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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.1 ■■■

果物本草

後世の「本草綱目」に引かれている「酉陽雑俎」の文章をさらに取り上げていこう。
草に続いては、果部。木部の前哨と言ったらよいだろうか。

果物なのだから、すべて木篇から引用しているかと思いきや、草もある。しかも果というよりは、豆ではないかと思われるような植物。
道教感覚のコンセプトが生物学的ものの見方に従っていないことがよくわかる。
どう考えてもそれは情緒的なものの見方。道教文化一色の土着の人々でないと、理解は難しそう。

<果之一 五果類一十一種>
《酉陽雜俎》載:九疑有桃核,半扇可容米一升;及蜀後主有桃核杯,半扇容水五升,良久如酒味可飲。此皆桃之極大者。昔人謂桃為仙果,殆此類歟?生桃切片過,曝乾為脯,可充果食。又桃酢法:取爛熟桃納瓮中,蓋口七日,漉去皮核,密封二七日酢成,香美可食。
【桃】
魔法の桃核話である。[→「桃信仰の変遷」] [→「聖山」]

<果之二 山果類三十四種>
《酉陽雜俎》言:榴甜者名天漿。
道家書謂榴為三尸酒,言三尸蟲得此果則醉也。故范成大詩云:玉池咽清肥,三彭跡如掃。
《酉陽雜俎》言:南詔石榴皮薄如紙。
【安石榴】
石榴,一名丹若。梁大同中,東州後堂石榴皆生雙子。
南詔石榴,子大,皮薄如藤紙,味絶於洛中。
石榴甜者謂之天漿,能已乳石毒。

  [卷十八 廣動植之三 木篇]
今村注記には、親切にも、味絶は"いつわりではない"と記載されている例をあげている。実は、それは現代でも言える話。日本市場には、粒が小さく甘味が薄いタイプしかないから、気付かないだけ。乾燥地帯に近い地域では、皮が薄く大粒で大甘のタイプになると聞いたことがある。(米国産Pomegranateにも大粒で甘いものがある。)
漢代に張騫が西域から移入したと言われているが、そうでない気がするとほのめかしている訳だ。
伝聞や書物引用でなく薬効を記載しているから、おそらく観察結果の直観だと思われる。乳石とは、おそらく乳腺の出口が乳で固まってしまい栓ができてしまう症状を指すと思われるが、薬効があったとしても、余程大量に食べないと効かないのではなかろうか。と言うか、乳児をかかえる女性に是非とも食べさせてあげたい果物という意味かも。

<果之三 夷果類三十一種>
《酉陽雜俎》云:予種五鬣松二株,根大如碗,結實與新羅、南詔者無別。其三鬣者,俗呼孔雀松。亦有七鬣者。或云:三針者為子松,五針者為松子松。
【海松子】
   「松の盆栽」

《酉陽雜俎》云:波斯棗生波斯國,彼人呼為窟莽。樹長三、四丈,圍五、六尺。葉似土藤,不凋。二月生花,状如蕉花。有兩甲,漸漸開罅,中有十餘房。子長二寸,黄白色,状如楝子,有核。六、七月熟則紫K,状類乾棗,食之味甘如飴也。
【無漏子/無石子
波斯棗,出波斯國,波斯國呼為窟莽。樹長三四丈,圍五六尺,葉似土藤,不雕。二月生花,状如蕉花,有兩甲,漸漸開罅,中有十余房。子長二寸,黄白色,有核,熟則子K,状類乾棗,味甘如,可食。
  [卷十八 廣動植之三 木篇] [異本では内容が異なる。]
所謂、虫瘤である。蜂、蠅などに、産卵管を植物の中に挿入する種があり、様々なタイプがあり、一概に言えるものではない。有名なものには没食子や五倍子がある。

《酉陽雜俎》云:阿出波斯、拂林人呼為底珍樹。長丈餘,枝葉繁茂,葉有五出,如蓖麻,無花而實,色赤類 柿,一月而熟,味亦如柿。二書所説,皆即此果也。又有文光果、天仙果、古度
【無花果】
   「西洋とペルシアの植物」【柏葉護謨樹】

《酉陽雜俎》云:波斯p莢,彼人呼為忽野檐,拂林人呼為阿梨去伐。樹長三、四丈,圍四、五尺。葉似枸櫞而短小,經寒不凋。不花而實,莢長二尺,中有隔。
【阿勒勃】
波斯p莢,出波斯國,呼為忽野檐默。拂林呼為阿梨去伐。樹長三四丈,圍四五尺,葉似構縁而短小,經寒不雕。不花而實,其莢長二尺,中有隔。隔内各有一子,大如指頭,赤色,至堅硬,中K如墨,甜如飴,可啖,亦入藥用
  [卷十八 廣動植之三 木篇]
Cassiaを指しているとのこと。現代ではシナモン代替品である桂皮として知られる。
成式は実を使うとしている。初耳。皮や根が使えるのだから、同じようなものか。
   「肉桂の話」[2008.6.17 ]

《酉陽雜俎》云:齊樹生波斯及拂林國。
【摩廚子/齊暾樹
   「西洋とペルシアの植物」【オリーブ】

<果之四 味類一十三種>
《酉陽雜俎》云:胡椒出摩伽陀國,呼為昧履支。其苗蔓生,莖極柔弱,葉長寸半。有細條與葉齊,條條結子,兩兩相對。其葉晨開暮合,合則裹其子於葉中。
【胡椒】
これは、<草之六 毒草類四十七種>に登場。[→]

<果之五 類九種>
《酉陽雜俎》云:北天竺國有蜜草,蔓生大葉,秋冬不死,因受霜露,遂成蜜也。
【刺蜜/蜜草】
蜜草,北天竺國出蜜草。蔓生,大葉秋冬不死,因重霜露,遂成蜜,如塞上蓬鹽。
  [卷十九 廣動植類之四 草篇]
今村注記には、"羊刺蜜"説が紹介されている。和名は無さそう。海外では、駱駝刺/Manna treeと呼ばれている豆科の植物だと思われる。名称からわかるように、その葉の形は独特であり、駱駝が歩く地域の植物である。蔓生ではなさそうだが、絡みあって藪状態だから、その表現が間違っている訳ではない。ただ情報は極めて乏しいので、確かなところはわからない。現時点で同一グループとされている岩黄耆[イワオウギ]だと、多少なりとも情報はあるのだが、残念ながら、素人的には似た植物とはとうてい思えない。但し、このグループは、豆の莢に種子一つづつの仕切りというか、節があることが知られている。
蜜草とされるのは、莢からの分泌物に甘味成分があるということだろうか。あってもおかしくはないが、そんなものがなくても、地域的に考えれば、朝露を舐めるだけで寒露寒露気分になれるので、十分に堪能できる植物といえよう。

<果之六 水果類六種>
《酉陽雜俎》云:蘇州折腰菱,多兩角。荊州郢城菱,三角無刺,可以按莎。漢武帝昆明池有浮根菱,亦曰青水菱,葉沒水下,根出水上。或云:玄都有翔菱,碧色,状如飛,仙人鳧伯子常食之。
實/菱】
,今人但言菱,諸解草木書亦不分別,唯王安貧《武陵記》言,四角、三角曰,兩角曰菱。今蘇州折腰菱多兩。成式曾於荊州,有僧遺一鬥郢城菱,三角而無傷(一曰刺),可以節(一曰ソ)莎。,一名水栗,一名蘚苔。漢武昆明池中有浮根菱,根出水上,葉淪沒波下,亦曰青水。玄都有菱碧色,状如雞飛,名翻,仙人鳧伯子常采之。
  [卷十九 廣動植類之四 草篇]
日本の縄文遺跡の状況から見ると、水上の菱と、陸上の栗は、重要な食糧だった。栽培品に近かったと見ることもできる。大規模開発で環境が変わらない限り、こうした食べ物は忘れ去られていくものではないと思う。しかし、大規模治水工事が進み、前者はそうはいかなくなった訳である。それを見越してか、詳説しておく気になったか。

<附録諸果>
以下の2つは、今村与志雄も、流石に匙を投げたようである。
と言うか、学者は証拠無しにいい加減なことは書けないから辛かったろう。

《酉陽雜俎》云:出祁連山。木生如棗。剖以竹刀則甘,鐵刀則苦,木刀則酸,蘆刀則辛。行旅得之,能止飢
【四味果】
仙樹,祁連山上有仙樹實,行旅得之止饑。一名四味木。其實如棗,以竹刀剖則甘,鐵刀剖則苦,木刀剖則酸,蘆刀剖則辛。
  [卷十八 廣動植之三 木篇]
食通で有名だった成式のこと、珍しい果実を涼州あたりから来たばかりのソグド商人から頂戴したので書き留めておいたのでは。
切る道具で、果実の味が変わってくるので、四味と呼ぶのだという解説がいかにも感あり。確かに、切り口で食感が大きく違うし、鉄分と反応するものもあるから、有りえない事とではないが、どうでもよいのである。その高原で陣取り合戦が始まっていた訳で、そりゃ鉄刀が登場すれば苦かろうし、葦では戦いにもならん。
要するに、水場を欠く高原にもかかわらず瑞々しき果実ありということ。それこそ、正しく仙果そのものですナと話が弾んだであろう。マ、仙樹と書いておけば、李時珍のような道教一途の人々の関心を呼ぶこと間違いなしだし。

《酉陽雜俎》云:蔓生,子大如卵,既甘且冷,消酒輕身。王太仆曾獻之。
【侯騷子】
侯騷,蔓生,子如卵,既甘且冷,輕身消酒。《廣誌》言,因王太僕所獻。
  [卷十八 廣動植之三 木篇]
太僕とは車馬管轄の官人。属官の数はかなりにのぼる。そんな役職でありながら、何故に果実を献上する必要があるのかを考えれば、想像はつく。
 鶏卵の大きさで、
 甘くて冷やっこい。
 食べると体が軽くなった気になり、
 酒の酔いも醒ましてくれる
 そんな果物とは?
 ・・・とくれば解答は一つ。Kiwifruitである。
小さな実で酸っぱい猿梨の現代改良品だが、唐代に自然に同様なものがあった可能性は否定できまい。もっとも、そんな変種が見つかればすぐに実を獲り尽くされて絶滅となるが。
おそらく、森林に近い場所で馬の放牧の視察に行って、そんな実を現地の人から御馳走になったのである。これは珍果実ということになり帝に献上せねばとなったのだ。都に戻る頃は熟れて丁度食べ時だったりして。ただ、誰も、それが猿梨の一種とは露も思わず。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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