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■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.9] ■■■
[220] 眞賢木・麻都婆岐(真椿)・柃・眞拆
「古事記」登場の植物を正面から取り上げると、どうしても雲貴高原の照葉樹林文化圏(日本列島の照葉樹林はほぼ絶滅。)が気になってくるので、最初に一言。・・・
植物学者が原種近縁のバラエティ度を探索結果に基づいて、栽培稲の原産地が雲貴高原との説が一斉風靡したものの、ほぼ確実に間違いということが判明している。
同じく、この地域に多い高床式住居にしても、建築学的に熱暑湿潤気候地なら、高床で長い建物の過ごしやすさは抜群であるのは常識で、雲貴高原の特徴を示しているとは言い難い。
どうでもよい話だが、これらを情緒的イメージとして打ち出すことで、照葉文化圏の実在性を訴求したがる風潮があるのはご存じの通り。話として面白いが、照葉文化圏に覇権国があったとの記録が無い以上、文化の発信地として喧伝するのは無理がありすぎる。

しかし、「古事記」を読めば、海人が造り上げた倭国に、海人としての照葉樹林文化が存在しているとしか思えない。しかも、それは現時点まで脈々と受け継がれているのも事実。
倭国の孤高の文化である訳もなく、その源泉は一体何なんだということになるのは当たり前である。

信仰や儀式が長期に渡って受け継がれることは珍しくもないとはいえ、倭国に於ける特筆モノは、、生活上に格別大きな役割を果たしているとも思えないし、脅威を及ぼすとも考えられない、広葉=照葉樹を神聖視している点にある。天竺の牛やコブラとか、価値ある実を提供したり日陰をつくってくれる木木とは訳が違うからだ。

その辺りをしっかりと検討してもらっていればよかったが、情緒的なお話の世界で語る方向に進んでしまったので、今更どうにもならない。残念ながら、もう雲貴高原の伝承文化は変質してしまったし、東南アジアの少数民族もプロテスタントの波に洗われてしまったので、残念ながら、古代を知る手がかりは残っていない。

出来ることと言えば、「古事記」のファクトを眺めておく位である。・・・

いちさかき/ヒサカキ/姫榊/柃木
    《久米歌①@[初]神武 📖久米部歌謡こそ和歌原型
  爾卽控出斬散 故 其地謂"宇陀之血原"也然而
  其弟宇迦斯之獻大饗者悉賜其御軍 此時歌曰:

 宇陀の高城に 鷸羂張る
 吾が待つや 鷸は障らず
 いすくはし 鯨障る

 先妻が 肴乞はさば
  立ち柧棱の実の無けくを こきし聶ゑね 📖実が乏しき三角錐"団栗"
 後妻が肴乞はさば
  [いちさかき]実の多けくを こきだ聶ゑね
 "疊々" しや越や 此は威のごふぞ
 "疊々" しや越や 此は嘲咲らば。
歌の通り、ヒサカキは確かに実を多く付けるそうだ。見慣れない漢字だが、中国名である。西太平洋沿岸部からマレー迄、温帯〜熱帯の樹林に様々な種が存在しているから、標準表記なのだろう。海岸柃とも呼ばれ、この一帯の海人には見慣れている樹木の筈。
実は染料には使えるが、低木のことが多く、生活上重宝する木とは思えない。倭語から見て、榊の代用の位置付けのように映る。

さて、そのサカキだが、俗に、"境の木"とか"栄の木"と言われているが「古事記」は"賢木"。さらに、冠敬称として"真"をつけている。神祇祭祀用の必須な樹木ということのようだ。
(ま)さかき/真賢木/楊桐/榊/紅淡比
   《天石屋戸譚》
  天香山之 五百津眞賢木矣根 許士爾許士而
根っこごと移植して来ることで、垣根的シンボルを設置したのかも。城塞的構造物をできる限り避け、垣根を多用していたからか。

このすぐ後で、マサキが登場するから、両者を峻別していることがわかる。
まさき/真拆/正木/柾/冬衞矛
   《天石屋戸譚》
  天宇受賣命 手次繋天香山之天之日影 而
  爲𦆅天之眞拆 而 手草 結天香山之小竹葉 而
こちらは、相対的には軽い扱い。簡単なオーナメント。
読み文字選定は乙なもの。芽がある小枝を引き裂いて挿し木にすると殖やすのは容易な木だからだ。常緑というか、冬青の代表低木であるから垣根用には最適。それを考えると、真青木が原義だったように思えてくる。

しきみ/樒/櫁/梻/毒八角/日本莽草 📖日本の製香木
有毒だが、仏教の葬儀用定番。当然ながら、「古事記」には登場しない。

つばき椿/海柘榴/山茶花 📖山茶表現に見る和的体質
上記の照葉木類に属すが、大きく異なっており、花木として愛されている。当て字も、海沿いの地の柘榴であり、大陸ではツバキ相当植物対応樹木が無く、花の色イメ−ジが同じということで選ばれたようだ。しかし、生活上の有用性も申し分なく、鑑賞用というよりは実用樹木である。
仏教信仰者が好んだ供華用樹木とされたのは間違いないので、現代までその影響が残っていて古代イメージが分かりにくいが、仏教伝来以前から、人々が畏敬の念で接していた樹木である。
実際、考古学的に、櫛材として古くから使われていたことが知られている。繊細な加工であり、スキルと道具が不可欠だから、特別高貴な聖なる品物であったと言えよう。(黄泉の国での灯りとなった櫛材は竹か椿だろうし、須佐之男命が娶った櫛名田比賣の櫛材は椿の可能性が高そう。)おそらく、椿材は他の道具にも使用されていたことだろう。
それに、実には豊富な油が含まれており、利用していない筈がない。木灰も媒染剤として使われており、利用価値の高い樹木である。
  問答歌 [「萬葉集」巻十二#3101]
  紫は 灰さすものぞ 海石榴市の 八十の街に 逢へる子や誰れ

こうした有用性ほど有り難いことはなく、樹霊に対して尊崇の念が生まれていない筈はないが、「古事記」記述からすると、そのレベルを突き抜けている信仰対象のようで、神聖の極みという扱いだ。「荘子」内篇逍遙遊第一の言う長寿の木の末裔といったところか。常磐木の原点ここにありなのだろう。
  上古有大椿者,以八千歲為春,八千歲為秋,此大年也。
尚、大陸で椿樹と言えば"香椿/チャンチン"を指す。("山茶"は唐代の新語。皇帝は全植物をも統治するようになったため。)倭の特産品のツバキとは全く異なるので、日本国語辞書的には、椿は国字とされることになる。("大椿"由来と見なさないことにしたのである。)

ともあれ、大和の大王の権威のシンボルとされていたようで、皇后が天皇を椿に見立てることが、寿ぎとなるのである。・・・

    《皇后嫉妬の八田若郎女譚@[16]仁徳
  此時歌曰・・・
   烏草樹を 烏草樹の木 📖小小坊登場には仰天
   其が下に 生ひ立てる 葉広斎つ真椿[都婆岐]・・・

   《長谷之百枝槻下爲豐樂之時譚@[21]雄略
  天皇坐長谷之百枝槻下 爲豐樂之時・・・
  ・・・(采女歌)📖欅は高木信仰を引き継いでいるのでは
  爾 大后歌
  其歌曰:
   倭の 此の高市に
   小高る 市の司 新嘗屋に
   覆ひ樹てる 葉広 斎つ真椿[都婆岐]
   其が葉の 広り座し
   其の花の 照り座す
   高光る 日の皇子に 響みて
   奉らせ 事の 語り事も 此をば

701年の行幸でも、椿は天皇寿ぎとして詠まれており、慣習化していたようだ。
大寶元年辛丑秋九月太上天皇(持統)幸于紀<伊>國時歌 坂門人足[「萬葉集」巻一#54]
  巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を

何故にこれほどまでに椿を重視するか、つらつら思うに、1つしか理由はなさそうだ。・・・椿油こそ戦略資源そのもだったから。
鉄器は貴重。しかし、おそらく現在より錆びやすい材だったろうから、防錆できるか否かは王権維持にとって死活問題だったに違いない。倭では、椿油あっての鉄器の時代があったことになろう。それは、持統天皇代あたりで終わったと見てよさそう。

--- 分岐的分類 ---
ツツジ系
 ツバキ科(ナツツバキ属,ヒメツバキ属,ツバキ属,…)
 モッコク科(サカキ属,ヒサカキ属,…)
バラ系
 ニシキギ科(ニシキギ属[ニシキギ,マサキ,マユミ,…],…)
古代系
 シキミ科 or マツブサ科シキミ属
--- 外見的分類 ---
ツバキ類
 モッコク
 ツバキ, チャ, サザンカ
 ヒメツバキ
 ナツツバキ
 タイワンツバキ
 サカキ
 ヒサカキ
モクレン類
 シキミ オガタマノキ ユリノキ モクレン


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