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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.26] ■■■
[602]鮪と大魚と揶揄するしかなかった
「古事記」所収113首の歌の最後の方を飾る歌々(#106〜#111)を再度とりあげることにした。📖下巻末23代天皇関連所収歌9首検討
歌垣と記載されてはいるが、一般的な意味とはかなり違っていると思われるので、さらに書き足しておかねばと思い。📖[補足]歌垣について

その6首は以下のように並べられている。・・・
故 將治天下之間
平群(大和国平群郡)臣之祖名
志毘臣 立于歌垣
┼┼大倭根子日子國玖琉命
┼┼├───┬△內色許賣命[穗積臣等之祖内色許男命の妹]
┼┼├──┬─△伊迦賀色許賣命[内色許男命の女]
┼┼└┬△河內青玉之女名波邇夜須毘賣
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼比古布都押之信命
┼┼┼┼┼└┬△山下影日賣[木国造祖の宇豆比古の妹]
┼┼┼┼┼┼建内宿祢 📖建内宿祢をことのほか重視している
┼┼┼┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼┼┼┼平群都久宿祢[平群臣祖]
取其袁祁命將婚之美人手
其孃子者菟田
(大和国宇陀)首等之女名大魚
爾 袁祁命亦立歌垣

於是 志毘臣歌曰
[歌106]【志毘臣】@歌垣経緯選んだ女に臣が手を出す
    大宮の 遠つ端手 隅傾けり
    意富美夜能 袁登都波多傳 須美加多夫祁理
如此歌 而乞其歌末之時
袁祁命歌曰
[歌107]【即位前天皇】@歌垣経緯嫌がらせに対抗
    大匠 拙みこそ 隅傾けり
    意富多久美 袁遲那美許曾 須美加多夫祁禮
爾 志毘臣亦歌曰
[歌108]【志毘臣】@歌垣経緯あからさまな敵対意識
    大王の 心を宥み 臣の子の 八重の柴垣 入り立たず有り
    意富岐美能 許々呂袁由良美 淤美能古能
    夜幣能斯婆加岐 伊理多々受阿理

於是 王子亦歌曰
[歌109]【即位前天皇】@歌垣経緯無礼な態度批判
    潮瀬の 波折りを見れば 遊び来る 鮪が端手に 妻立てり見ゆ
    斯本勢能 那袁理袁美禮婆 阿蘇毘久流
    志毘賀波多傳爾 都麻多弖理美由

爾 志毘臣愈忿歌曰
[歌110]【志毘臣】@歌垣経緯さらに強烈な敵愾心表明
    大王の 御子の柴垣 八結締まり 閉り廻し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣
    意富岐美能 美古能志婆加岐 夜布士麻理
    斯麻理母登本斯 岐禮牟志婆加岐 夜氣牟志婆加岐

爾 王子亦歌曰
[歌111]【即位前天皇】@歌垣経緯無礼千万と
    大魚吉 鮪突く海士よ しが有れば 心恋しけむ 鮪突く志毘
    意布袁余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿禮婆
    宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘

如此歌而鬪明各退


上記6首は歌垣での掛け合いとも言い難いところがある。

歌垣とは、あくまでも男性が思いの丈を歌にして女性に語ってこそのもの。それが一切語られていない。本来はオマケでしかない、 男性同士の角逐の歌のみ収録されているのが一大特徴。
(真剣さと、男性としての素晴らしさを当該女性に誇示することで、相思相愛を実現しようと注力する姿と、それを焦らす女性の対応こそが見せ場であって、三角関係でこじれている男同士が張り合い、最後にどちらかが女性を獲得するような場ではない。)

つまり、この記載では、男女間の掛け合いは恣意的に一切捨象されていることになる。(二人だけの間でかわされるものだが、コミュニティのイベントでもあるから公開されることになるものの、俗の行事であるから記録するようなものでも無いということだろうが。それに、恋を成就させるためには、決着が付くまで、歌の掛け合いが延々と続くことになるからとても記録どころではないということもあろう。)

ここで注意が必要。
袁祁命は、そのような素養としての、恋の手ほどきを得る機会が無かったと思われる。皇統維持のために皇嗣候補とされて召喚されただけであり、崩御した天皇と皇后が認めてはいるが、朝廷として積極的に動いているとは限らない。
換言すれば、大和の女性の眼で見て、袁祁命が輝いて見えるとは限らないということになろう。求婚したところで、易々成立とはいかない訳だ。
結局のところ、女性の手を取ったのは志毘臣であり、皇嗣候補が勝利を収めることはなかったのである。

こうした女性の争奪戦に於いては、力まかせの行動には何の効果も期待できず、いかに二人で恋心を語り合えるかが勝負の鍵。袁祁命は都に迎えられたとはいえ、そのようなことが可能なレベルに到達し得なかったことを物語っていると見ることもできよう。大和朝廷の文化と針間國志自牟で燒火小子だった生活には余りに落差があり過ぎ。そう簡単に適応できるとは思えない。

宮の軒が傾いているとの歌は、未だに鄙びた世界に生きていると揶揄しただけのこと。
どうせ、まともに規則通りの返歌も詠えまいと見なした筈だが、豈図らんや、即時に鋭い返球を喰らってしまい、皇嗣として認める訳にはいきませんとの本心を隠さずに対応することにしたのだろう。
そこで、すかさず、歌垣とは、人々の垣あってこそであり、女性を獲得する力もなく聴衆から見向きもされず、八重垣とは無縁ですなと徹底的に馬鹿にしたことになる。しかし、内容的には、臣下謀反の歌と見なされておかしくない。

そこまでされてしまったので、袁祁命はすかさず、志毘しび=鮪📖との揶揄で反撃。と云っても、歌垣としての掛け合いになっておらず、鳥でなく魚に例えるような、いかにも鄙の低俗下品な手だが、それしか思いつかなかったのだろう。
袁祁([略音][略音])命にはこの女性の出自も宇陀辺りとしかわかっておらず、名前は勝者にしか明かされないから、オミの妻となったオトメしか言いようがなく、大魚([略訓][正訓])という綽名でからかうしかなかったのと違うか。
最終的には、志毘臣は対抗歌を詠めなかったのだから、袁祁命から見ればスゴスゴ敗退させたことになろうが、呆れかえって馬鹿にされて終わったのが実情。
流石に、志毘臣も、[正音]祁命=大祁の影の[正訓][約訓]とか言い返すような手には躊躇があったろうし。
志毘臣を暗殺して、一気に即位にこぎつけたものの、この天皇段には事績記録はなにもなく、皇統断絶回避で招請されたにもかかわらず御子無し。大和國内で孤立している印象を与える記載と云えよう。大和内の勢力とは肌合いが全く合わなかった可能性が高そう。
この辺りは別途補足しておきたい。

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