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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.14] ■■■
[660]本文のプレ道教性[2]五行の木
神名羅列は退屈な読み物と感じてしまうが、その記載こそが、実は太安萬侶渾身の力作、というトーンで書いてみた。📖そうなると、変わった見方を提起しているだけに映るかも知れないので、もう少し説明を加えておくことにした。

言うまでもないが、太安万侶が日本国を道教国と見なしていると断言できる理由は、序文の天武天皇讃で、陰陽と木火土金水思想を明確に打ち出しているから。・・・
  道軼軒后 コ跨周王 握乾符而ハ六合 得天統 而 包八荒
  乘<二氣>之正 齊<五行>之序 設~理以奬俗 敷英風以弘國


しかし、それでは本文はとなるが、これが厄介。
<二氣>=陰陽≒乾坤/☰☷は、本文冒頭の<天地>と見なせるものの、<五行>の方はどう考えるべきか悩ましいからだ。
もちろん、すぐに五穀生成譚の存在が頭をよぎるものの。
-----@速須佐之男命高天原追放-----
【大気(宜)都比売神】[再登場]自鼻口及尻 種々味物クサグサノタメツモノ 取出・・・奉進
  ・・・所殺~於身生物者

 [頭]
 稲種イナダネ[二目] アハ[ニ耳] 小豆アヅキ[鼻] ムギ[陰] 大豆マメ[尻]
【神産巣日神】[再登場]サルベージ

とは言え、農耕パターンは地域性が大で、【震旦五穀】が決まっている訳ではない。大陸の古代の"科学的"論理とも言える、五行に当て嵌める独特も思考方法が貫かれていることが特徴と見るべきだろう。従って、「古事記」もそれに倣っていると考えることもできよう。📖「古事記」の五穀発祥は的確 📖[付録]五穀と二穀の稲作概念の違い
しかしながら、五行観念を打ち出すにしては、純正性に欠けているのも確か。蜀の蚕王的観念を同居させているからだ。従って、五穀観念は持ち込んでいるものの、ママ五行思想と見なすことには躊躇せざるを得まい。📖神の絹織物小考

もともと、五行は政治的な正統性を示す道具として一世風靡した考え方で、五穀の五行への当て嵌め自体にたいした意味はない。太安万侶も、一応は受け入れておこうとの姿勢で臨んだのではなかろうか。

そう考えると、安万侶流五行の原点は、こう考えることもできよう。・・・
【火】日月【木】星辰【水】水波【土】土石【金】金玉
 出典は基本テキスト。[「史記」五帝本紀]・・・
 時播百穀草木 淳化鳥獸蟲蛾 旁羅日月星辰水波土石金玉 勞勤心力耳目 節用水火材物
もちろん、陰陽五行の創始者、つまり中華文明の祖に祀り上げられている黄帝に関する記述。📖<私的解説>儒教と五帝・太一

小生の推定に過ぎぬが、「古事記」を読む際、この見方に気付いていないとさっぱり面白くないかも。

上記のポイントは、【木】星辰。ご存じの様に、「古事記」は方針として、<星>には一切触れないことにしている。反<星>思想かと思うほど徹底しており、そのことで大陸の道教と倭の道教的信仰は全く異なることを伝えているのは間違いない。
しかし、結局のところ、星信仰も受け入れることになってしまった訳だが、星座や暦に関係する抽象的概念は、ほんの僅かな名称を除けば、専門家以外ほとんど関心を示すことがなく、精神的風土が変わることにはならなかったようだ。

おそらく、<星>=【木】とされたりすれば、倭人は違和感を覚えると思うが、大陸ではなんということもない。
星=曐(晶:爲列星 生:生五穀)なのだから。
 凡物之精 此則爲生 下生五穀 上爲列星 [管仲:「管子」内業第四十九]

ここらは<天>の概念が根本的に異なるせい。・・・夜も活動したりする遊牧民の環境と、昼しか活動しない倭人の違いから来ている気もする。前者であれば、天空をパオのテントのイメージで捉えれば、その穴が<星>ということになる。天~への祭祀を行えば、必然的に星への意味付けが不可欠となるから、星座という抽象概念創出は自然な流れ。宇宙観も、ほぼ自動的に生まれるのでは。・・・整然とした<土地>がそこ存在しており、四方は<水>に囲まれており、その上にドーム形状の<天>が被さる構造になろう。
この様な姿だと、島嶼海人の倭人の感覚からすれば、極めて理解し難し、となること必定。

そこらが、御陵の形状にも表れていると言ってよさそう。
方形台上に半球の墳型はいかにも大陸的世界観。倭では、生活域と異界が地上で隣り合っている上に、<天>とは、空と海が連続した構造。倭人が墳を造ることになれば、盛り土的円墳に擬方形喪場を付属させ一体化させたくなるだろう。前方後円墳の形状になんの不思議も無い。

尚、普通は"木=星"とはしない。上記はそういうことで、ナンダカナの類の話に聞こえると思うが、ここではイントロ話なので、それはそれで結構。
大陸では5惑星が知られており、<五行>は星の運行観察から生まれたと考えても当たらずしも遠からずなのだから。
【火】熒惑【木】歳星【水】辰星【土】鎮星【金】太白
要は、倭人は天体観測に注力して暦を創る気がなかったということでもある。国家運営には、中央集権的時制樹立は不可欠というのは、文書管理の組織だから。文字不要の社会であれば、暦作成に必要な星座概念は不要なのだ。
倭人は、季節感のような、環境変化の観察には人一倍神経を研ぎ澄ましたのだろうが、対象を抽象化して普遍的な意味付けに力を入れる気はほとんどなかったのである。

【火】【木】【水】【土】【金】と書くと、具象的であるが、実際は抽象的な意味合いが強く、だからこそ<色>で示せるのであり、古代科学とでも呼べそうな論理的解釈も可能になった。
しかし、倭では、そもそも<色>という抽象概念自体が存在していなかった。📖「古事記」が伝える色彩記載方法
倭人にとって、<五行>観念の導入は、とてつもなく大きな一歩だったのである。

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