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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.7] ■■■
[歌鑑賞35]水漬きの田の稲柄に
【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>逝去悲嘆
那豆岐能多能なづきのたの 伊那賀良邇いながらに 伊那賀良爾いながらに 波比母登富呂布はひもとほろふ 登許呂豆良ところづら
㊄(6-5)-(5-7)-5
or (4-7)-(5-7)-5
    即 匍匐廻
    其地那豆岐田
    哭爲 歌曰

水漬きの田の  水を張った水田の
稲柄に  稲の稈だよ
稲柄に  その稲の稈に
匍匐廻ろふ  這い廻っている
野老葛(薢葛)  野老葛(は なんとも)

この歌だけ見て、情景を思い浮かべるのは、現代人にはほぼ無理である。多少、田圃や当該植物に関する情報を加えたところで、それがプラスに働くかも疑問。だが、それでも、無理を承知で風景を思い描くことで、なんとか鑑賞できぬものかとなろうが、たいした意味はないかも。
それを肌で感じ取ることができさえすれれば、この歌の価値は十分すぎる位ある。

「古事記」の歌とは、俗に言うところの歌謡でもなければ、和歌的な目で読める文字の文芸作品とも違っており、歌はあくまでもおとであって、その意味は文脈中に埋没しているからだ。
一般的には、それこそが、叙事詩の特徴だろうが、実はそれとも異なるのが太安万侶流叙事詩編纂法。自明と言わんばかりに地文がほとんど省略されていたり、文脈を簡単に読み取れる様な地文になっていないから、文字を読みさえすれば自動的にストーリーがわかる訳でもない。歌と地文を勘案しながら、その歌の詠み手と聴き手を想定し、その環境を想像し、全体像を設定してから読み直し、そこで初めて書いてある内容がわかるというもの。
矢鱈に手が込んでいると云えばよいのか、逆に、大幅手抜きなのか、どうにでもとれるが、これこそが倭語の本質であると言いたげ。言葉は見かけ簡素そのもので、文法的規制も単純であり、おとの数も少ないから、楽に使えそうに見えるが、実際のところは必死になって頭を使わないとコミュニケーションできないということがよくわかるように仕掛けてあるのは間違いない。

・・・と云うことで、この歌は<大御葬儀歌>として謳われるNo.35〜38の4首の筆頭。📖大御葬歌について 📖[安万侶サロン]大御葬歌所収の意味
この様なストーリー展開である。・・・
◇倭建命の死の知らせを聞いて、大和から訪れたのは后や御子たちであった。彼らは陵墓を築いて周囲を這い回り、「①お墓のそばの田の稲のもみの上で、蔓草のように這い回って、悲しんでいます。」との歌を詠んだ。
◇すると倭建命は八尋白智鳥となって飛んでゆくので、后たちは竹の切り株で足が傷つき痛めても、その痛さも忘れて泣きながら、その後を追った。その時には、「②小さい竹の生えた中を進むのは、竹が腰にまとわりついて進みにくい。ああ、私たちは、あなたのように空を飛んで行くことができず、足で歩くしかないのですから。」と詠んだ。
◇また、白鳥を追って海に入った時には 「③海に入って進むのは、海の水が腰にまとわりついて進みにくい。まるで、大きな河に生い茂っている水草のように、海ではゆらゆら足を取られます。」と詠んだ。
◇白鳥が磯伝いに飛び立った時は 「④浜つ千鳥 浜よは行かず 磯づたふ…“浜千鳥のように、あなたの魂は私たちが追いかけやすい浜辺を飛んで行かず、磯づたいに飛んで行かれるのですね”」と詠んだ。これら4つの歌は"大御葬歌"となった。
◇鳥は伊勢を出て、河内の国志幾に留まり、そこにも陵を造るが、やがて天に翔り、行ってしまう。 …
📖倭建命英雄譚が皇国史観に繋がるのが面白い

この場合、葬儀を大々的に執り行うのは古今東西何処でも同じと考えてしまうと、この歌の意義を見失いかねないので注意した方がよい。特に、インターナショナルな眼で、眺めておく必要があると思う。
例えば、東アジアは、日本を除けば宗族第一主義の社会。儒者とはその葬儀専門業者として生まれており、式次第は厳密。宗族としての面子をかけて社会的に執り行うことになる。(宗族に属さない死者とみなされたり、宗族消滅となると、その魂は世界から永久的に抹殺されることになるので、極めて重要な祭祀である。)従って、人集めにストリップショウが行われたり、ご参列者に金一封、あるいは、号令で組織的に大人数化を図るのは当たり前で、賞賛されるべき行為そのもの。もちろん、そのような風習はすでに廃れているが、儒教的合理主義に基づいて、表面的な改宗や西欧的慣習の衣を被せているに過ぎないから、この根が消え失せている訳ではない。
これと正反対なのは、現代米国流である。基本、死んだ当人が執り行うことになる。多分、平均的日本人にはここらは理解が難しかろう。自分の葬儀設計は、生前にすませるもの。古くからの宗教儀式を望む人もいれば、音楽葬もあり、公序良俗に反しない限りどうにでもなる。日本社会では実はほぼ不可能に近いが、個別に表面的な模倣は簡単だから、そうは思っていない人がほとんど。
これを踏まえると、日本の葬儀観の原点がこの歌にあることがなんとなく見えてくる筈である。儒教とは、なんらの一致点も無く、個人として絶対神への信仰告白を原典としている人達の感覚とも乖離していることが、実感としてわかる筈。

この僅か28文字の歌から、古代倭人コミュニティのありようが見てとれる。稲作田圃に薢葛が生えるというおよそ場違いな描写となっており、一見、どうでもよさそうな風景描写歌に映るものの、それぞれが暗喩的機能を果たしている筈。そうでなければ、ほとんど理解不能の内容なのだから。
扇状地の水田でトコロと稲の二期作が広く行われていたことを示すと共に、野老葛の芋が古代からの伝統祭祀用産品と見てよいのでは。・・・📖水漬田の野老葛は意味深

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