→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.6.13] ■■■ [717]「古事記」の敬語[続] 現代分類とは感覚が異なる このことは、現代社会における敬称表記感覚とは違っていることを意味していそう。 ちなみに、現代日本語の敬語は2007年に5種と認定されている。・・・ 尊敬語 謙譲語 丁重語 丁寧語 美化語 おそらく、この見方で眺めては拙いということになろう。 倭語は相対状況で用いられる話語であり、「古事記」はその叙事版であるから、以下のような6+2階層からなる場の違いで異なる用語が使われていたと考えるのが素直な見方では。 社会的上位者存在(尊敬) 貴人・客人存在(謙譲) 師-愛弟子関係存在(礼儀) 要コミュニティ上層者扱い(上品) 要コミュニティメンバー扱い(丁寧) プレイン 要親近者扱い(卑近) 要徒弟扱い(粗野) <大御/御・命>はもっぱら固有名詞だが、敬語の肝は述部表現である。「古事記」のこの手の用語としては、以下の文字が該当していそう。・・・ ー"いる"系 ≪ 📖在有居坐は類語では無い 📖坐の用法(補遺) 「古事記」の常套文として、"○○神成坐"や"坐〜宮"と、各天皇段冒頭の"○○(天皇名)坐〜宮"がある以上、敬語の筈。ところが、現代語になると、 📖[歌_6] 📖[歌97] (<湯坐>という名称的な用字もあるし、名称にも使用されている。:日子坐王) ー"行く"系 ≪ 往来主主体表現動詞の< 📖[歌43] 2文字のことが多い。・・・ <幸行>・・・どうしてか現代人でも知る語彙の"行幸"では無い。 「萬葉集」にも用例。・・・[巻三#295]幸行處(いでましところ) <上幸><下幸><廻幸><還幸><直幸><入幸><出幸><到幸><登幸> 天皇に限定している訳ではないが。・・・[八千矛神]將婚高志國之沼河比賣幸行之時 [火遠理命]今天津日高之御子虛空津日高爲將出幸上國 [倭建命]自其地幸到三重村之時 [大后息長帶日賣命]整軍雙船度幸之時 [後の15]如此上幸之時 ⇔異義【 ≪ ≪ ー ≪ 常套文として、各天皇段冒頭の"○○(天皇名)坐〜宮"に続くのは"治天下也"。明らかに即位を意味している言葉だから、敬語と考えるべきだろう。現代語でも、同等な政治用語として使われてはいるものの、場に応じた上下関係の含意は失っていそう。 ≪ 崩は天皇のみの用語ではない。 [五瀬命]到紀國男之水門 而 詔負賤奴之手乎死 爲男建而崩 [1]天皇崩後 [倭建命]歌竟即崩 [11]將來之間天皇既崩 [14]即擧火見者既崩訖 [15]一具喪船御子載其喪船 先令言漏之御子既崩 [息長帶日賣命]息長帶日賣命者既崩故無可更戰 [後の15]故天皇崩之後大雀命者從天皇之命 [宇遲能和紀郎子]然宇遲能和紀郎子者早崩 [19]天皇崩之後 [22]故天皇崩後無可治天下之王也 [23]故 天皇崩 即 意祁命知天津日繼 [25]天皇既崩無可知日續之王 尚、神の場合は、< 伊邪那美神者 因生火神 遂神避坐也・・・其所神避之伊邪那美~者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也 上記の様にわざわざ<たまふ>を付け加えて読まれていたのかは、断定しがたい。 ≪ ー使役的 ≪ 海神と大久米命で用例。天皇の呼び出し行為ではない。 ≪ ≪ ≪ ー ≪ ≪ ≪ ≪ ー"話す"系 ≪ < 答白 語白 拝白 ≪ <奏言> 久不<復奏> 誰者幾日送奏 而 <覆奏> ≪命 詔≫📖 ≪宜 告 曰 言 謂 語 (問)≫ 上記は使い訳はありそうだ。 ー"見る"系 現代語では、【見る】【観る】【視る】【診る】【看る】に【拝見・観覧・診察, etc.】と用法が分別されているが、このなかに敬語的な漢字が含まれているのかはよくわからない。「古事記」の記述もそこらは判然とはしない。 e.g.: 天~諸命⇒伊邪那岐命伊邪那美命二柱 賜天沼矛 而 <言依賜>也 伊邪那岐命⇒桃子 賜名號"意富加牟豆美"命 伊邪那岐命⇒天照大御神 賜天照大御神 而 詔之汝命者 所知高天原矣 事依 而 賜也 伊邪那岐命⇒速須佐之男命 乃神"夜良比爾夜良比"賜也 須佐之男命⇒足名椎&手名椎 是汝之女者<奉>於吾哉 吾者天照大御神之伊呂勢者也 故今自天降<坐>也 天照大御神⇒天宇受売神 因吾<隠坐> 天照大御神⇒邇邇芸命 如拝吾前伊都岐<奉> 我御子 正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國 <言因賜> 而天降也 天照大御神⇒八百万神 不<復奏> <言依所賜>之国也 天照大御神⇒忍穂耳神 今平訖葦原中國之白故隨<言依賜>降坐 我御子之所知國<言依賜> (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |