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■■■ 「古事記」解釈 [2022.9.14] ■■■
[621]安万侶話語文法は現代日本語の土台
"倭語は、SVO型というような、文構造で文章を規定する必要はなく、基本語彙を中心にして並べるだけでよい。"📖という一大特徴だが、それは出鱈目でもよいということとは違う。ある意味、倭語のルールはSVO型の文字語より余程厳格である。(小生は、一度も習った覚えがないが、他人様を勝手に主語として、その意思を文章化する客観的表現は、日本語では絶対的禁忌。第三者を話題にしているのだから、"…と、見ている。"という話者の立場でしか語れないのは当たり前。省略されることが多いので、そのルールに全く気付かない人の方が多そうだが、例を挙げられれば、自分でも、ルール破りの言い方をしていないことはすぐにわかる。)
学校文法は、日本語を国際標準の文字語に変身させたいとの強烈な思想性がありそうだが、ほとんど成功していないことがよくわかる。

同じ様な動きは「古事記」成立時ごろの社会で芽吹いていた筈だが、「古事記」上梓で機先を制されたと見ることもできよう。
その後も、「萬葉集」歌人のなかには助詞表示を廃止することで、倭語の漢文構造への転換を狙う動きがあったが、「古事記」が与えた一撃はずっと残っていたようで、消滅してしまった。📖柿本人麻呂とは姿勢が異なる

「古事記」がそれほどの威力を発揮できたのは、倭語とは話語なので、文字化しても文字語化させるべきでないという思想を打ち出したからだろう。だからこそ、叙事詩を散文と韻文で峻別し、歌の文字化については音素文字で表記となる訳で。

換言すれば、「古事記」が、叙事詩の文字化を行ったお蔭で、現代日本語にまで話語文法が持ち込まれることになったのである。

もっとも、「古事記」がそのような役割を果たしたと考える人は滅多にいないようだ。話語文法が持ち込まれていることは、義務教育で全員が知っている筈だが、それを表立って言うことは無いから、言わないだけかも知れぬが。
オッと、注意して欲しいが、話語文法を習うのは国語ではなく、英語の方。

・・・日本語と英語の文法上の違いというと、ついついSVO構文の方に目がいってしまうので、見逃されがちだが、本質的な違いは人称問題。Wikiによれば、日本語には人称代名詞は無いという主張ありと記載されているが、そこらの問題である。
この書き方だと解り難いが、日本語で呼ぶところの人称代名詞と、SVO構文の人称代名詞は似て非なるモノというに過ぎない。林檎とオレンジ比較になるゾ、と云うこと。
  一人称は2つの文字が必要
  ニ人称は汝ではあるものの
  「古事記」で考えさせられる三人称の意味

義務教育を終えると忘却の彼方でしかないが、英語の「話法(直接 v.s. 間接)」を思い出せれば、このことは、すぐにわかるだろう。・・・
王は、「其処には、明日行く。」と言った。
  The King said,
    “I am going to the place tomorrow.”
  The King said that
    he was going to the place the next day.
× 王は、我が、明日、其処に行くと謂った。
  The King said that
     I was going to the place the next day.
説明を要しないと思うが、倭語からすれば、この文章で、<叙述>している主体は王ではなく、文章の話者である。そのため、純倭語文法である×の文章は国際標準に合わない。"我"とは、 I(文章叙述者)なのか、The King(文章構造主語)なのか、文章からは判別不可能だからだ。
○の文章は、引用文の主語を欠くから、国際標準では避けるべきことになるが、日本語ではこの書き方を推奨せざるを得まい。

倭語の文字表記化で一番難しいのはココ。
叙事詩の話者は、口誦する語り部というのは表面的なことであって、一種の演劇でもあるから、シーンによって別な人格として語ることもありうるからだ。生であれば、それは聴衆にすぐにわかるが、文字化されてしまえばさっぱりわからず、すべて客観的な叙述に映ってしまうが、それでよいのかはよくわからない。
太安万侶は、語り部無用社会になるにあたって、ここらの問題を「古事記」を通して問うたに違いないが、現代人がそれを知ることは難しかろう。
書いてある内容は、「古事記」読者層にとっては、予め概略を知っている話でしかなく、本を眺めて初めて知る現代人とは訳が違うからだ。

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