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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.2 ■■■

囲碁[=棋]の話は「酉陽雜俎」に度々登場するところを見ると、成式も大好きだったと思われる。
仏典漢訳に勤しんだ鳩摩羅什もなかなか手強い打ち手だったと伝っていたのだから、当時のインテリ階層にはえらく人気があったようだ。・・・

晉"羅什"與人棋,拾敵死子,空處如龍鳳形。

或言"王積薪"對玄宗棋局畢,悉持出。

  [卷十二 語資]

玄宗がことのほか"圍棋"を好んだことが一世風靡の理由であろう。
対戦相手は帝とどう戦うべきか相当に悩んだに違いない訳だが。
[卷一 忠志]【玄宗と楊貴妃の子】→「西洋とペルシアの植物」

"棋"の人気はもの凄く、冥界や仙界でも流行っていたらしい。半ば揶揄的ではあるが、この辺りの発想がいかにも中華帝国風である。
[巻十三 屍]【墓穴内兩人對棋】→「墳墓盗掘」
[卷二 玉格]【女界山の時間】→「異界の時間」 「李王朝前期略史」

19局の棋譜が収録されている李逸民:「忘憂清異録」には、玄宗と鄭観音[599-676年:初代皇帝高祖李淵の長子李建成の妻]の対局[明皇詔鄭觀音棋局図]が選ばれているくらいだし。(但し、鄭観音は人物不詳であり、後世の作り話の可能性が高いと書かれていたりするから、ご注意のほど。)

ともあれ、玄宗は、棋待詔という翰林院における棋技藝専門官職制度を確立したようで、棋博士も重視されていたようである。

「新唐書」巻五十九 芸文志には玄宗期の棋待詔の対戦が記載されている。
 王積薪(天宝期:「囲碁十訣」著者) v.s. 韋(開元期)
棋待詔の名前は史書に記載されており、朝廷が重視していたことがわかる。・・・
 顧師言(宣宗期)
 王倚(敬宗期)
 王叔文(順宗期)
 滑能(僖宗期)
なかでも、顧師言は日本国から来訪の王子と見事な一局を戦ったことで知られる。宣宗が超大国として見栄をはった発言をしたことが記録されており、反省感があったのかも。
まあ、ゲームも度を越すとえらいことになる訳で。
[卷十二 語資]【一行的囲碁観】→「一行禪師伝」
[續集卷四 貶誤]【僧侶斬殺】→〃

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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