表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.24 ■■■

始皇帝評

始皇帝[B.C.259-B.C.210年]は、中華帝国が誇る史上初の「帝」。それよりは、皇帝陵や阿房宮の大工事や、万里の長城築城で有名な気がするが。

長城での通信らしき話は、おそらく、この頃のことであろう。
【狼糞】 狼糞烟直上,烽火用之
   「科学技術と技能」

マ、余り評判はよくない印象がある。
"夫秦王有虎狼之心,殺人如不能舉,刑人如恐不勝,天下皆叛之。"[司馬遷:「史記」卷七 項羽本紀]と言われていたからだろう。
焚書坑儒も行ったし、その侵略行為は激しいものがあった。ただならぬ被害だったろうから、それをして、漢は「奢淫暴虐」と呼び、新たな帝による統治の必然性を訴えただけの話と見ることもできよう。
なにせ、初の帝国樹立の意義については語ろうとしないのだから。

始皇帝による帝国樹立によって、諸国の戦乱無き社会を実現したことに対する評価は必ずしも確定している訳ではないことに注意すべきだろう。

従って、"自分はインテリ階層に属す"との自負があるなら、暴君はけしからんなどといった短絡思考に陥ってはあかんゾ、というのが成式の考え方であろう。

ただただ、独裁者は許せぬと、インチキ民主勢力を支援してクーデターをそそのかして、原理主義者が横行し日々戦乱の社会とさせることが正義と考えるドグマ論者になってはこまるということ。
と言っても、封建勢力を叩く地主階級として始皇帝を賛美した紅衛兵的頭脳ではお話にならぬが。

秦代以前は、繰り返される戦乱でどの地方も疲弊を余儀なくされていた時代である。朝廷内で始終血腥い粛清が行われようが、大多数の生活者にしてみれば、戦乱が無くなるだけでも大いに有難い治世とも言える筈である。
従って、帝による膨大な支出も、諸国王の力を削ぐ方策と考えれば、そう悪い方向に進んでいたという訳でもないかも。無用の長物造りに膨大な労働力を投入したのは確かだが、それは兵士化を防ぐ政策と見ることもできるのである。

成式は、そこらを言いたかったかも知れぬ。

実際、驚かされるのは、悪辣な独裁者だったとされながら、今でも、始皇帝は愛され続けている存在である点。東巡で訪れた地には、伝承話が大切に残されているのだから。・・・

<河北>
中国共産党高級幹部がなによりお好みの北戴河とは、始皇帝の東巡の際の足跡がついている"碣石"が存在する地。言うまでもないが、地名は「秦皇島」。万里の長城東端の山海関の南側だ。
<山東>
始皇帝が構築した望仙台は“濱州之魂”と呼ばれている。秦皇台/蒲台で今でも通る地。
<江蘇>
秦山島には、秦始皇刻石があり、受珠台の地でもある。"秦始皇至東海,海神捧珠献于帝前。今海畔有秦皇受珠台。"[「述異紀」]
<浙江>
紹興には秦望山があり、始皇七刻石の1つ《秦会稽山刻石銘》があった地。

成式は、こうした状況を踏まえて、収載する話を慎重に選択しているといえよう。・・・

特に、東海沿岸では人気があったのである。
【異魚】號秦皇魚。
【烏賊】昔秦皇東遊,棄算袋於海,化為此魚,形如算袋,兩帶極長。
   「魚 (烏賊, 鯉)」

山でも。
【石人】昔秦始皇 遣此石人,追勞山不得,遂立於此。
   「珍品(石)」

そして、遠隔地というか、中華帝国南端でも、始皇帝秘蔵品と思しきものがあるとされている。
【秦鏡】照人五臓の巨大な「照骨鏡
   「珍品(貢物とお宝)」

一方、征服した諸国の銅製武具は鑄潰して、文化的な用途に使っていた、と。
【始皇帝が住んだ咸陽宮でのフル編成楽隊】鹹陽宮中有鑄銅人十二枚
   「音楽の本質」

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2017 RandDManagement.com