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2015.5.17

美麗巻貝所有欲について

法螺(貝)の話を[→]ひとしきりしたところで、貝殻集めについて少々考えてみたい。ビーチコーミング[→]と言うより、ショッピングに近い方で。

貝殻コレクターの3大人気の貝といえば、こんなところという話をした。
   翁恵比寿貝【→切口付巻貝類】
   芋貝【→里芋貝類】
   寶貝【→光輝貝類】

翁恵比寿貝は、その名前の縁起良さもあろうが、なんと言っても持ち主を特定できるような、極めて珍しい貝だったことにつきよう。世界一を目指したいコレクターとしては、命の次か、命に代えても欲しい代物だったに違いない。しかも、それは、分岐分類学的に、いかにも古代の息吹を感じさせる特徴があったから、端から垂涎モノだったし。

一方、芋貝はコレクションといっても、多種多様で陶器のような肌合いだから、掌に載せて眺め、好きな逸品を選んだりして、一人ほくそ笑むのに好都合。収集にはキリがないとはいえ、貝の楽しさココにアリ型のマニアに合う対象と言えよう。
倭人も大型を輪切りにして、装飾品として愉しんだ可能性もある。

寶貝になると、そのレベルを越える。おそらく、数多く所有することが富裕あるいは権力の象徴だった時代があったことは間違いないからだ。
今でもその伝統は部分的に受け継がれていると言えそう。小生はマニアではないので、決定的に知識が不足しているが、以下が著名というか、人気の種のようだ。
   高額類:王様,神聖,更紗
   希少類:日本,乙女
   本邦ポピュラー:茶色,目
   南島ポピュラー:花弁
そんなものを持っていなくとも、一袋に沢山入っているようなお土産品でも、眺めていると南島を思い出して楽しくなる手の貝である。

これらは、要するに、多種多様な取り揃えにポイントがあり、あくまでも博物学的取集なのである。
ところが、これとは別のコレクションがある。限られた数を"飾る"ことに意義があり、宝物のように大事にしまっておくのと正反対に存在を誇示するのだ。
その典型が、本来は「法螺」だったと思われる。台上に飾ったり、上から吊るしていた筈。
修験道の吹奏用具とされていても、それは「根付」を用いてこれ見よがしにブル下げたり、貴重な仏具として展示品的に設置するのが普通だと思う。
おそらく、この貝の存在が宇宙の美しさのシンボルなのだろう。飾らずにはいられないのである。

霊的な貝と言って、仏教概念の輪宝や、水字貝のような棘だらけの貝を提示するのとは訳が違う。こちらは、恐ろし気な風貌だからこそ起用されており、魔除け。海神手下のガード役とか、追放された乱暴狼藉の輩と見なされただけのこと。
法螺は明らかに美しき大きな貝。海神のシンボルと考えてよいだろう。

法螺の仲間は、分類学的には「フジツガイ科」とされており、似たような姿の貝だらけだし、「○○法螺」という命名だらけ。しかし、法螺と呼ばない貝もある。
 藤津貝/Black-spotted triton
 松皮貝/Maple leaf triton
 白篠巻/Jeweled triton
 篠巻貝/"Common" hairy triton
 尾長貝/Bent-neck triton
 象貝/Chinese triton
そして、南島で、美しいとされる貝も法螺とは見なされていない。中国的な影響なのだろうが、中国の美的感覚で選ばれたものではなさそうだ。

  【三美螺】
 鹿川貝(国内唯一の産地@西表)こと
 寿星螺[ジュセイラ]/Black striped triton/金色嵌線螺
 万歳螺[バンザイラ]/Golden triton/金帯嵌線螺
 猩々螺[ショウジョウラ]/Ruby triton or Redbreast triton/艷紅美法

大陸では、法螺と鸚鵡貝が「名螺」とされるが、それ以外の2つの螺は、法螺一族とも言える「フジツガイ:藤津貝」ではなく「トウカムリ:唐冠」。

  【四大名螺】
 唐冠螺・・・唐代的冠帽
   唐冠貝[トウカムリ]/Horned helmet shell
 万宝螺・・・整体顔色金黄
   万宝貝[マンボウガイ]/Bullmouth or red helmet shell
 鸚鵡螺・・・卷曲的珍珠&稀有
   鸚鵡貝/Nautilus[→2007年1月5日]
 風尾螺 or 法螺・・・花紋如"孔雀尾羽的風尾"

ちなみに、法螺だが、インドのヴィシュヌ神が持つ貝も、分類学的には「オニコブシ:鬼拳」である。仏教の法螺も、本来はこちらの貝だった筈。
 シャンク貝/"Sacred" chank (="shankha") shell/印度鉛螺
おそらく、飾り貝として、かなりの家庭が所有しているに違いない。

この手の貝は、肉が多いから、古代、食べた後に美麗に磨いて飾る習慣があったのではないか。言うまでもなく、巨大貝ほど賞賛モノだった訳で、魚拓で釣果を誇るのと同じようなもの。当然ながら、素晴らしい貝殻には賞賛の嵐だった筈で、それに触れることで貝獲果が約束されるような気分になったろう。それこそが、海人の信仰の原点。

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