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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.21] ■■■ [171] インターナショナル視点での南海海神 上巻の終わり近くになると海彦山彦譚になる。皇統譜に南島域の綿津見大神が加わってくる訳だ。神生みでの海神、誓約での安曇祖神と同じ綿津見と記載されているが、同類表記であるものの、瀬戸内・玄界灘・南島域の違いがあると見ることもできよう。 南島域の海神の宮の位置は不詳だが、倭の領域最南端(隼人・熊襲+屋久島&種子島)のさらに先の、奄美〜沖縄〜先島辺りと思われ、九州と南島の繋がりがあったことを示していると見てよいのでは。しかしながら、場所を特定できそうな記載が無いこともあり、ここらの話は余り注目されてこなかったようだ。
今でこそ、ビーチコーミングという用語が通用するが、「今昔物語集」編纂者のような例外的知識人を除けば、かつてはそのような話は見向きもされなかった。一般人には、それこそ椰子の実が知られていたように、漂着物など、たいして珍しくもない情報だったに違いないというに。南島の存在は人々に遍く知られていた筈なのであるが、文献主義に染まっているとそんなこと露とも思わずになってしまう。
漂着物で、南島の存在を知っているからこそ、南島からの渡航者の強固な意志と類まれなる実行力を称賛することになるのである。 ここらのセンスを持てるかで、海神の宮訪問譚の意義は大きく変わってくる。他の譚に比べ、漢語調的に仕上げているように映るが、土着した海人のビーチコーミング習慣を知っていると、こここそ倭の観念を示す箇所と気付く筈である。
と言うのは、南島の漂着物こそが生命力の源泉と見られていておかしくないからだ。・・・ 倭人は葦牙に霊威を覚えた訳だが、それは、芽ぶに対する感慨と言ってよいだろう。しかし、一般的な芽ぶきに感動を覚えるというのは、現代人の教養主義でしかない。倭人が感動を覚えたのは、南島から漂着して来た草の種の生命力。葦の種は漂着地で、あっと言う間に繁茂するからだ。
南島海人も同じである。遥か彼方から、想像を絶する困難を克服して倭に渡来。その超能力に感じ入っていったということ。 そんなことを人々に思い起こさせてくれたのが、柳田国男[「海上の道」海神宮考@青空文庫]である。
と言うことで、南島の信仰がどのようなものかじっくり見たいところなれど、残念ながら難しい。 島毎に、方言を越える言語表現の違いがある上に、伝承譚の原初は同一そうに見えても内容が相反していたりするなどバラバラだからだ。全体を俯瞰的に眺めて、標準モデル譚は作れそうにないし、収集が新しいものが多く、そこに何が混ざっているのか確かめようがないこともあるし。(インドネシアや大陸のように、信仰破棄に至ってはいないので、祭祀者による伝承が残っているとは言えるものの。)もちろん、古い文字資料といっても、琉球王朝期のモノ。
こうした実情を踏まえると、勝手な推測で綿津見大神信仰を考えてみるしかなかろう。・・・
先ず、ワタだが、現在も行われている海神祭祀次第を眺めると、地域によっては、"綿"という言葉も使われていたりするようで、それが倭からの影響とも思えないから、用語として生き残っていると言えるのかも知れない。 <海神祭> 海ガ主 or 儀来 | |