→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.23] ■■■ [207] 悪人往生 さらに、この巻での特筆モノは"悪人往生"譚を並べたことだろう。 特殊例に映らないよう、注意深く収載していそう。 なかでも、丹波中将源雅通の往生譚は特筆モノ。 一番<まともな往生観>を描いているように映るように工夫されているからだ。 なんと言っても驚きは、お経の文言が引用されている点。 「今昔物語集」編纂者は、この書籍が教宣用アンチョコと見られることを嫌っていそうで、そんなこともあってえか、お話にでてくるお経については、ほとんど題名だけで、その中身やよく知られる語彙ついて全く触れていないのに、この譚だけは違っているのだ。 ともあれ、これに限らず、"悪人往生"譚の記載には力が入っていそう。もちろん、その主張は明瞭。・・・ 往生できるか否かは、悪人か善人かで決まる訳ではない。 但し、あくまでも自覚した自力本願であって、後世に生まれる、阿弥陀仏の他力本願による救済、"悪人正機"思想は全く含まれていない。 じっくり、しんみりと、"悪人往生"譚に触れて、しみじみと感じ入って欲しいというのが、「今昔物語集」編纂者の意図するところであろう。それが、信仰に関する"知"の原点と見たか。 従って、ドキッとするほど単純に、あっけなく、乱暴狼藉者が心を入れ替えて信仰にのめり込む手の、"悪人往生"譚は、巻十五から外してある。 ソリャ、そういった人はいると思うが、どう見ても例外的存在。一緒にすれば、他も例外的な話とされていまい、せっかくの収録が台無しになってしまう。実に、秀逸な構成だ。 【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚) ●[巻十七#_2]紀用方仕地蔵菩薩蒙利益語 [→地蔵講] 【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚) ●[巻十九#14]讃岐国多度郡五位聞法即出家語 [→往生絵巻] さて巻十五だが、こんなところが該当する。 【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚) ●[巻十五#22]始雲林院菩提講聖人往生語 [→迎講創始者] ●[巻十五#26]播磨国賀古駅教信往生語 [→念仏信仰先駆者] ●[巻十五#27]北山餌取法師往生語 [→餌取法師] [→比叡山僧往生行儀] ●[巻十五#28]鎮西餌取法師往生語 [→餌取法師] ●[巻十五#29]加賀国僧尋寂往生語 ●[巻十五#30]美濃国僧薬延往生語 ●[巻十五#43]丹波中将雅通往生語 ●[巻十五#47]造悪業人最後唱念仏往生語 肉食妻帯の餌取法師は、偽悪的行為をしている訳ではなく、家族と生きていくためには、悪行をせざるを得ないとの自覚を持っており、尊い修行者ということになる。 牛馬だけでも、死体処理量は少なくない筈で、そうした作業に携わる人々は差別されていたと思われるが、社会生活を支えている人であることは皆知っていた筈である。そのような人が、常人にはできかねるほど真剣に、日々修業に打ち込んでいたりする、との話はインパクトがあったろう。 しかし、餌取法師という存在は実生活から遠い存在であるのは間違いなく、より卑近な、いかにもそこらに居そうな人の往生例が続けてあげられている。 ㉙加賀国僧尋寂往生語 【加賀】尋寂は 夜中に起きて沐浴 浄衣を着て持仏堂に入り 法華経を読誦し念仏を唱えている。 旅僧 摂円に 非俗だが非僧の凡夫であると自覚していると語る。 ㉚美濃国僧薬延往生語 【美濃】薬延は 僧形とは言い難い俗風体の破戒の沙弥。 髪は2寸。水干を着用。狩猟をし、魚鳥肉食。 夜中に起きて沐浴 浄衣を着て持仏堂に入り 法華経を読誦し念仏を唱えている。 無動寺の聖人に破戒を自覚していると語る。 そして、ハイライト。 ㊸丹波中将雅通往生語 【丹波】中将 源雅通は、右少弁の源時通入道の子。 栄耀を以て宗として、公達達と遊び戯る生活。春は山で鹿狩、秋は野で雉獲と、殺生三昧。 外面的には栄華を好んだが、内面的には道心一途。 提婆品[提婆達多]を深く心に染め 毎日、10〜20回も読誦。 そのなかの、 口ずさみ易い箇所を 朝や暮れに口誦。 浄心信惑 不生疑惑者 不堕地獄 餓鬼畜生 若在仏前 蓮華化生 確かに四文字六句的で唱えやすい。元は以下。 浄心信敬 不生疑惑者 不堕地獄 餓鬼 畜生 生十方仏前 所生之処 聞常此経 若生人天中 受勝妙楽 若在仏前 蓮華化生 そして、病を得て逝去。 藤原道雅は、よく知っている源雅通は殺生を旨としており、単に法華経を好んでいたにすぎず、極楽往生できる訳がないと思っていた。 ところが、六波羅密寺の説法を聞きに行った際に、貧しい老尼の夢の話を聞いて、考えを改めたのである。 左近の中将源雅通は善根を造った訳ではないが、その心は素直で、法華経読誦し続けた故、極楽往生したというのである。 ㊼造悪業人最後唱念仏往生語 殺生から放逸まで、悪事限り無しの男がいた。 それが長年積み上がっているので、 説諭する人も。 「罪を重ねると必ず地獄に墜ちるが それでかまわないのか?」と。 しかし、そんなことは空想に過ぎないと 全く信じない。 ますます悪行を積み重ねるばかり。 そのうち、 男は重篤な病に陥り、死期が迫って来た。 そして、臨終間近になると、、 火の車がやって来るのが見えた。 底知れぬ恐怖に襲われ 智慧のある僧を招いて、嘆き悲しみ、 「我は、 長年に渡り、罪を重ねて来た。 そんなことをしていると地獄に墜ちるとの忠告も、 空言と見なして、止めなかった。 しかし、 死を目前にし、眼前に火の車。 我を、連れていこうとしている。 話は本堂のことだったのだ。」 と後悔しながら、泣いて言う。 枕元でそれを聞いた僧は、 「汝は長年、罪を作れば地獄に墜ちると信じなかったが、 火の車を見たので、 今は信じるのか?」 と尋ねると、 「火の車が現れたから、深く信じるようになった。」と。 「それなら、 阿弥陀称名念仏を唱えるとよい。 そうすれば必ずや極楽往生できると信じるべし。 これが仏が説かれた教えなのだ。」と。 寝ている男は合掌した手を額に当て、 南無阿弥陀仏を1,000回称えた。 「火の車はまだ見えるか?」と問うと、 「火の車は消えて亡くなった。 今は、 金色の大きな蓮の花が一輪見える。」 そう言い残して男は息が絶えた。 僧は貴いことと涙を流した。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |