→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.30] ■■■
[88] 建内宿禰の長命はママ受け取るべし
建内宿禰命はありえぬ伝説と見なす人も少なくない。
論理の一貫性を欠く、滅茶苦茶な見立てであるとしか言いようが無いが、そう感じていない人が大多数ということ。
学者は職業上極めて狭い領域で新たな知見を提出する仕事だからそれも致しかたないとはいえ、この状態では、議論を重ねても「古事記」著者の主張を理解することはできまい。
創造性を高めるには、このような体質の社会であることの認識から始める必要がある。
・・・ということに気付いて欲しいというのが、「古事記」に関して取り上げている理由。

それはともかく、どうして建内宿禰命の存在が疑問視されるかは自明と言えよう。
一番わかりやすいのは、「古事記」成立よりずっと後の南北朝時代の史書の記載である。
  有大臣號紀武内,年三百七歲。
    [脫脫等:「宋史」1343年巻四百九十一列伝第二百五十外国七日本国]

二期作時代の農歴で、1年が倍勘定になるというレベルをはるかに越えた長寿であり、誰が考えても、有りえぬ話。
太安万侶にしても、307年生きたと考える筈もなく、それをママ記載するとはとても思えない。(史書なら、あまりに酷い矛盾に直面したら、削除か知恵を絞った改竄で乗り切るか、それも難しい時はママで放置にならざるを得ないが、それを嫌ったのが「古事記」であるのは明らかなのだから。そうでなければ、同じような書を書き方だけ変えて作成する意味などなかろう。
「紀」では、とんでもない長寿記載になっているだろう。官僚としては、小中華の儒教風土の朝鮮半島で成立した創作だらけの史書との整合性を図るしかないので、皇統譜はグチャグチャにならざるを得ず、結果、宿祢の寿命も数百年に及ぶことになる。中華帝国が、ほぼママで朝鮮半島の創作史書を掲載している上、史書の性格上如何ともしがたい。
朝鮮半島についての話が「古事記」に欠けている理由はここに由来すると言ってもよかろう。


もちろん、「古事記」でも、鴈生卵譚📖鴈産卵の戯歌も収載での御製歌で、宿祢が長寿であることが示されているが、トンデモ数字を肯定している訳ではない。
 たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の長人 ・・・[余能那賀比登]

小生が見るに、皇統譜を見る限り、せいぜい100才程度であるとしか思えず、各段に長命である以上、それほどおかしい記載がなされているようには思えない。「古事記」から、307才との見立てが生まれる素地は無いように思われる。
<帶の時代>
[12]大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇(137歳)〜n.a. …宿祢登場せず。
[13]若帶日子天皇/成務天皇(95歳)〜355年
  建内宿禰爲大臣
[14]帯中津日子天皇/仲哀天皇(52歳)〜362年
  天皇 控御琴而 建内宿禰大臣 居於沙庭 請神之命
[14皇后]
  建内宿禰命率其太子爲將禊
[15]品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇(135歳)〜394年
  髮長比賣・・・其姿容之端正 卽誂告建内宿禰大臣・・・
  新羅人渡来 使役(百済池@n.a.[設計名称(石造方池)]造成)
   是以
建内宿禰命  📖軽嶋明宮
[16]大雀命/仁徳天皇(83歳)〜427年
  時天皇爲將豐樂@女嶋幸行 嶋鴈生卵
   召
建内宿禰 以歌問鴈生卵之狀 

[8]大倭根子>日子國玖琉命/孝元天皇 📖毘古毘賣用語への拘り
└┬△伊賀迦色許賣命(娶内色許男命の女)
○比古布都押之信命
└┬△山下影日賣(木國造の祖/宇豆比古の妹)
┼┼○建内宿禰
┼┼└┬△n.a.
┼┼┼(7男2女で、他の6男子は宿禰。)
┼┼┼○葛城之曾都毘古…祖:玉手臣 的臣 生江臣 阿藝那臣 等
┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼
┼┼[16]大雀命/仁徳天皇 📖難波之高津宮
┼┼
┼┼└┬△石之日賣命
┼┼┼[17,18,19]

 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME