の 野に炎の 立つ見えて 反り見すれば 月傾きぬ : ---皇統譜---📖書誌的事項から想像すると ●[40]天武天皇/大海人皇子…「古事記」編纂命 └┬▲[41]持統天皇/鸕野讃良皇女 ┼●草壁皇子…27才で崩御 【草壁皇子挽歌:「万葉集」巻二#167-169/170】 ┼└┬▲[43]元明天皇/阿閇皇女…「古事記」献上 ┼┼├┬┐ ┼┼▲[44]元正天皇/氷高皇女 ┼┼┼●[42]文武天皇/珂瑠[軽]皇子 ┼┼┼┼▲吉備内親王…長屋王妃 と言うことで、少し柿本人麻呂について、触れておこう。 【挽歌】としては、上記の月に当たる草壁皇子だけでなく、異母の川島皇子@巻二#194-195や明日香皇女@巻二#196-198も収録されているし、長皇子、弓削皇子への【献歌】もあるから、皇室おかかえ歌人だったのだろう。ただ、柿本人麻呂の名前は「万葉集」以外に記載が無いそうだから、官位が低かったと見なされている。殿上人の五位に届くことができない出自だったのだろう。 だからこそ、専門下級職として歌に精進したということかも。 太安万侶は従四位下民部卿まで昇進したが、下級官僚である柿本人麻呂の歌での活躍を見るにつけ、叙事詩としての「古事記」編纂の緊急性をひしひしと感じたのではないか。 どう見ても、古体歌は短歌形式に集約されていくとともに、叙事から抒情の形に変わっていく流れを見せつけられてしまったのだから。 ここでの一番の問題は、場に応じた臨機応変の口誦が失われていくこと。それは、形が整理されて、長く続いて来た習慣が失われるというだけでなく、思想性も180°転換されることを意味している。 口誦の伝統は、言魂信仰に由来しており、地祇や土着的神々と係わる呪術的要素が組み込まれていたが、それが消え去って行くことになる。それらの息吹は特定の語彙が受け継ぐだけとなる訳だ。 歌が創出される場としては、節・戦闘・婚姻・葬儀等々なのは変わらず、儀式的な環境は維持されるものの、"心地"を表現する抒情詩となって行く流れができてしまったのである。 公式文書はすべて漢文筆記であるにもかかわらず、コミュニケーションの主体は相変わらず口頭言語の和語が用いられていたが、歌謡が失われる事態になれば、そうもいかなくなることがはっきりしてしまったことになる。 古い記録はすべて口誦伝承だから、早急に、それを文字記録する必要があるとの思いがつのるのは自然な流れだろう。 「古事記」と「万葉集」は、そういう意味で、ここらの時代精神の結晶と言ってもよかろう。 ---❻"かきのもとのひとまろ"と"やまのべのあかひと"--- ●古より、かく伝はる内にも、 奈良の御時よりぞ、広まりにける。 かの御代や、歌の心をしろ示したりけむ。 かの御時に、正三位柿本人麻呂なむ歌の聖なりける。 これは、君も人も、身を合はせたりと云ふなるべし。 秋の夕、龍田河に流るる紅葉をば、帝の御目に、錦と見給ひ、 春の朝、吉野の山の桜は、人麻呂が心には、雲かとのみなむ覚えける。 ● 又、山部赤人と云ふ人ありけり。 歌に妖しく、妙なりけり。 人麻呂は赤人が上に立たむことかたく、 赤人は人麻呂が下に立たむことかたくなむありける。 ● 《奈良の帝の御歌》 竜田川 紅葉乱れて 流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ 《人麻呂》 梅の花 それとも見えず 久方の 天霧る雪の なべて降れれば ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 嶋隠れ行く 舟をしぞ思ふ 《赤人》 春の野に 菫摘みにと 来し我ぞ 野を懐かしみ 一夜寝にける 和歌の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 芦辺をさして 田鶴鳴き渡る ●この人々をおきて、又、優れたる人も、 呉竹の世々に聞こえ、片糸のよりよりに絶えずぞありける。 これよりさきの歌を集めてなむ、「万葉集」と名付けられたりける。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |