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■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.27] ■■■
[542]「古事記」が倭語を護った
小生は、太安万侶はインターナショナルな状況を認識していた知識人と見る。おそらく仏僧とのサロンも開いていたに違いない。そうでなければ、「古事記」編纂が可能だったとは思えないからである。

背景的には、こんなことを考えている。・・・

釈尊が呪術を容認していた唯一の分野が毒蛇除け/解毒。経典的には、コブラの天敵たる孔雀の神格たる明王信仰の書に当たる。(上座部経典のジャータカにも登場する。)📖大乗仏教として大いに発展した経典で、疾病平癒祈祷へと敷衍しただけでなく、仏教概念の三毒から逃れるための信仰の証としての呪とされたようだ。真言マントラによる密教の厄払い秘儀に進む切っ掛けと見てよさそう。(陀羅尼は「金剛経」や「法華経」の護持仏僧用護身呪であるから、出自はかなり後世だろう。)
核となっているのが<呪>なので、他の経典とは根本的に異なっている。

<呪>の漢語意訳はできかねるので、音素表現漢字使用必至である。従って、漢字を用いてどのように音素表記するかは、この<呪>の漢文翻訳を見ればわかることになる。

しかし、太安万侶は、この音素文字表記方法を参考にしていないようだ。日本の密教僧とそこらは軌を一にする。
(中華帝国では、天子命で、渡来経典は全て翻訳漢籍化させる。完成時点で経典は天子の管轄、つまり官僚統制下に置かれ、その後、原経典は抹消される。
ところが、日本の仏僧は当初からそのような方針は唾棄すべきと考えていたようだ。貝葉経典が残存しているし、密教の呪はあくまでも梵語であって、真言と呼ばれ、僧侶訓練用ルビが振られることはあるにしても、翻訳されるものではない。)

  帛尸梨蜜多羅:「大金色孔雀王呪経」317年
    「今昔物語集」からすると、役行者が持ち込んでいそう。
  653〜669年:遣唐使5回
  670〜701年:遣使中断(704/707/717/718年帰国)
  (鳩摩羅什:「孔雀王呪経」)…編纂か翻訳か明らかではない。
  義浄[635-713年]:「大孔雀呪王經」@705年[武則天期]
  「古事記」@712年
  「日本書記」@720年
  不空金剛[705-774年]:「佛母大孔雀明王經」…陀羅尼

ここらは実は重要なところ。

倭語を文字表記する場合、表意文字であり表音文字でない漢字でも可能かという問題が浮かびあがるからだ。
  📖経典文字に抗してきた日本語

すでに述べたように、太安万侶の見出した方法論は、傑出している。
  📖太安万侶が提起した倭語の独自性
  ○倭語表記のために
   渡来音素文字を移入すべきではないが、
   倭語の仮想音素文字は確定する要あり。
後に明示的になる、50音のような概念を打ち出した訳だ。

そして、その仮想音素文字に対応する漢字は措定することが可能であることを示したのである。これによって、倭語消滅は避けられるということで。

何故に、仏僧とのサロンの存在に拘るかと言えば、それなしには以下のようなモノの見方ができるとは思えないからだ。

すぐにわかると思うが、中華帝国とは幻想上の漢民族を形成することで、天子独裁-官僚統制を図る仕組みになっている。儒教の宗族第一主義を活用して、大兵力を組織化することが可能なので、その武力で民族圏を拡大していくことになる。その拡大を支えるのが、統治用言語たる漢語。表記言語であるため、この使用強制は難しくないので、武力的優位性が確認できれば中華圏拡大はなんの困難性も無い。
その結果が、漢民族の複数言語併存状況。これは方言ではなく、隷属した民族が母語を官製の漢字表記に合わせた結果そのもの。こうした変化を推進させる科挙制度を嫌っていた著者の「酉陽雑俎」によれば、漢民族内に異なる文字も存在していた可能性さえある訳で。ただ、中華帝国官僚がそのような残渣を黙認放置することはないから、一切存在していなかったことになる。
つまり、公式言語を漢語として、中華圏に入り込んでしまうと、ゆくゆくは漢族となるしかないのである。
例えば、北方のツングース系語族は、今では何処に集落があるのかさえ知られていない集落にかろうじて残るのみ。関連すると目される満州族は清王朝を樹立したが、今や実質的には漢族である、満州語は消滅していると云って間違いない。蒙古族も元王朝樹立の歴史を持ち、セム系のアラム文字まで使っていたのが、漢族しかかったのはご存じの通り。ソ連の属国化方針でその方向にいかなかったに過ぎまい。
大陸東北部の民族の独自言語はほとんど消滅しており、その過去を探ることなど不可能なのである。一度、漢語を公的な地位に付ければ、バイリンガルが統治支配階層になってしまい、中華帝国中央との一体化も進むので、権謀術数で栄達を図る官僚によって、国家基盤が壊れていくだけのこと。

南方に至っては、<シナ・チベット・ビルマ語族>という見方は、ほとんど意味がないと思う。漢語と雲南〜ビルマの少数民族は、文章構造が全く違っており、後者は日本語と似ている上、部族によっては生活風習の同一性も半端なく(絹生産・焼畑陸稲栽培・餅食・麹酒/納豆・歌垣)、研究者から注目されている訳だが、そのようなことを知りながら語族として大きくまとめる手法は大いなる疑問である。これは北方で滅亡した民の言語と同様な状況に陥ったことを意味していると考える方が自然だ。公的言語として漢語を導入し、バイリンガル体制を敷いたため、社会的に部族をまとめる力を喪失したことになろう。
おそらく、もともとトリリンガルが普通で、文字無しの社会だったとことに、別途、外交標準として漢語が加わり、それで社会が保てると安易に考えた結果が没落ということになる。漢族化を拒否するなら、音素文字導入しかなく、それはまず間違いなく改宗の道を歩むことになるから、文化の継承は表層的な風俗のみとなろう。

「古事記」の凄さ、おわかりになっただろうか。

漢語をバイリンガル的に公的言語に取り入れ、母語の表記方法を持たないと、その言語は漢語語彙中心の訛りが強いピジョン言語化が進んでしまいうということ。
日本語は、表意文字を表音文字としても使うという離れ業で、それを防いだことになる。漢語語彙はいくらでも使えるが、ピジョン言語化の道は歩まずに済み、母語の伝統を引き継ぐことができたのである。

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 (亞蘭アラムAramaic)…セム系
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  <雲南〜ビルマの少数民族の注目例>
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克倫カレンKaren@[緬]東部山地
●カチンKachin@[緬]怒江
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