→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.25] ■■■ [205]ビロウを持ち出したのは流石 唐代の書「酉陽雑俎」には、珍しい植物の話が多数収録されており、そこらの知識なくして文化の違いなどわかる筈もなかろうに、という極めて真っ当なご注意を与えている訳だが、太安万侶は段成式同様に官僚だったからその辺りがわかっていたようである。(官僚の英知のベースは、文献主義なので、緻密で矛盾なきように整理するところから出発するので、それが本質から外れていても気付かないということ。) ここで取り上げる植物は、アジマサである。・・・ 《皇后嫉妬の黒日売譚@[16]仁徳》 📖王朝祭祀歌謡の的確な記載 幸行之時坐淡道嶋 遙望歌曰 押し照るや 難波の崎よ 出で発ちて 吾が国見れば 阿波島 淤能碁呂島 阿遲摩佐の島も見ゆ 放つ島見ゆ 代表的テキストの註がどうなっているのか確かめていないが、"アジマサ=檳榔"だろう。しかし、檳榔は普通に読めばビンロウであり、誤解を招き易い。ここでの檳榔はビロウで違う樹木だからだ。・・・ 📖御嶽ご神木@2015年 「ビロウ」との名称は余り耳にしないが、「ビンロウ」と聞けばほとんどの人がご存知だろう。漢字で書くと、どちらも檳榔であり、ビロウは「ン」の書き忘れかと思ってしまうが、両者は全く異なる植物。といっても、Palmの系統ではある。素人からすれば、ビロウは棕櫚系で、ビンロウは椰子系📖遠き南の島の木となろうか。 つまり、こういうこと。 /Areca palm or Betel palm/檳榔@中国/Cây Cau@ベトナム 一方、ビロウの方は他の呼び方がある。 檳榔 or 【ご注意】シュロ/棕櫚[日本原産]は木本ではない。よく見かける庭木は唐棕櫚である。📖本州でも育てている南洋の木 このビロウだが、自生地は台湾〜南島〜薩摩半島、五島列島、[北限]沖ノ島(宗像)である。 このことは、「古事記」収載の歌は、淡路島隣接島で、このビロウを栽培していたことを示していることになる。別に突拍子もない解釈という訳ではない。 南島では間違いなく、この樹木が古代の聖なる木だったからである。それは当たり前のことで、流石に現代は高価すぎて使えないが、クバ笠無しでは直射日光が強い地で農作業も漁撈も無理な土地だったのだから。 線画に登場する貴人の傘や聖なる叩き箒はビロウ製であるし、平安京でさえ朝廷貴族は檳榔毛葺き車を使用していた。現代でも、大嘗祭禊用百子帳の屋根材として欠かせない。ビロウは松竹梅以上に貴い存在とされているのである。 これだけではなく、ビンロウについても別途記載されている。 《本牟智和気王譚@[11]垂仁》 📖磯城之玉垣宮 言葉を話さない皇子 品本牟智和気王を出雲に派遣することになった際、"甘樫丘の岬に在る葉広の熊白樫"の誓をする話があるが、それに対応するのが畝傍 四分門之脇にある鷺栖神社。📖"伊久米伊理毘古伊佐知命-本牟智和気御子-鵠"譚 ともあれ、その後に出雲の葦原色許男の大神へ参拝することになり、その帰途、発声できるようになって、檳榔の長穂宮に滞在することに。 爾所遣御伴王等聞歡見喜 而 御子者 坐檳榔之長穗宮 而 貢上驛使 アジマサの島だろう。そこから、船で逃げるのだから。 その地で肥長比賣と一宿婚。 美人だったが、蛇だったので畏れて遁逃。 姫は、光海原自船追來。 しかし、引越御船逃上行。 聖なる木だが、それはトーテム信仰の時代の観念なのだろう。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |