→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.23] ■■■ [附61a] 仏教説話集とは言い難いが この状況を見るに、ますます「今昔物語集」編集者のただならぬ決意のほどを感じてしまう。 仏教説話集作りは、"説教"行為に当たる筈で、持経、読誦、写経、造像と同じように大いなる善業に当たる。しかし、それを目指さないとなると、・・・。 巻二十八の位置付けについて書いたし📖滑稽と諧謔、巻三十一📖最終巻の構成や巻三十にも触れたので📖巻三十"雑事"の意味、この辺りに関して、一言付け加えておこう。 巻二十八で目を引くのは以下3譚。 【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚) ●[巻二十八#11]祇園別当感秀被行誦経語 ●[巻二十八#17]左大臣御読経所僧酔茸死語 ●[巻二十八#18]金峰山別当食毒茸不酔語 いずれも名だたる寺の高僧の呆れかえる姿を描いており、笑いを誘う訳だ。しかし、これは仁和寺の法師が鼎を被ってお道化て、頭から外せなくなりえらい目に合うという、間抜け姿に対する笑いとは根本的に違う。 いくら修行を積んだところで、所詮は煩悩のとりこになり、とんでもない破戒行為も平然と行うようになり、ついには悲劇に遭遇という事実をあられもなく描いているからだ。 しかし、このような僧が仏罰を受けたという話にはなっていない。恥をかかされた程度。 コミュニティはそれを喜劇として扱い赦免したのである。 リアリティそのものだが、衆生教化に使いようもなく、そんな話を仏教説話と呼ぶ人はまずいまい。 そうなると、これは【本朝世俗部】であるから、例外的な話としたい人も出てきそう。しかしながら、それはかえって無理筋に拘る姿を目立たせることになる。 【本朝仏法部】にも、至る処に、驚くべき話が散りばめられているからだ。 僧の悪行についてはいくつも収録されているからだ。📖悪報[4:僧悪行] しかも、そのなかには、悪報として喰らうべき仏罰とはかなりニュアンスが異なる言い回しが入っている。・・・"此れ天道の悪み給ふ事也。" 随分と曖昧で、仏法の因果の理法の通常の説明とは異なる。("天"は孝養の巻で使われている用語だからでもある。) 【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報) 《20〜40悪報:転生現報》 ●[巻二十#35]比叡山僧心懐依嫉妬感現報語 観音菩薩霊験にも、これは如何なものかという話あり。・・・まさか、どのような手段でもかまわぬから、ただただ金持ちにして下さいという願望に応える訳にはいくまい。📖観音ノ寺参詣 【本朝仏法部】巻十六本朝 付仏法(観世音菩薩霊験譚) ●[巻十六#29]仕長谷観音貧男得金死人語 長谷の観音に仕えまつる貧しい男、金の死人を得る。 ●[巻十六#34]無縁僧仕清水観音成乞食聟得便語 小僧出自の僧、乞食首領の娘と契。富裕を得る。 巻十七の、黄金を、子金/コガネと呼ぶことになった話など、毘沙門天が謀ったお助け事とされているが、これを仏教説話として流布できるとはとうてい思えない。📖黄金の毘沙門天 【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚) ●[巻十七#44]僧依毘沙門助令産金得便語 コリャナンナンダ話まである。📖狗人 【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚) ●[巻十九#44]達智門棄子狗密来令飲乳語 実に奇異の事也かし。 此れを思ふに、 其の狗、糸只者には非じ。 ・・・鬼神などにや有けむ。 ・・・亦、仏菩薩の変化して、 児を利益せむが為に来り給たりけるにや。 鬼神の仕業か、菩薩が化身された慈悲行かわからぬと言うのだから。 これは狗の慈悲話だから、どちらだろうが、仏教説話として教化に使えると言う人はまずいまい。 ここらで止めておこう。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |