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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.12] ■■■
[101] 虚見津であって空満ではない
大倭豊秋津島だからこその、枕詞「蜻蛉(=秋津)島」であるのは明らか。📖枕詞「蜻蛉島」考

この枕詞だけで、十分と思っていると、「古事記」の歌にソラミツという語彙が使われている。

枕言葉は次の語彙に連続する慣用句を指すのだろうから、原則5音(あるいは7音)であるべきだ。にもかかわらず、"そらみつ"は4音で異端。5音に変えようとしたのではないかと思われる歌もあるものの、そうはいかなかったようだ。

そもそも、枕言葉は、一種独特な時空感覚の広がりを感じさせることに意味がありそうで、それが人々の感興を誘い、被修飾語をことさら強調できると言うことで発達したものだと思われる。その機能からすると、字足らずは若干興ざめだが、それでもかまわぬということだろうから、極めて古い時代に成立した詞の可能性もあろう。

もともと、枕詞は地名から始まったようにも思えるし。
人名を直接口にすることを憚る社だから、、地名を代替的に用いていた訳で、当然ながら、それに賛辞的な言葉を付け加えるのは、ほぼ礼儀に近かろう。
"そらみつ"は、そんな特定地名への賛辞が定番化して、熟語化したと考えてよいのでは。

ただ、ソラミツの場合は、厄介なところがある。「空満」と「虚見津」という、どう考えても違うイメージの2種類が存在しているからだ。
もっとも、そのお蔭で、気付かされるところもある。高天原と葦原中国の交流ができる世界を当初から設定している「古事記」の考え方からすれば、見下ろすと見上げるの構造になるから、空に満つるという概念は理解し難いからでもある。
このことは、「古事記」とは対立的だが、中華帝国的な天帝と天子の間に空間ありきと同様な考え方も存在していることになる。それが、「日本書紀」的観念なのかはわからないが。

ただ、「古事記」では、ソラミツは見下ろすと見上げるの構造から出る詞として、"秋津"の代替的に使うことになろう。大倭豊秋津島の亦の名は天御虚空豊秋津根別なのだから。
"あきづ"地名譚
  何に負はむと そらみつ[蘇良美都] 倭の国を 秋津洲[阿岐豆志麻]と云ふ

それに、海神が、山幸彦の名前を虚空津日高と指摘しており、それは天孫の意味であることは明らか。・・・
[別天津神五柱/造化三神初]御中主神
 :
[別天津神五柱5]之常立神
 :
[神世七代7]伊邪那岐命+伊邪那美命
[皇祖神@高天原]照大御神
[誓約五皇子長男]正勝吾勝勝速日之忍穂耳命
[日向1]津日高日子番能邇邇芸命
[日向2]津日高日子穂穂手見命/火遠理命/山幸彦虚空津日高
[日向3]津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
    《註》天津=高天原所属 日高=男性 日子=太陽の子
[初]神倭伊波礼毘古命[神武(始馭天下之)]天皇📖畝火 白檮原宮
 :
[29]国押波流岐広庭[欽明]天皇📖師木島大宮
  (26継体天皇[+手白香皇女]皇子)
  (30〜33=子 34=孫 35/37,36=曾孫)
  (38,40=34+35/37子)

ところが、これとは対立的な概念の虚空津比売命が記載されている。天皇とはかなりの遠縁であり、どう見ても息長氏系であるにもかかわらず、同じように呼ばれているのだ。
[9]若倭根子日子大毘毘命/開化天皇📖春日之伊邪河宮
└┬△意祁都比売命(丸邇臣先祖 日子国意祁都命の妹)
日子坐王
└┬△袁祁都比売命(近江 御上祝 が斎 する天之御影神の息女[妹])
┼┼├┬┐
┼┼山代 大筒木真若王
┼┼│〇比古意須王
┼┼伊理泥王
┼┼└┬△丹波能阿治佐波毘売(同腹弟 伊理泥王の息女)
┼┼┼迦邇米雷王
┼┼┼└┬△高材比売(丹波 遠津臣の息女)
┼┼┼┼息長宿祢王
┼┼┼┼└┬△葛城高額比売
┼┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼┼息長帯比売命
┼┼┼┼┼┼虚空津比売命
┼┼┼┼┼┼┼息長日子王(祖:吉備品遅君 針間阿宗君)
后達・御子達の倭建命御陵での葬送歌[今其歌者歌天皇之大御葬也]
  浅小竹原 腰難む 虚空[蘇良]は行かず 足よ行くな …枕詞とは言い難いが。
[16]大雀命/仁徳天皇が豊楽ということで、女嶋に行幸。
 その島では、鴈が卵を生むと聞いて、・・・📖鴈産卵の戯歌も収載
 【御製】
  たまきはる(魂極はる) 内の朝臣 汝こそは 世の長が人
  
そらみつ[蘇良美都] 倭の国に 雁卵産むと聞くや
 【建内宿祢】
  高光る 日の御子 諾うべこそ 問ひ給へ
  真こそに 問ひ給へ
  吾れこそは 世の長人
  
そらみつ[蘇良美都] 倭の国に 雁卵生むと 未だ聞かず

そもそも、ソラミツが有名なのは、なんといっても「萬葉集」冒頭の[21]大長谷若建命/雄略天皇御製。📖大悪有徳天皇の魅力を余す所なく記載
●[虚見津]… [「萬葉集」巻巻一#1]
《雜歌/泊瀬朝倉宮御宇天皇代[泊瀬稚武天皇]/天皇御製歌》
  籠もよ 美籠持ち
  堀串もよ 美堀串持ち
  この丘に 菜摘ます児
  家聞かな 告らさね
  
そらみつ[虚見津] 大和の国は
  おしなべて 我れこそ居れ
  しきなべて 我れこそ座せ
  我れこそば
  告らめ 家をも名をも


4音を5音にしたのが、コレ。
●[天尓満/虚見]… [「萬葉集」巻一#29]
《過近江荒都時 柿本朝臣人麻呂作歌》
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ [或云 宮ゆ] 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを [或云 めしける]そらにみつ[天尓満] 大和を置きて あをによし 奈良山を越え [或云 そらみつ[虚見] 大和を置き あをによし 奈良山越えて] いかさまに 思ほしめせか [或云 思ほしけめか] 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる [或云 霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる] ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも [或云 見れば寂しも]

●[虚見通]… [「萬葉集」巻五#894]
《好去好来歌一首[反歌二首] 天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室》
神代より 言ひ伝て来らく そらみつ[虚見通] 大和の国は 皇神の 厳しき国 く 言霊の 幸はふ国と語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと] 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ

●[空見津]… [「萬葉集」巻十三#3236]
《雑歌》
そらみつ[空見津] 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を

●[虚見都]… [「萬葉集」巻十九#4245]
《天平五年贈入唐使歌一首并短歌》
そらみつ[虚見都] 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に 任けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして さし寄らむ 礒の崎々 漕ぎ泊てむ 泊り泊りに 荒き風 波にあはせず 平けく 率て帰りませ もとの朝廷に

●[虚見都]… [「萬葉集」巻十九#4264]
《勅従四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使藤原朝臣清河等御歌一首并短歌》
そらみつ[虚見都] 大和の国は 水の上は 地行くごとく 船の上は 床に居るごと 大神の 斎へる国ぞ 四つの船 船の舳並べ 平けく 早渡り来て 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は


【註】
「日の本の」も大和の枕詞とされているが、天平時代の作者の歌だし、大和というよりは日本国で、「古事記」とは時間軸上で離れている。
●[日本之]… [「萬葉集」巻三#319]
《詠不盡山歌一首并短歌 右一首高橋連蟲麻呂之歌中出焉 以類載此》
なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
もう一つは、「高敷かす」。
●[高敷為 ]… [「萬葉集」巻六#1047]
《悲寧樂故郷作歌一首并短歌 右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也》
やすみしし 我が大君の 高敷かす 大和の国{日本國]は すめろきの 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に 桜花 木の暗隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 生駒山 飛火が岳に 萩の枝を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと 思へりし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を 新代の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも
國學院大学のサイトによれば、<高敷く=高知る+太敷く>だそうで、以下の歌の表現がそれを示しているらしい。
〇[太高敷きて]… [「萬葉集」巻六#928]
《冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌》
おしてる 難波の国は 葦垣の 古りにし里と 人皆の 思ひやすみて つれもなく ありし間に 続麻なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経の原に もののふの 八十伴の男は 廬りして 都成したり 旅にはあれども
それは、宮のイメージから来ているとのこと。
大国主命 根の国脱出
於宇迦能山之山本、於底津石根宮柱布刀斯理、於高天原冰椽多迦斯理而居、是奴也。
国譲り
唯僕住所者、如天神御子之天津日繼所知之登陀流天之御巢而、於底津石根、宮柱布斗斯理、於高天原氷木多迦斯理而、治賜者、僕者於百不足八十坰手隱而侍。
天孫降臨
朝日之直刺國、夕日之日照國也。故此地甚吉地詔而、於底津石根、宮柱布斗斯理、於高天原、氷椽多迦斯理而坐也。

さらに、"小楯"も枕詞と考える場合もあるようだ。郷レベルの特定の地域を指すための言葉のように思えるが。
磐之媛の歌
つぎねふや 山代川を 宮上り
我が上れば 青丹吉 奈良(那良)を過ぎ
小楯 倭(夜麻登)を過ぎ 我が見が欲しくに(久邇)は
葛城(迦豆良紀)高宮(多迦美夜) 我家の辺り


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