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■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.29] ■■■
[362]淡道国特別視の理由
どうして、淡道国が特別視されるのだろう。📖屯家/三宅の意味
 ⓮帯中津日子天皇/仲哀天皇…此之御世 定 "淡道"之《屯家》也
気になるので、見返して、考えることにした。

倭国発祥の地という観念があるようで、"阿波島"に思いを寄せるということか。・・・
 ⓰大雀命/仁徳天皇📖
<帰郷した妃【K日賣(吉備海部直の娘)】を追いかける>
[歌54]
押し照るや 難波の前由 出で発ちて 吾が国見れば 阿波島 淤能碁呂島 蒲葵の 島も見ゆ さけつ島見ゆ
<超大木製の船を造り、その廃船材で琴を作成>
[歌75]📖高速船"枯野"の記載遊び
枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の海石に 触れ立つ 水浸の木の さやさや

この高速船は淡路島の御井宮から難波の宮へと、毎日水を運ぶことに意味があったようで、どうしてそこまで拘るのか、理由が判然としないが、天皇の要求は厳しかったようだ。明石でも類似の伝承が残っているからだ。
「古事記」は宮からなら、大阪湾岸を南行し、狭い海峡を横断するルートと推測されるが、こちらは湾岸西行で、明石海峡手前の湊を目指すことになる。どちらも、アウトリガー船を用いて、干満潮の激流に乗って航走するという危険承知での超高速運行を実現したのだろう。📖[私説]カタマランをもご存じ
(尚、高木の影が島まで届く訳がないという見方だらけだが、これは海人感覚に反していている。朝焼けや夕焼け時には、特徴ある丘に建つ高木は灯台のようなものだからだ。陸の地形を確認しながらの沿岸航海者にとっては、イの一番に覚える必要がありのが、目印である。太陽を背にした木の陰を見ることで脳裏に丘の形を焼き付けるのが常道。従って、島に影が届くという意味は、快晴であれば、島から、宮地域にある目印の丘が確認できるというに過ぎない。陸上側でのこうした"影"も同様に重要である。河川で眺望が良い箇所は河岸の状態や流れ自体も毎年大きく変わるので、支流や湊に迷わずに入るためには、山の風景を覚えておく必要があるからだ。)

 播磨国風土記曰:
 <明石驛家>駒手御井者 難波高津宮天皇之御代 楠生於井上
 朝日蔭淡路嶋 夕日蔭大倭嶋根
 仍伐其楠造舟 其迅如飛 一檝去越七浪 仍號速鳥
 於是 朝夕乘此舟 爲供御食 汲此井水
 一旦不堪御食之時 故作歌 而 止 唱曰:
 住吉之 大倉向而 飛者許會 速鳥云目 何速鳥

  住吉の 大倉向きて 飛ばばこそ 速鳥と云はめ 何そ速鳥
     [「播磨国風土記(逸文)」@「釋日本紀」巻八]

明石川とその西の賀古川の河口に湊があり、瀬戸海航路の拠点として重視していたのだろう。駒手御井の楠が明石郡と考えるのは、蔭の方向を考えると無理だろう。御下賜船で運航したのだと思われる。明石⇔住吉の超高速運行が毎日行われていたことになり、航路インフラ構築を最重要視する政権だったといえよう。御製歌からすれば以下の3本の航路を基幹と見なしたことになる。
  高津宮@難波⇔淡道⇔吉備
  児島⇔大渡@難波⇔木国
  堀江@難波⇔山代


上記で見ているのはあくまでも、16代の政策である。14代も同じ感覚で淡路島を見ていると考えてよいかは何とも。
14代は、国内平定の意向が強かったようだから、"嶋生み"の観念が基底にあってもおかしくない。・・・名称は"淡道之穗之狹別嶋"だが、神名的な別名が無く、長くなった神名に嶋を付けたようにも映り、特別扱いされていると言ってよさそうだし。
どうして、小さな島で農業生産力も僅少にならざるを得ないというに、そこまで重視する必要があるのかは、「古事記」文脈からは読み取れない。実際に小国扱いされていたのは間違いないし、前方後円墳が見つからないから政治的有力者も存在していたとは思えない。
ところが 、三角縁神獣鏡、銅鐸、銅矛が出土しているから、存在感が無かった訳ではないのである。

実際、3代の孫に当たる和知都美命の"御井"宮が存在しているとされているし。しかも、その御子は7代の妃となり、吉備地区を平定した兄弟の母でもある。
淡路島は経済力を欠くものの、潮読み能力が優れた海軍力が突出していたのかも。経済力のある大和地区との強固同盟体制によって瀬戸海域の航路支配を目指したのだろう。・・・
 大吉備津日子命 與 若建吉備津日子命
  二柱相副 而 於針間氷河之前居忌瓮
  而 針間爲道口 以言向和吉備國也

要するに、海人の国と規定している倭国の創成譚に係わる特別な地なのだろう。伝承譚が無くて宮が存在する道理がないが、すでに霧散していたのだろうか。

❸師木津日子玉手見命/安寧天皇
└┬△阿久斗比売(2代神沼河耳命の妃河俣毘売の兄である県主 波延の娘)
├┬┐
○常根津日子伊呂泥命
┼┼❹大倭日子鉏友命/懿徳天皇
┼┼┼○師木津日子命
┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼(稲寸の祖:伊賀国須知, 名張, 三野)
┼┼┼┼┼△和知都美命@淡路 御井宮
┼┼┼┼┼└┬○n.a.
┼┼┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼┼┼△蝿伊呂泥/意富夜麻登久邇阿礼比売
┼┼┼┼┼┼│△蝿伊呂杼
┼┼┼┼┼┼││
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❼大倭根子日子賦斗邇命/孝霊天皇
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│├┬┬┐┼┼
│△夜麻登登母母曽毘売命
○日子刺肩別命(祖:高志利波臣, 豊国国前臣, 五百原君, 角鹿海直)
┼┼比古伊佐勢理毘古命/大吉備津日子命(祖:吉備上道臣)
┼┼┼△倭飛羽矢若屋比売
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└┬─────┘
├┐
○日子寤間命(祖:針間牛鹿臣)
┼┼若日子建吉備津日子命(祖:吉備下道臣, 笠臣)

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