→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.1] ■■■
[516]清濁論は素人観点が望ましい
◌̬◌̥ 小生は、倭語音素の清濁論は素人観点で考えるのが望ましいと考えている。
いい加減な見方であっても一向にかまわない。そこから直感的に(直観ではない)判断する以外に。まともな解答を得る手が無さそうだから。
暴論に聞こえるが、致し方無い。

漢語の発音は、王朝革命毎に強引に塗り替えられて来た。しかも、非漢語族王朝支配が長く、どの様な変遷なのかを確かめるのは至難そのもの。仮説を立てることができる状況にはない。(可能性ある発音を準網羅的に並べることさえ難しかろう。)
しかも、その一方で、古代情報皆無である、サンスクリット模倣のハングルを使って、時代が全く異なる古代日本語を読み解く手法まで横行しているのが現実。
そんな状況で、どうすべきかは自明。

おそらく、「古事記」成立時点の漢字の読みとして参考になりそうなのは、以下の天竺系の音の規則位だ。(この時代の漢語には母音・子音の概念は無い。「古事記」に五十音的な概念がすでに持ち込まれていると感じるなら、天竺系の言語構築手法を知っていたと見なすしかあるまい。そうでなければ、漢文を公式文書とした平安期に伊呂波歌が出てくるとは思えないし。・・・辺境に残っている古い天竺型言語を参考にするのが筋であろう。)・・・
[藏語@9C]全清(無声無気音)/p, t, k/ 次清(無声有気音)/pʰ, tʰ, kʰ/
   ⇒ [呉音]h, t, k
    …無声摩擦音の位置付けは欠落:/s, h/
[藏語@9C]全濁(有声音-破裂・摩擦・破擦)/b, d, g/
   ⇒ [呉音]b, d, g
[藏語@9C]次濁(純有声音-鼻・流)/m, n, ŋ/
   ⇒ [呉音]m, n, g
[藏語@9C]母音(5音):/a, i, u, e, o/
   ⇒ アイウヱオ
   末子音で変化:/y, ɛ, ø/
   ⇒ ヰ𛀀ヲ  📖8母音図を想定していたかも

清濁問題は、素人の手に余る領域ではあるが、眺めてはきた。 📖邪士受是敍は倭語音素当て字 📖佐志須勢曽に仮名文字選定気分を味わう

橋本進吉の論攷だけは、一知半解ではあるものの、大いに参考にさせて頂いた。 📖音韻を探ると古代の見方が分かるかも 📖佐志須勢曽に仮名文字選定気分を味わう
なかでも重要なのは、「古事記」には濁音表記があるという指摘。それは本居宣長論を看破したということでもあるからだ。・・・
「古事記傳」巻一では、<岐>は清濁通用とされているが、あくまでも例外扱いしているのを、その考え方は間違いと指弾したようなもの。(宣長は、「古事記」記載は清音のみ、と。橋本は、その論拠は精神論でしかないと論破したのである。)
・・・此ノ中に、伎ノ字と岐ノ字との間に、疑はしきことあり。
上巻の初つかたしばしがほどには、清音には伎ノ字を用ひ、岐ノ字は濁音にのみ用ひて、清濁分れたるに、後は清濁共に岐をのみ用ひて、伎を用ひるはただ上巻八千矛ノ神ノ御歌に、伎許志弖、また那伎、<鳴也、>中巻白檮原ノ宮ノ段に、伊須々岐伎、軽嶋ノ宮ノ段に、迦豆伎、下巻高津ノ宮ノ段に、伊波迦伎加泥弖、朝倉ノ宮ノ段に由々斯伎、これらのみなり。
  :
此の記また書紀万葉は、分けて用ひたる中に、此の記は殊に正しければ、厳かにその清濁を守りて読むべし。一つといへども、私に輙く変へ読むべきにあらず。

「玉勝間」では、濁音無しで清音のみと断言調。
古事記は、まがひたるはをさ/\見えず、たがへるがまれにあるは、すべてのいと正しきをもて思へば、後に寫し誤れるにこそあらめ、
さてそのすみにごり、今の世にいふとは、ことなるも多きを、人皆、通はし書たりと思ひ、あるは混ひたる也と思ひ、あるは濁る音には、清音の字をも書る例也、など思ひをるは、くはしからざること也、さらにさる事にはあらず、古ヘと今と、いふ言の清濁のかはれる也。
然いふ故は、たとへば山の枕詞のあしひきのごとき、今はなべてひもじを濁りてよみならへれども、此假字、古事記にも書紀にもいで、萬葉にはことに多く見えたる。
みな清音のかなをのみ用ひて、濁音を用ひたることなし。
一つ二つにては、なほ混ひつるかの疑ひもあらむを、いとあまた見えたる、皆同じきをもて、いにしへは清つることをしるべし。

素人からすれば、太安万侶は、和語の清音・濁音をはっきりと同定したとしか思えない。 📖"阿〜和"全87音素設定
それに、同一文字で清濁両音があってもおかしくない。もちろん、それは後世のフリガナ読みの結果と考えることもできるが、多分、そうではない。仏典を通して濁音化渡来語が流入していたので、倭語も変わって来ていたのである。

・・・当然ながら、本居宣長のイデオローグとしての主張にはついていけない訳である。

しかし、宣長の指摘の通り、"倭語に濁音無し。"自体は妥当な見方。倭語は母音語であり、漢語のような子音語ではなく、本来的には音素は子音と母音に分割する必要などないから、子音を目立たせるための濁音化をしていたとは思えない。
上述のように、渡来語対応(呉音)で濁音が生まれていったと見るのが自然だと思う。

 (C) 2022 RandDManagement.com  →HOME