表紙 目次 | 「我的漢語」 2014年7月19日 トリ文字考十二支の漢字(子〜亥)は、本来は一貫した流れのもとに、それぞれがなんらかの意味を持っていたのだろう。残念なことに、それがどんな思想なのかはよくわかっていないようだ。想像力不足でなんとも言い難しか、民族によって様々な定義があり、それの混交したものなので、まとめようがないという状況なのか位は見えてもよそそうに思うが。しかし、それぞれの標章は「生肖」(鼠/鼡〜猪[豚])と呼ばれ、ほぼ標準化されている。中華帝国樹立には、これは極めて重要なツールだったということだろう。様々な部族のシンボルを寄せ集めることで一体感を生み出したに違いあるまい。当然ながら、四足動物が基本。(辰こと龍は想像上の生物だが、この範疇に含まれる。)[→ 「十二支文字考」] ところが例外がある。足無しの巳こと蛇と、二本足・羽動物の酉こと家禽の鶏。中華帝国文化圏の外と見なしてもよさそうに思うが、文化的な先進地域だったため取り込まざるを得なかったということかも。 その酉だが、酒壺を意味する。10番目を表すシンボルだから、収穫を終えて酒造りをする候は、壺に穀霊が宿るという意味なのだろう。 [→ 「酉文字考」] 酉にあてた動物のトリは、ニワトリ(庭鳥)こと、家禽の「鶏」を指すようで、一般名ではなさそう。 獣から保護して、庭で放し飼いにしておくだけで、餌を与えなくとも、自分で勝手に草や落ちた実を啄んて成長する点が嬉しさの原点なのは明らか。しかし、水田地帯なら、家禽としては、ニワトリよりはアヒル(鶩 or 家鴨)が優れており、中華帝国としてトリを選ぶならそのような理由では無いということになるか。 そうだとすれば、古事記の「トコヨナガナキドリ」としての役割が大きそう。漢字も、鶏=「鳥」+音符「奚」(鳴き声)であることだし。そうなると、現代感覚だと古代の目覚まし時計になりかねないが、霊魂が蘇る声を発する貴いトリとされていたと見るべきだろう。 ともあれ、南方の貴い鳥として扱われているのだと思う。 → 庭鶏の原種を考える [2014.6.14] 昔は、声は呪術に繋がるものだったから、鶏の扱いは慎重だったというころでもあろう。従って夜の森で鳴かれると、えらく怖かったようで、それがどんなトリの発声か判明しても魔性の仕業と考えていたようだし。 「離」 (ぬえ)=「虎鶫」 (トラツグミ) トリの漢字については、眺めてみたことはあるが、このような漢字発祥の原点から眺めた訳ではないので、改めて、そこら辺りを少し考えてみたい。 → 漢字の水鳥(「我的漢語」講座 第15回) [2010.8.31] → 漢字の山鳥(「我的漢語」講座 第16回) [2010.9.1] この、鳥だが、尾の長いトリの総称で、尾が短いトリは隹だという。こちらは、「木」に沢山の「隹」がとまって、「雧/集」と成すという話はよく耳にするから、知らぬ人なしの概念だ。まあ、そのような群れ方をするのだから、一般的にはサイズ的な小鳥を指すと考えた方がよいような気もする。蛇が飲み込めそうな大きさということ。以下の漢字があることだし。 「離」=「离」(大蛇) v.s. 「隹」 それに、こうした小鳥は産卵するか否かという性的差違がはっきりしているから、オスとメスはこの概念を援用することになったと見える。 雄・・・隹の♂ 雌・・・隹の♀ 雛・・・隹のヒナ 本来は、必要ならオスとメスの対は別な漢字にすべきものなのだろう。2文字表記の鳥とは本来は番なのだろう。・・・「鶺鴒」[せきれい]、「翡翠」[かわせみ・ソギドリ]、「鷦鷯」[みそさざい・ササギ]、鳳凰 (翠鳥は古事記記載の天若日子の葬儀では御食人として登場する。) ただ、「鳥」と「隹」に明確な違いがあるか、猛禽類で見ると、多少の疑問は残る。 隼[はやぶさ]はわかるが、雕=鷲 or 熊鷹となると、どう考えるべきか悩む。尾羽を取りさると、「鳥→隹」になるということでもなかろうし。 ただ、「鴈」[カリ]=「雁」[がん]なのかは、なんとも。(前者は古事記記載の天若日子の葬儀では河鴈として登場し、岐佐理持役を受け持つ。) 小生としては、「鶏」[にわとり・トコヨナガナキドリ・カケ]の祖先たる「雉」[きじ・キギシ]をトリの代表にしたいところ。日本の国鳥ということもあるが、格好が素敵だからだ。しかし、長い尾なのにあくまでも隹であり、鳥の範疇ではなさそうだから、それはあり得ない話のようだ。 それに、キジは、古事記の天若日子の葬儀では哭女であり、いかにも縁起が悪そう。かえり矢で命を失うという話が強調されるが、不吉な鳥がやってくれば射るのは当然の行為である。 もともとこの鳴き声が、いかにも見当たらなくなった伴侶に呼びかけるが如きもの。悲鳴のような発声の仕方で、「ケーん」と田畑近くの茂みで突然鳴かれると、そんな気分になるのはわかる気がする。動物園でしか見たことが無いと、その感覚はわからぬかも知れぬが。 それに比し、「雀」[すずめ]は華やかである。朱雀とされ神聖なトリにまで昇華するのだから。南洋の紅雀の派手さを知り、圧倒されたのかも知れぬという気がしないでもないが。但し、日本では、朱雀はどうも人気薄のようで、もっぱら「鳳凰」だが。それに、雀は古事記記載の天若日子の葬儀では碓女役。万葉集の取り上げ状態から見て、嫌われていたのだろう。 小鳥という点では、水鳥である田鴫に愛着を感じていたのではあるまいか。同じシギなのに、磯鷸や京女鷸とは字が違うからである。 正月の目出度き丹頂鶴だから、古事記の上ッ巻に登場してもよさそうに思うが、全く無視されている。「鶴」[つる・タヅ]は北方からの来訪なので、もともと南方と思われる鳥信仰とはそぐわなかったのかも。 ヤマトタケルの霊魂とされる白鳥は、どのトリを指すのかはなはだ不透明。動物園で見れば、西洋風に映るハクチョウ(天鹅)でなくツルかと考えがちだが、本来は田圃に膨大な数が群れている訳で、やはり単独で姿勢正しく立つ白い水鳥の「鷺」[さぎ]と考えたくなる。古事記記載の天若日子の葬儀では掃持役だから、違和感はあるものの。 まあ、トリ信仰の原初としては、なんといっても「鵜」[う]だと思う。遠洋渡航には、伴として必ず存在していた可能性もあろう。古代の絵画で、船の舳先に乗っているいる尾長鳥とは鵜と見てもよいと思う。まさしく、「弟」の「鳥」なのだ。 そんな風に、海人と一緒の生活をする鳥だったようで。紐付きの必要性もなかったらしい。日本の鵜飼の紐は、急流対応と考える訳である。 → 鵜飼@高千穂峰降臨の見方(3) [2014.7.2] 鵜の島も人気だった筈である。魚あるところ、鵜ありで、どこで釣りをすればよいのか教えてくれる鳥でもあったのだから。そういう点では、海鵜を捕獲して川での鵜飼をするという日本のスタイルは古代の海人文化をそのまま継承していると言えそう。 しかしながら、船の数を示す漢字は鳥ではなく隹である。大きな船なら、小鳥の隹は似つかわしくないような気もするが、数えるということは大船団を編成したことを意味するから、船が集う状態ということで、「隻/雙」となったのかも。 尚、白川静流では、鳥ではなく、隹で占って、行き方を決めたらしい。それが「進」。 「八咫烏」[やたがらす]は、水鳥たる黒色の鵜と共存する社会生活から、高地盆地農耕生活に移行した結果生まれた信仰ではなかろうか。日の出とともに出勤し、日の入りとともにネグラに帰る姿を見れば、太陽信仰とつながるのは自然なことだし。舳先の鵜に変わって、高木の先に烏がとまる姿に変わったということではなかろうか。 尚、体が真っ黒で目の点が見えないので、それを省略して、鳥→烏となったとされているが、お話ではないか。極めて賢い鳥だし、嘴が手のように働くことが、このような表現になったのだと思うが、理由が思いつかぬ。 烏ではなく、「鴉」を使うべきだと思う。 (C) 2014 RandDManagement.com |