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■■■ [2023.9.16] ■■■
暑き動物公園の面白さ
🐅思想論を展開していると誤解されかねないので、突然だが、「古事記」話を中断して、話題の転換。もちろん、わざわざ思想論を絡ませて。・・・2013-2015年頃の記載📖の続き。
状況が随分と変わったので追記というところ。

多摩動物公園の人目を気にしない土掘屋チューバッカ君や、呼ぶと猛進せずにトコトコやってくる上野動物園のリク君には会えなくなったし、井の頭自然文化園から多摩動物公園の訪問者僅少地に移動して暇を持て余していた人懐こいコタロー君も都外に転勤されたので、愉しみが減ったことが大きいだけと言えないでもないが。
もっとも、上野動物園のナギ君キュー君の凸凹コンビの場合は、お近くに来てくれてじっくりとご挨拶可能な時もあるが。しかし、両君ともに以前の活力は去ってしまったので、それも難しくなって来た。

齢ばかりは致し方ないものの、社会環境の変化も小さなものではなかった。無名化主義が広がりつつあるのは間違いないからだ。
もともと動物園運営目的は分裂しているからどうにもならないが、野生に戻すなど不可能なら、ペット的扱いがお互い一番幸せではないかと思う。ところが、今や、野生動物をペット的愛称で勝手に可愛がるなど言語道断と考えるらしい。愛称など、問答無用で唾棄すべきとの思想が広がりつつあるようだ。

小生は御開帳の長蛇の列に参加する気は無いので、パンダファンにはなれそうにないが、こうした流行が一辺倒な思想潮流の防波堤になって頂けるから、双子君には絶大なる声援を送りたい。

ついでながら、小生から見た名付けペット的扱いが妥当と思われるのは猫族と鳥族。

両者共に、訪問者を"個別に"よく観察しており、その好き嫌いがあるところから見て、かなり個性が強そうだからだ。このことは、気が向けば、ヒトもお遊びの対象に出来ることを意味していそう。もっとも、老齢化すると、遊びが失せて睡眠が主体となってしまうから難しい問題はありそうだが。

一方、犬族は猿族同様集団秩序最優先なので、ヒトと近しくするのは考えもの。さらには、孤立生活の熊族など、楽し気なこともある白熊君を除けば、みるからにヒトに眺められること自体が心理的負担になっていそうだし。といって、彼らのもともとの生活環境をできる限り実現させたいと、頭で考えただけの現代化施設が優れているとは限らないのは現実が示す通り。無理矢理行えば群れの秩序が崩壊してしまうからだ。

猫族も、ライオンだけは例外的に集団生活者なので本来無理筋と見ていたが、実際は相当な個性者揃いのようだし、野生に返す可能性ゼロだから、半ペット化扱いが望ましかろう。ライオンバスが混雑しない条件が揃ったので、何回も行くことができ、小生はその確信に至った。・・・ヒト前でアオサギを捕まえ、誇らし気に、咥えて歩いて見せたり、牝が朝一番から交尾を誘ったりと、結構それなりに生活を謳歌していそうだからだが、どうもバスの餌自体にはさしたる興味がある訳ではないことがわかったせいでもある。一応、ヒトのやることにも対応してやるかという気分での行動としか思えない。なかには、幼児好きもいるようで、面白そうな乗客がいるとジロリと視線を送る。なんら興味ありませんゾと映るように行動しているものの、シンプルスタイルの若い女性にも興味がおありのご様子なのもよくわかる。従って、バスのお相手とは一種のお遊び。交代制ルールも作っていそうなので感心した。(何といっても、赤ん坊が固唾を呑むシーンは見もの。20cm程度の距離だから、一瞬にして身体が固まるが、真正面で見つめ合うだけで、ライオンを畏れている風情は全くない。子供のスナップ写真撮影第一の家族でなく、乗客ガラガラ状態でないと拝見できないが。)

ヒト慣れした虎も似た性情のようだ。暑いので日陰のベンチに行き、座ってのんびりと水を飲んでいて、なんとなく視線を感じたので前を見ると、ダラーとした格好でこちらを真正面から観察していたので驚いた。他のヒトが来た途端に去って蔭に隠れてしまったが、それまでしばらくその状態が続いた。
猫族とは皆そんなものかも。
かつてはファンも少なかったので、ユキヒョウ君やマヌル君に遊んでもらった覚えがあるからだが。そうそう、マヌル君に至っては猫砂ご愛用者化。

気分屋のサーバル君など、わざわざ目立たない涼し気な日陰から、おもむろに暑い日向に登場して来て、居ますぞとばかり目の前を通り過ぎたりする。(小生の場合、外出時はスマホは電話機化させているし、カメラ類や道具は一切持たないので、たまたま一人だけだとこの様なことが発生し易いが、あくまでも猫側のその時の気分次第。)
チーターも丘上草叢で小さな頭だけ出して、存在感を消していることが多いが、訪問者が一人だけの時、ジッと見続けていると降りて来る。大きく遠回りしてから、近く寄って、おもむろに"何用だ?"とばかりの目線を浴びせる。それが楽しみになるのか、えらく不愉快なのかは定かではないが。

鳥類は、飼育目的が多岐に渡るので、猫族の様にお互い愉しむという手は例外的にしか通用させることができないが、部分的にはかなり可能である。
個体飼育で同一ケージ生活が長い場合、自分が可愛がられていることを理解しているようだから。従って、興味を持って眺めている訪問者をじっくり観察することが、楽しみの1つになってもおかしくはない。但し、そういう鳥は個性が強そうなので、体質は色々。
昔、遠くにいて微動だにしないハシビロコウ君に手を振っていたら、突然、網直前の植え込みに飛び乗って来て羽を広げて威嚇されたことがあるが、おそらく鳥とはそんな性情。視線を交わしたりすると、その時の気分でなんらかの反応を示すのは間違いないようだ。ハシビロコウ君は好みでなければ後ろを向くことになるし、"断然、不快。"と思った場合、猫だと関心はございませんとばかり身繕いを始めるようだが、同様に嘴で背中の羽繕いをしたりする。場合によっては、突然、羽を広げて日光干しとあいなる。(塗布油の防水仕様でないから、耐水用微粉末のお化粧維持作業と思われる。)おそらく、"五月蠅いから何処かへ行ってしまえ。"とのサインだろう。それがさらに高まれば、側に来て糞出し。ハイハイ、御免なさいと去るしかない。

上野のワライカワセミ君は見るからにご長寿の雰囲気を醸し出しているが、こちらも、目が合ってからひとしきり続いてしまい、気になって来ると、大いにお笑いになる。オニオオハシ君も奥に居て良く見えない時があり、しばし覗き込んでいると、直前のとまり木にやって来てこちらをジロジロとご覧に。

人目に晒されるのが大嫌いそうで、常に見にくい場所で身じろぎ一つしない神経質なミゾゴイ君も体質はそう変わらない。木が繁茂していた時は、どこに居るのか探すのに必ずとんでもなく苦労させられたが、その結果として、木陰越しにお互いの視線交叉がしばらく続いたりすることがあった。すると、隠れていたところから、ケージの正面ギリギリ迄、とんでもなくごゆっくりとお出ましに。ところが、その一方で、隠れ場所から、一歩一歩踏みしめるようにしてよく見える切り株までやって来て、おもむろに擬態姿を見せてくれたりもするから、一体、どういうつもりかさっぱり分からぬ。木が刈り込まれてからは、それはなくなってしまい、気にくわぬと後ろを向くし、おもむろに羽繕いと、ハシビロコウ君の体質となんらかわらない。
名前から見て(ゴイサギの仲間と見なされ、魚ではなくミミズ食性なので、溝に出向くからの命名とされているが、違うと思う。)、この辺りの独特な人懐っこさが平安京の人々に愛されたのではなかろうか。
(熱海の糸川沿いの歩道で身動き一つしない大きなアオサギの真ん前30cmを横切ったことがある。とんでもなくよくできた置き物があるものと言葉を交わしていたら、静かにゆっくりと一歩前に踏み出したのでビックリした。もちろん魚屋さんの前。鳥とはそんなものなのだろう。尚、伝染病も発生したので、今、どうなっているのか知らないが、冬場に眺める多摩動物公園の林はアオサギの巣だらけだった。)

多摩動物公園 猫族
・アムールトラ
サーバル
チーター
ユキヒョウ
・(アフリカ)ライオン
上野動物園 猫族
マヌルネコ
・スマトラトラ

大灰啄木鳥/ボウシゲラ(@"懐く"個性的な鳥のハウス見物)…小さかった頃は2階にいて、気になる訪問者がいるとちょっかいを出しに飛んで来たものだが、今は大きくなったせいか、一階の定番位置に。ご挨拶すると、食後の気分が良い時は近くに来て応答してくれる。
・冠鴫駝鳥カンムリシギダチョウ手を振るとトコトコ急いで小走りでやってきてこちらを見上げるが、ボウシゲラ君はそれが若干お冠になるらしく追いかけたりする。解説は飛べない鳥とされているものの、見ていればわかるが、正確には飛ぼうとしない鳥である。明らかに仲間意識に欠けているが、それは個性が強く好奇心旺盛のせいかも。
・溝五位ミゾゴイ/Japanese night heron(日本で繁殖する渡り鳥)
・笑い翡翠ワライカワセミ
・嘴広鸛ハシビロコウ
・鬼大嘴オニオオハシ

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