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■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.7] ■■■
[340]下巻軽王・軽大郎女所収歌12首検討
軽皇子「古事記」を文芸作品として読めば、軽御子が禁断の情事に至ってしまった悲恋物語を、最高傑作として評価することになるのでは。
歌物語でもあるから、元ネタ歌謡はジャパニーズ・オペラとでも言うべき仕上がりだったと想定しても間違いではあるまい。しかし、同時に、禁忌破りの意味を問う高度な作品でもあろう。 📖[私説]「軽物語」は極めて非大衆的

全体の流れからすれば、4ッ目の山となろう。・・・
   《上巻》@出雲・八尋和邇…7+2首 📖 <出雲で歌発祥>
   《中巻初代天皇段》…13首 📖 <東遷最終段階の戦勝祝賀>
   《中巻10代天皇段》…1首 📖
   《中巻倭建命関連》…15首📖 <東征に全てを捧げた皇子>
   《中巻15代天皇段》…14首📖
   《下巻16代天皇段》…23首📖 <婚姻を巡る男女関係もつれ話>
   《下巻17代天皇》…3首 📖
   《下巻軽王・軽大郎》…12首 <禁断の情事悲恋物語>
文芸的には悲恋物語であるものの、冷徹に眺めれば、勢力間の一大抗争勃発と、その動きに担がれた弟による皇嗣位簒奪に過ぎないとも読めるように編纂されている。 📖枕詞「あまだむ」は"軽"専用
そこらが、太安万侶流と言えよう。

---木梨之輕太子(⑲男淺津間若子宿禰命@遠飛鳥宮/允恭天皇の皇子[太子])
[_79]【木梨之輕太子】志良宜歌同母兄妹婚決意
[_80] └【〃】夷振之上歌同母兄妹婚実現の喜び
    あしひきの 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下問ひに 我が問ふ妹を 下泣きに
    我が泣く妻を 今夜こそは 安く肌触れ

    ↓
    笹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも
    麗はしと さ寝しさ寝てば 刈り薦の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば

[_81]【穴穂命】輕太子討伐
[_82] └  【大前小前宿禰】宮人振輕皇子を匿う趣意
    大前小前宿祢が 金門陰 かく寄り来ね 雨たち止めむ
    ↓
    宮人の 足結の小鈴 落ちにきと 宮人響む 里人も謹
[_83]【木梨之輕太子】天田振捕囚後に同母妹の心情への思いを発露
    天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬ可し 波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く
[_84]【木梨之輕太子】天田振捕囚されても尚つのる同母妹への愛
    天だむ 軽の乙女 したたにも 寄り寝て通れ 軽乙女等
[_85]【木梨之輕太子】天田振伊予配流時愛しの同母妹を想って
    天飛ぶ 鳥も使人そ 鶴が鳴の 聞こえむ時は 我が名問はさね
[_86]【木梨之輕太子】夷振之片下愛する同母妹の貞節を願う
    大王を 島に葬らば 船余り い帰り来むぞ 我が畳ゆめ 殊をこそ 畳と言はめ 我が妻はゆめ
[_87]【軽大郎女】軽皇子の愛が移らぬよう
    夏草の あひねの浜の 蠣貝に 足踏ますな 明かして通れ
[_88]【軽大郎女】どうにもならず軽皇子のもとへ
    君が行き け長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ
[_89]【木梨之輕太子】愛する同母妹の来伊予時
    隠口の 泊瀬山の 大峰には 幡張り立て 小峰には 幡張り立て 大峰にし 仲定める 思ひ妻あはれ 槻弓の 臥る臥りも 梓弓 猛り猛りも 後も取り見る 思ひ妻あはれ
[_90]【木梨之輕太子】心中に当たっての相思相愛確認
    隠口の 泊瀬川の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉なす 吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 有りと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ

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