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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.5] ■■■
[581]漢語のママ持ち込みも
「万葉用字格」≪久部≫≪古部≫には、明らかに倭語とは思えないとの判定で、<功>も<五位>も収録されていない。
  比来之 吾戀力 記集 功尓申者 五位乃冠
  このころの 我が恋力 記し集め くうに申さば 五位ごゐの冠 [巻十六#3858]

・・・アハハ!歌だが、現代でも、このような女性にご熱心な御仁はおられる訳で、振られた回数は勲章ものと云われたりするから、戯歌の題材としてはほぼ定番の部類だったかも。
<功>
  [呉音]
  [漢音] コゥ
  [訓] たく-む/たく-み いさお 等々

太安万侶は殿上人たる五位であるが、「古事記」本文の漢字表記倭文にはこの用語は使われていない。必要とする話がなかったというより、直輸入官位は叙事詩にふさわしくないということだろう。
もちろん数字として五は使われている。📖千五百や五十の意味

しかるに、<功>の方はまさしく漢語そのママ(以勞定國也@「説文解字」)で使われているようだ。下巻でもあるし、功績に対しては報いるべきという統治機構の鉄則について書いておきたかったのだろう。思わず"労苦而功高如此 未有封侯之賞"@鴻門之会を想い起させる。・・・
⑰天皇段
 曾婆訶理 爲吾雖有大<功>既殺己君是不義
 然 不賽其功可謂無信
 既行其信還惶其情
 故 雖報其<功>滅其正身

もっとも、<功>はもう一カ所使われており、皇位継承を兄弟で譲り合うのだが、功あるから弟が皇嗣にという論旨。一見、儒教的徳の世界の譲り合い精神の発露談に映るが、儒教的秩序は長子継承が鉄則。もっての他の動きである。一方、倭の古代慣習からすれば末子相続であり、功はなんら関係しない。おそらく、「古事記」成立時の朝廷は儒教的官僚秩序の導入期で、こうした道徳が持ち込まれていたのだろう。・・・
㉒天皇段
 住於針間志自牟家時
 汝命不顯名者 更非臨天下之君
 是既汝命之<功>

「萬葉集」巻十六【有由縁井雑歌】@藤原京〜平城京は倭語でない語彙が並んでおり実に参考になる。
一二いちに之目・・・五六三ごろくさむ・・・雙六すぐろく@#3827
  雙六すぐろく@#3838  📖六は軽視されている
かう塗流たふ@#3828[呉音:キャウ] (stūpa)
力士りきし@#3831  
📖力士をどう読んだのだろう
佞人こびひと之友@#3836…(ねいじん:邪曲で奸智な諂う人)
餓鬼がき@#3840…(preta薜茘多)
ぶつ@#3841…(buddha佛陀 or 浮図ふと)
法師ほふし@#3846…(bhikkhu比丘[乞食者]沙門しやもん法師のりのし)
檀越だにをち・・・課役えだち@#3847…(dāna-pati檀那_[[施主])(課役かやく) …<課伇>
📖租税について倭の特徴を喚起
無何有むがう乃郷・・・藐孤射まこや能山@#3851…(無何有むかう 藐姑射はこや @「荘子」逍遙遊)
𫈇莢さうけふ@#3855𫈇莢さいかち[蛇結茨ジャケツイバラ]
波羅門ばらもん@#3856…(brāhmanaブラーマン)

「萬葉集」他巻も加えておこう。・・・
布施ふせ[巻五#906]
過所くゎそ[巻十五#3754]…関所通行証@六朝〜唐(<其過-所以-者>とは語彙が異なる。)
朝参てうさむ[巻十八#4121]…(みかどまいり)

歌は雅とされていたと習うが、「萬葉集」では戯歌を中心に漢語が直接的に持ち込まれている。それらの音の収載を"決然"として拒否するのが、本居宣長弟子筋の僧侶ということになる。官僚と仏僧にとっては普段使いの語彙だろうから、そこまで拘る必要もない気がするが。
一方、太安万侶は倭語を文字表記したとしながら、"平然"として、<功><課伇><力士>を持ち込んでくる。いずれも直輸入的漢語と違うか。
なかなか面白い。

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