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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.7] ■■■
[126] 「萬葉集」冒頭歌選定は「古事記」の影響
公的史書がある以上、「萬葉集」が「古事記」を重視している姿勢を見せることはあり得まい。ただ、一応、左注で引用されており[#90, #3263]、完全無視ではない。本当のところはどうなのだろう、ということで書いてみた。

「萬葉集」の最新所収歌は759年正月作[巻二十#4516大伴家持]で、最古は仁徳天皇の磐姫皇后歌[巻二#85〜89]と言われている。
初期収録歌は、「古事記」記載代の作品は例外的で、舒明天皇即位(629年)〜壬申の乱(672年)とされている。その頃の代表的歌人は天武天皇妃と伝わる額田王。

ところが、有名な巻頭歌は5世紀と推定される雄略天皇御製。このため、この1首だけ"飛んでいる"印象を与える。

巻一は雑歌という分類だが、題詞を"天皇代"としてある歌で区分し、各時代の歌を紹介するスタイルで編纂されている。都合7首。ところが、このうち、冒頭歌だけ時代が全く異なっているから尚更目立つのだ。

「古事記」を読んでいて、これは極く自然な編纂方針と考えるに至ったので書いておきたくなった。
この箇所の、専門家の取り上げ方はおそらく色々あり、山のような評論が積み上がっていることだろうが、生憎、それには関心が無い。あくまでも、「古事記」を読んで得られた各天皇イメージから、考えたくなっただけ。
①泊瀬朝倉宮御宇天皇代
    [<大>泊瀬稚武天皇雄略天皇]
      天皇御製歌

②高市岡本宮御宇天皇代
    [息長足日廣額天皇(舒明天皇)]
      天皇登香具山望國之時御製歌

⑦明日香川原宮御宇天皇代
    [天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)] /
      額田王歌

-----㊱孝徳天皇…皇極天皇[斉明天皇]から譲位-----
⑧後岡本宮御宇天皇代
    [天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮(斉明天皇)] /
      額田王歌

⑯近江大津宮御宇天皇代
    [天命開別天皇謚曰天智天皇] /
      天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌

-----㊴弘文天皇…天武天皇に敗北し自害-----
㉒明日香清御原宮天皇代
    [天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇] /
      十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌

㉘藤原宮御宇天皇代
    [高天原廣野姫天皇(持統天皇) 元年丁亥十一年譲位軽太子 <尊>号曰太上天皇] /
      天皇御製歌


結論から言えば、早い話、「古事記」では雄略天皇段に9首も収録されているということで、歌謡の帝王と呼んでもかまうまいと思ったのである。
万葉集の編纂方針や成立経緯が皆目わからないのだから、どの道、雄略天皇御製歌を冒頭にした理由を指摘できる訳がなく、この程度の判断で十分ということ。

政治がお好きな方から見れば、およそ馬鹿げた素人の見方となるのは致し方ない。・・・東シナ海に君臨する安東大将軍倭王として、中華帝国から認められたのだから、天皇代表に相応しかろうと考える人も多い筈だし。ただ、「古事記」は対外的な話を避けているし、史書でも倭王云々情報だけは全く記載していないから、少々無理がありそうにも思える。

マ、そんなことはどうでもよいのである。
和歌の文化継承を意識して作られているのは間違いないのだから。古い時代の代表作品を必要としたに違いなく、「古事記」を読む限り、泊瀬朝倉宮の天皇以外には選びようが無いということ。
大伴家持流で「古事記」記載の天皇を評価すれば、叙事詩としての最高傑作はこの天皇をおいて他に無しでは、と感じ入った筈だし。

特に、史書や大衆的な書で描きそうな英雄像ではないため、比類無き魅力を醸し出していると言ってよさそう。📖大悪有徳天皇の魅力を余す所なく記載

特筆すべきはその暴虐性。
皇位簒奪の意を決すれば、たとえ身内だろうが容赦なく残虐に殺戮する姿勢は徹底している。独裁者としてはピカ一と見てよかろう。当然ながら、気に沿わぬと思えば、側近だろうが、重要人物だろうが、即刻処分もあり得よう。
そして御多分に漏れずの英雄色を好む体質も濃厚。

そんな生活だが、伝統である歌謡については、けた外れに愛好していたことが見てとれる。

英雄譚によくある、単純極まる勝利万々歳の雄叫びや、悲劇的失敗を情緒に落とし込む手は全く使っていない。どれもこれも、そのような感情を歌に昇華させているのである。見事である。
現実には、惨たらしい武力制圧もあったかも知れないが、そのような情景は一つたりとも読めないし、恋愛モノといっても実は国土制圧の一環をタネとしているようにも映る。敵を設定し、ただただそれを貶めることで、皆で嬉しがるようなタイプではないのである。
まさに、第一級の知的作品と言ってもよいだろう。

その辺りが一目でわかるのが、婚姻譚である。
美人には目が無いというような話ではなく、大王としてとるべき姿勢を堅持しているからだ。他の代表的な話と比較すると叙事詩の質量的違いは一目瞭然。これで、「萬葉集」巻頭歌の天皇選定は決まりと言えまいか。・・・
○速須佐之男命 櫛名田比賣…大蛇生贄救済
○大穴牟遲~⇒大國主~ 須世理毘売@根国…無歌(難題解決)
○ 〃 八上比賣@因幡…無歌(兄弟神と争奪戦で勝利)
○八千矛~ 沼河比賣@高志…求婚で一晩中戸外立ち続け
○邇邇芸命 木花佐久夜毘売+石長比売無歌(繁栄=短命)
○火遠理命 豊玉毘売命@綿津見神の宮…無歌(一目惚され)
○神武天皇 伊須氣余理比賣@美和…ホト突で誕生した姫
○倭建命 美夜受比売@尾張…婚約後東国平定行
○応神天皇 宮主矢河枝比売@近淡海…"この蟹や"の歌は意味不明
○皇太子大雀命 髪長比売@日向…応神天皇が呼んだ美人を獲得
○仁徳天皇 K日賣@吉備…正妻を欺き逢瀬
○ 〃 八田若郎女(異母妹)…独身はもったいないゾと声掛け
○ 〃 女鳥王(異母妹)…媒酌役の弟に取られた上に皇位簒奪疑惑

比較ということなら、倭建命で考えるとわかり易い。悲劇の結末なので、これこそが英雄譚と評されていることが多いが、天皇位に就いた訳ではない。にもかかわらず、皇統存続に貢献しており、政治的には微妙と言うか、そのポジションは曖昧。
一方、大長谷若健命/雄略天皇は大王として君臨。しかし、単純な全土武力制圧主義者ではない。それぞれの婚姻に国家統一の意味合いがあり、行幸も頻繁。文化的従属化を図った訳で、それを反映した歌謡が収録されており、その観点では並ぶ者無しであろう。
しかしながら、天皇の最重要任務である皇位断絶を防ぐことには無関心。後継者を作ろうともしなかったようだ。その点からすると、本来的には婚姻譚にたいした意味は無いが、逆に、だからこそ、歌謡が輝いていると言えよう。
婚姻譚以外もよくよく見ると、寄せ集めではなく、全体の塊として設計されているようで、完成度は高い。・・・

兄である[20]穴穂御子/安康天皇の段は、ほとんどプレリュード。
⚔❶継承本命の木梨之軽王を惨殺。
⚔❷父 大日下王([16]代皇子)[20]穴穂御子/安康天皇([19]代皇子)に殺され、母が皇后にされたことを知った連れ子の目弱王が天皇の御頸を斬ってしまう。大長谷若健命はこれに手を打たぬ兄達([19]代皇子:境之黒日子王、八瓜之白日子王)を惨殺。
⚔❸目弱王と匿った勢力(都夫良意富美)も撲滅。
  娘[訶良比売]と葛城五村の屯倉を手に入れる。
⚔❹さらに、市辺之忍歯王([17]代皇子)も狩に連れていき騙し射殺し遺骸も残忍に扱った。
これで、対抗となりそうな男系継承者候補はいなくなった。そして、天皇位に。
🌐❻"呉原"📖突然に呉を特別扱い無歌
大長谷若健命/雄略天皇
└┬△若日下部王(大日下王の妹)
《無》
┼┼💑❼若日下部王@日下…志幾大県主の献上奇物[白犬]を都麻杼比[妻問品]に
┼┼┼📖河内行幸白犬の魅力には勝てず

└┬△韓比売(都夫良意富美の娘)
│├┐
白髪命/清寧天皇  ❺御名代白髪部設置無歌
│││
││△若帯比売命
││
《無》

【婚約未履行】…八十歳まで放置
└…△引田部の赤猪子@美和河
┼┼💑❽赤猪子洗衣童女≒三輪の巫女

└┬吉野川の浜に居た童女@吉野宮行幸時
《無》
┼┼┼💑❾舞する嬢子≒神仙…弾琴@大御呉床

🗾❿阿岐豆野行幸 📖枕詞「蜻蛉島」考 📖王朝祭祀歌謡の的確な記載
♕⓫葛城の大猪と一言主大神
💑⓬媛女@道中[求婚:袁杼比売(丸邇の佐都紀臣の娘)@春日]
     …風習としての姫逃亡か[最終的に大団円]

🎵⓭豊楽@長谷≒新嘗祭…伊勢の三重采女
🎵[続]勧酒歌
🎵[続]天語歌3首
🎵[続]宇岐歌 志都歌≒天皇賛歌

御陵は河内多治比高鸇@古市古墳群の外れ📖長谷朝倉宮
ここで事績は完。
御陵名は地名ではなく、天皇の性情からだろう。場所的には長谷・三輪・磐余、日下・平群、葛城、春日と揃い踏みだし、単に行幸と言うのではなく、国望、妻問、狩猟、祭祀という大王の行事を網羅している。従って、これぞまさしく大和での歌謡と言うべき話に仕上がっていることになる。(サシバは日本列島に、産卵のため南から渡ってくる猛禽。里山的な、ヒトの居住空間で棲息することが多く、かつては極めて身近な鳥だった。)ご陵名が地名として残っていると思うが、本来的には巨大古墳が残存していておかしくない。ところがそうはならないのは反儒教道徳の姿勢に映ったからだろう。
太安万侶はそのような風潮を不快に感じていたからこそ、大長谷若健命の段の記載に力を入れたのだと思う。

「萬葉集」編纂者も思いは同じと違うか。
「萬葉集」冒頭歌をどの天皇にすべきかを太安万侶に問えば、大長谷若健命と即答したに違いないと思う。

【付記】「今昔物語集」編纂者は、「古事記」のここらの譚の連続的まとめ方を模倣しているかのよう。

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