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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.12] ■■■
[256] 地蔵代受苦
仏・菩薩が、人間に代って仕事や苦難を引き受けるという、"身代り/代受苦"信仰は、起源が古そう。

しかし、新らしそうな伝承話も少なくないので、そうは感じさせないことが多い。それに、本朝では、地蔵菩薩は大悲をもって罪人の苦を代わり受けるとの大願ありということで、そこらの話だらけ。もちろん、観音もあるし、他もパラパラ存在してはいるのだが。
例えば、普賢の場合もあるゾとご注意がある訳で。・・・
  [巻十七#40]僧光空依普賢助存命語 [→普賢菩薩]

多分、世の中は地蔵一色だったと思うが。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)
  [巻十七#_3]地蔵菩薩変小僧形受箭語 [→「地蔵菩薩霊験記」]
近江 依智の旧寺でのこと。
  [巻十七#22]賀茂盛孝依地蔵助得活語 [→善行者の堕地獄]
地蔵信者 賀茂盛孝が閻魔の庁で地蔵の慈悲にすがり蘇生。出家入道し地蔵に帰依し往生。
  [巻十七#27]堕越中立山地獄女蒙地蔵助語 [→立山地獄]
修行僧延好が越中立山に参籠修行中、地獄に堕ち苦しむ亡霊女の依頼で京七条の生家訪問し地蔵造像、法華経書写の追善供養。

なかでも、印象に残るのは、こちら。
  [巻十七#31]説経僧祥蓮依地蔵助免苦語
登場人物の"説経僧"祥蓮だが、二十五三昧会に参加していそうだから。 [→源信物語 [6:インプリケーション]]
同一人物ではないかも知れぬが。
現代なら、宗教人としては極く普通の一僧侶でしかないが、この時代だと、破戒僧か、受戒を受けていない在家僧形法師に当たる。にもかかわらず、特例的に"僧"として扱われている。

そのような沙弥は珍しくもない存在だったと思うが、小生が驚いたのは、そお布施で生活しているという雰囲気が全く感じられない紹介の仕方になっている点。説教活動が生業とはっきり書いてあるのだ。"説経僧"とはそういう意味でつけられた呼び名だろう。
「今昔物語集」編纂者のリアリズムが見てとれよう。

もちろんのことだが、祥蓮は妻帯者。その妻は尼。書いてじゃないが、子供もおそらく同業だろう。
この辺りは、家族は俗世間の生活を普通に営む現代のお寺の生活とは違っている。
妻帯は名目的には破戒。上座部仏教では妻帯僧などおよそ考えられまい。しかし、大乗になると、女犯しか頭にないような場合は別だが、大寺でもお目こぼしは少なくなかったようだ。妻帯理由などいくらでもつけることは可能だし。その線引きは極めて恣意的と見てよいだろう。
そこらについても、「今昔物語集」は知らせてくれている。・・・
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#20]大安寺別当娘許蔵人通語 [→仏物盗用罰]]
大安寺別当僧に上品かつ容姿端麗な"娘"がおり、蔵人が人目を忍んで毎晩通っていた。

ということで、見て行こう。

 大和の吉野に
 説経を以て業として、世を渡たる僧がいた。
 名は祥蓮。
 老齢になり、重篤な病にかかり、年月を経て逝去。
 その2〜3年後、妻の尼が地獄に行った夢を見た。
 そこで、夫の声を聞いた。
 「破戒にもかかわらず、
  多くの人から信施を受け
  それを贖う善行もしないので
  地獄に堕ちてしまった。
  しかし、生前、地蔵菩薩に帰依し奉っていた。
  そこで、毎日、早朝・日中・日没に、菩薩に代受苦頂ける。
  それ以外には、助けてはくれない。」
 そして、歌を詠じた。
   人も無き 深山が暮れに 只独り
    哀れ我身の 幾世経ぬらむ
 そこで夢が覚めた。
 そこで3尺の地蔵菩薩像を造り、法華経一部を書写。
 川上の日蔵君別所でえ、供養奉った。
 すると、その後、夢で、その功徳で極楽往生と報告を受けた。
 妻はますます地蔵菩薩に帰依奉ったのである。

マ、孤独地獄ですな。
山に籠って信仰一筋とは胎教的で、大衆のただなかで説教することで生きて来た人だから、その苦もわかる気がする。

地蔵菩薩信仰については、「大唐西域記」を読んでも、何の情報は得られない。隅から隅まで読んだ筈の「今昔物語集」編纂者も色々と考えたに違いない。
法華経にしても、普門品第二十五に持地菩薩が登場するが、"地"だから地蔵同一視してかまわないとの説は余りには強引。(彌勒, 観音 or 地蔵に類似という程度であろう。)
ただ、経典があるから、天竺に信仰がなかった筈が無いとはなるものの。
以下に訳経名を並べておこう。
 《地蔵三経》
  玄奘[訳]:「大乗大集地蔵十輪経」…上求菩提下化衆生
  実叉難陀[訳]:「地蔵菩薩本願経」…阿弥陀本願
    荘厳劫以前の遥か昔。
    2つの小国がの王は十善を行なおうと。
    ところが、民は悪事を働く。
    それを憂い「一切智成就如来」と「地蔵菩薩」に成った。
  菩提燈[訳]:「占察善悪業報経」…現世ご利益
 《本朝伝》
  本朝[撰述] or 伝 不空[訳]:「仏説延命地蔵菩薩経」…十福
  本朝[撰述] or 伝 蔵川[撰述]:「地蔵菩薩発心因縁十王経」…六地蔵
 《不詳》
  n.a.:「大方広十輪経」
   …本朝的僧形像を規定した天竺の経典らしい。
 《儀典》
  輸婆迦羅:「地蔵菩薩儀軌」
 《密教》
  n.a.:「仏説地蔵菩薩陀羅尼経」

極楽往生信仰が深まれば、地蔵信仰も自動的に立ち上がるのは間違いないから、本朝でそれが深まっていったことがよくわかる。
極楽往生したいものの、生活上善行をそうそうできるものではないし、懸命に果たしたところで前世の罪をどうやら贖うだけでしかないかも知れぬ訳だ。
往生できない可能性が高いとなれば、身近に居られる地蔵菩薩にお頼みする以外に手はなかろう。特に、悪行を与儀なくされている一般層や殺戮止む無しの人々にとっては、地蔵菩薩への帰依は極く自然なものだったろう。
震旦と違って、官僚と丁々発止でやり合うとか、上手く誤魔化す知恵を働かせたり、賄賂でなんとかしてもらう風土からはほど遠かったせいもありそうだ。

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