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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.1] ■■■
[120] 兄弟姉妹婚観の問題提起
兄弟姉妹婚観の解説を読むと、雑多な考察の雑炊から成立していそう。性的関係禁忌教育の成果と言うべきか、話題にすること自体を避ける傾向があるからかも。
そのため、かなり頭の整理が必要な感じがする分野である。
・・・「古事記」を読み進むと、そんなことに今更ながら気付かされる。

しかし、残念なことに、編纂者のこうしたせっかくの意図は伝わりにくく、実際は全く逆。

そのため、なにから取り上げるかは迷うところ。

順番からすれば、"伊邪那岐神。次伊邪那美神。"という箇所か。

現代用語だと、兄妹としたいところだし、雰囲気的には思慮深い長姉とヤンチャな次弟を彷彿させるので、兄弟姉妹と見なしたいところだが、そのように書かれている訳ではない。
ストーリーでは夫婦関係を結ぶので兄弟姉妹婚になるので、書かなかったのかと邪推したくなる位だ。
(<妹>という語彙は、妻、恋人、姉妹と幅広く使われている上に、歌だと明らかに単なる親しい女性の呼称にしたりするので、素人には厄介至極である。)

そう考えてしまるのは、洪水で唯一生き残った兄妹(姉弟)の婚姻譚の伝承地域を眺めると、インド東岸〜スンダ〜西太平洋島嶼の古代ルートの存在を示唆しているように見えるから。
実際、その手の伝承があったのは間違いなさそう。「今昔物語集」編纂者は、どうでもよさそうな、土佐国の兄妹婚譚をわざわざ収載してるからである。乗った船が潮に流され、沖の孤島に漂着したというあっさりとした話。📖妹兄島@今昔物語集の由来

しかし、「古事記」のスタンスは似ているようで、違いも大きい。洪水譚の肝は、神の荒療治で、選別された唯一の一組の男女だけが生き残って祖となった点にあるが、「古事記」にはそのようなイメージは皆無。それは、性行為を男女の意志で"初めて試した"ことになるからだ。と言うか、両神は男女の違いを知らなかったのである。
論理的にはわかるが、叙事詩としては笑いをさそうところかも知れない。考えて見れば、近親婚から始まるとの指摘には説得力がある。

近親婚タブーは、中華帝国では大原則であるが、本朝では武家の時代もで受け入れられなかったのは、ここらの観念が大きかろう。
宗族第一主義の儒教信仰とは、物理的な血筋ではなく、観念的な姓という文字に対する尊崇であり、宗族発展のためには外から血をできる限り入れて行かざるを得ず、同一姓婚姻は絶対的禁忌になるのは当たり前であろう。これなくしては、男系の武力支配社会構築による社会安定化を図ることなどできない訳で。
一方、海人系は定住してしまえば、漁労をする以上、子育て等から女系の方が社会構造上安定するのは自明。性的な開放性も貫かれて当然であり、儒教社会との違いは比較すべきもない。しかも、箱庭的地勢の島嶼なので、農耕中心になろうとも、母系制的土着意識が薄れる必然性はなかろう。
近親婚をわざわざ禁忌とする必要はないということになろう。

世界的に見ても、古代、近親婚が否定されていたとの兆候は見てとれない。・・・

〇ゾロアスター教は近親婚を賞賛していると見てよいだろう。(最近親婚は7善行の2番目/10戒の8番目/33天国至道の9番目。["フヴァエトヴァダタ"@「アヴェスター」])
実際、アケメネス朝ペルシア[前550-前330年]でかなり多くの例が見られるそうだ。
〇セレウコス朝シリア[前312-前63年]でも同様。
〇古代エジプト王家(e.g.プトレマイオス朝[前305-前30年])では姉弟婚は珍しいものではなかったそうだ。当然ながら、代表的神話も兄弟姉妹婚だらけ。但し、処女懐妊だったり、母子関係が異なる伝承も多く、地域毎に異なる神々を統合整理しようと試みた結果の表現かも知れないので、ママ受け取る訳にはいかないが。
---ヘリオポリス九柱神[1+2+2+4]---
◇原初の水ヌン

[両性具有]創造神アトゥム
├─┐
大気神シュー
└┬湿気神テフヌト
├─┐
大地神ゲブ
天空神ヌト
└┬┘
┼┼├─┬─┬─┐
┼┼冥界神オシリス
┼┼豊穣神イシス
┼┼戦神セト
┼┼葬祭神ネフティス
┼┼└┬┤└─┘
┼┼└│─┬──┘(不倫)
┼┼┼││〇ミイラづくりの神アヌビス
┼┼┼│└┐
┼┼┼〇天空神小ホルス
┼┼┼└┬┘(母子婚的な伝承も)
┼┼┼
┼┼┼└┬△愛&美神ハトホル
○古代ギリシアは兄弟姉妹婚に寛容だったとされる。現代の近親相姦的違和感を感じさせる話もあるが、そうした観念とは全く異なると言ってよさそう。
📖ギリシア神話との比較論議

・・・このように書くと、伊邪那岐神+妹伊邪那美神が、兄弟姉妹婚か否かの問題と、王統/神系譜での近親婚とは繋がるとはいっても、そこにはおのずと違った問題があることに気付かされる。

それを踏まえると、「古事記」の木梨之軽王と衣を通して美しさが表れる軽大郎女の同腹兄妹が禁忌を破り、思いを遂げて一緒になったのは、恋愛譚としては白眉ではないかと思う。
両性だけの世界で浸る禁断の恋こそが、純粋性という点で紛れもなく至高の愛であることは、説明不要だからだ。

このことで、結婚に至る迄の、倭の風習がどのようなものか考えさせられることになる。と言うか、その辺りは、太安万侶的感慨が表現されていると言ってもよいのではないか。
中華帝国と倭の風土的違いは甚だしいものがあるが、儒教に裏打ちされた官僚的投資システムの導入で次第に変わりつつあるということで。

(歌垣は割合早くに衰退したようだが、通い婚や夜這い風習が消え去る迄には、長い年月がかかっていそう。そう簡単には変更できなかったようである。「古事記」から推定するに、倭の基本は、魅力的とされる女性の噂を耳にして、男性が実見(検ではない。)して、気に入れば男性が名を名乗り歌を交換し、愛情を言葉で誓約表現する。女性が受け入れれば成立ということになる。
情交はあってしかるべきだが、女性の家の承諾なしに結婚はできず、そのためには婚約の品の奉納と儀式(おそらく酒宴。)が必要となる。通い婚が基本とすれば、住む家とは女性の親の家に別邸を、男性が造るしかなかろう。天皇と貴族・高級官僚、その他がどのように違っていたのかわからぬが、文化的に全く異なっていたようにも思えない。
ともあれ、どの様な婚姻でも、身分や政治的配慮や、直接的利害が係わってくるから、複数婚姻発生は必然。正妻のような地位制度はあったところでこのような風土では、ケースバイケースで状況が決まってくる。官僚的統制はあってなきもののようで、それが機能するのは武家社会になってからでは。
尚、「古事記」はあくまでも、天皇家周囲の話で、社会の下層についての情報を欠くが、精神文化的には変わるところはなかったのでは。
中華帝国の制度はこの分野では全く機能していなかったのでは。「酉陽雑俎」を読むと、家が没落すると奴隷化する社会であることがよくわかる。そうなると女性は、妾としての"購入"対象になってしまうが、「今昔物語集」を見る限り、倭には似た風習はなかったようだ。ただ、奴隷の身分だからと言って現代人の考える隷属生活を送っているようにも思えない。個人生活にまで入り込む儒教的官僚統制のなかでの生きる知恵のように映る。)


天皇系譜で、近親婚がどの程度記載されているかをザッと眺めてみたが、錯綜していてわかりにくい。
禁断の恋にしても、男女共に"軽"との名前が付いているところをを見ると同一の家で隔離的環境で一緒に養育された可能性が強く、兄妹を越えた恋愛感情が生まれてもおかしくない気がする。
沙本毘古王+沙本毘売命の場合も、相思相愛だったが、天皇に愛されてしまいどうにもならなくなり、兄との愛を貫き通して反乱者として消えていくしか道はなかったように思われる。
大長谷若健命[21]雄略天皇は、暴虐な性情で、皇位継承者を次々と残虐な方法で抹殺した上、皇位簒奪なきよう子孫を残そうともせず、天皇として最重要な皇統存続に関心を示さなかったのは、政治に色恋沙汰を持ち込むことを毛嫌いしていたということかも知れない。中華帝国では、実力で皇帝位をもぎ取るのは当然で、そこに権謀術数を駆使する官僚が一枚加わり、都合でいつでも王朝転換を図る企てが始まったりする。仕組みを模倣しながら、本質的にはそのような文化を取り入れようしない状況に強く反撥していた可能性もあろう。
ある意味、近親婚の社会的意味あいを理解した天皇として記載されているようにも思えてくる。つまり、皇女との婚姻によって、皇統の流れに影響力を発揮されることを封じるには、兄弟姉妹婚しかないし、最有力な非皇族の娘が婚姻で他勢力と連合されるを避けるには、それを封ずるために、できる限り数多く妻として迎えるしかない。

---中巻 7代〜11代---
●倭根子日子賦斗邇命[7]孝霊天皇📖黒田廬戸宮
└┬△細比売命(十市県主の祖 大目の娘)
┌┘
●大倭根子日子国玖琉命[8]孝元天皇📖軽之堺原宮
└┬△伊迦賀色許売命(内色許男命の娘)
││└──┐
│〇比古布都押之信命(祖:膳臣)
└┬△内色許売命(穂積臣ら祖 内色許男命の妹)
├┬┐
大毘古命
│〇少名日子建猪心命
┌│─┘
│└┬△n.a.
├┐
建沼河別命(祖:阿倍臣ら)
┼┼
若倭根子日子大毘毘命[9]開化天皇📖春日之伊邪河宮
┼┼
└┬───┘(伊迦色許売命)
├┐│
●御真木入日子印恵命[10]📖師木水垣宮
△御真津比売命
┼┼│ ↑ 同一か?
└┬─△御真津比売命
├┬┬┬┐
●伊玖米入日子伊沙知命[11]垂仁天皇📖磯城之玉垣宮
││〇伊邪能真若命
││国片比売命
││┼┼千千都久和比売命
││┼┼┼伊賀比売命
││┼┼┼┼倭日子命
│└───┐
└┬△意祁都比売命
意祁都比売命
└┬△沙本之大闇見戸売
┼┼├┐
┼┼沙本毘古王
┼┼┼沙本毘売命/佐波遅比売
┼┼┼└┬┘
┼┼┼┼品牟都和気命

---下巻 16代〜21代---
●大雀命[16]仁徳天皇📖難波之高津宮
└┬△石之日売命(葛城之曽都毘古の娘)
├┬┬┐
●大江之伊邪本和気命[17]履中天皇📖伊波禮若櫻宮
墨江之中津王
┼┼●蝮之水歯別命[18]反正天皇📖多治比柴垣宮
│┌──┘
●男淺津間若子宿禰命[19]允恭天皇📖遠飛鳥宮
│└┬△忍坂之大中津比売命(意富本杼王の妹)
├┬┬┬┬┬┬┬┐
木梨之軽王
│△長田大郎女
││○境之黒日子王
││穴穂命[20]安康天皇📖石上穴穂宮
│││△軽大郎女/衣通郎女
││││○八瓜之白日子王
││││●大長谷若健命[21]雄略天皇📖長谷朝倉宮
│││││△橘大郎女
││││酒見郎女
└─┬─┘←同腹兄妹姦通で穴穂命に捕らえられ流刑⇒両者自殺
┼┼┼┼
┼┼┌┘
└┬△髪長比売(日向之諸県の君 牛諸の娘)
├┐│
波多毘能大郎子/大日下王
│△波多毘能若郎女/長日比売命/若日下部命
┌│┘│
││
│└┬┤
○目弱王…7歳の時、父を殺害した穴穂命を暗殺
┼┼
┼┼└┬┘
┼┼┼┼┼┼
└─────┬┘
┼┼┼┼┼┼《無》

---下巻 26代〜33代---
●哀本杼命[26]継体天皇📖檜坰伊波禮玉穂宮
└┬△目子郎女(尾張連等祖 凡連の妹)
├┐
●廣國押建金日命[27]安閑天皇📖勾金箸宮宮
●建小広国押楯命[28]宣化天皇📖檜坰廬入野宮
└┬△川内之若子比賣
┼┼├┐
┼┼火穗王(祖:志比陀君)
┼┼┼惠波王(祖:韋那君,多治比君)
└┬△橘之中比賣命
┼┼├┬┐
┼┼││〇倉之若江王
┼┼│└┐
└┬△手白髮命([24]天皇の御子)
天國押波流岐廣庭命[29]欽明天皇📖師木島大宮

└┬△石比賣命
┼┼├┬┐│
│〇八田王
│〇笠縫王
┌│─┘
│└┬──△小石比賣命
││〇上王
││
│└┬△小兄比賣(岐多志比賣命の姨)
├┬┬┬┐
││〇馬木王
││葛城王
││┼┼│〇三枝部穴太部王/須賣伊呂杼
││┼┼●長谷部若雀命[32]崇峻天皇📖倉橋柴垣宮
││┼┼└──────────┐
│└┬△岐多斯比賣(宗賀之稻目宿禰大臣之女)
├┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐│
橘之豐日命[31]用明天皇📖池邊宮
│△妹石坰王
足取王
┼┼│〇亦麻呂古王
┼┼大宅王
┼┼┼┼伊美賀古王
┼┼┼┼┼山代王
┼┼┼┼┼┼妹大伴王
┼┼┼┼┼┼┼櫻井之玄王
┼┼┼┼┼┼┼┼麻奴王
┼┼┼┼┼┼┼┼┼橘本之若子王
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼泥杼王
┼┼└─┐┼┼┼┼┼┼┼
┌──────────┘
└┬△間人穴太部王
┼┼├┬┬┐│
┼┼上宮之厩戸豐聰耳命(聖徳太子)
┼┼┼久米王
┼┼┼┼植栗王
┼┼┼┼┼茨田王
┼┼┼┼┼┼
沼名倉太玉敷命[30]敏達天皇📖他田宮
┌────┘
└┬豐御氣炊屋比賣命[33}推古天皇📖小治田宮
├┬┬┬┬┬┬┐
靜貝王/貝鮹王
┼┼竹田王/小貝王
┼┼┼小治田王
┼┼┼┼葛城王
┼┼┼┼┼宇毛理王
┼┼┼┼┼┼小張王
┼┼┼┼┼┼┼多米王
┼┼┼┼┼┼┼┼櫻井玄王

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