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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.29] ■■■
[873]読み方[43]
倭建命について触れれておきたい。

「水鏡」には、≪[第十四代仲哀天皇]景行天皇の御子に、日本武尊と申しし第二の御子におはします。≫だけしか記述が無いが、そうなるのも当然では。
国史の矛盾記載は、説明のつけようがないからだ。誤謬とか潤色次元をはるかに突き抜けており、最優秀官僚の知恵を集めてもお手上げ。(注記も書けないのである。)
  「日本書紀」
  景行天皇_2年…爲皇后 后生二男 第一曰大碓皇子 第二曰小碓尊
           【是 小碓尊 亦名日本童男 亦曰日本武尊】
  景行天皇27年…冬十月丁酉朔己酉 遣日本武尊令撃熊襲 時年十六
  景行天皇(41〜)43年…[日本武尊]既 而 崩于能褒野 時年卅
  景行天皇60年…天皇崩
  成務天皇48年…[足仲彦尊/仲哀天皇]日本武尊第二子]立爲太子 時年卅一


国史がこの状態なのだから、日本武尊についての解説は、おもちゃ箱をひっくり返したような諸説散乱状態にならざるを得まい。(玉石混交とは違う。)

そんな状況だと、取りあげること自体躊躇しがちになるものの、太安万侶のエスプリを信頼しているので、一言加えておきたくなった。
(太安万侶レベルのセンスに達する人がでてきて解説してくれれば、なんだそういうことかと、合点がいくようになる筈、と信じているだけ。)・・・

なんといっても圧巻は、すぐに分かるトンデモ矛盾の記載に(倭建命の子孫が父帝の妃になるという年代的にあり得ない系譜)踏み切っている点。(「水鏡」の様に無視を決め込むことは編纂書の潤色以外の何者でもない。)
さらに、相模の焼遺という同定しがたい場所の地名譚にしているのにも驚かされる。(通説はもちろん駿河の焼津。サガミとヤイツの冗談話にしている可能性もなきにしもあらず。)
読者としては、一体、どういうつもりだ、と言いたくなるような書きっぷり。
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しかしながら、「古事記」の倭建命ホール・ストーリー自体は挿入歌の多さと相まって、非常によく仕上がっている。実際、日本の英雄譚としてピカ一と評価する人が少なくない。
このことは、この箇所では、あくまでもホール・ストーリーに意味があり、細かなことに神経をつかうな、というメッセージを発している可能性もあろう。
うまり、年齢の矛盾など、小さなこと。地名譚もシリアスに捉えるな、と言っているのかも。倭建命について、整合性のある話を纏めるのは不可能と思えるほど、多岐にわたる伝承が至る所にあるので、それを前提にして読んで欲しいと言っていることになろう。

・・・簡単にいえば、速須佐之男命もホール・ストーリーで読むと面白くなるが、倭建命も同じようなもの、と云うこと。
ただ、この手の読み方はハイレベルな文芸的センスを必要とするから簡単にできる訳ではないのが問題だが、「古事記」は一般ピィープルを対象読者としていないので、どうということもなし、なのだろう。

要するに、倭建命は西征で通過儀礼をパスし、男女混淆たる"童"から、社会的に妻帯可能な"建"へと成人に変身したのである。しかも、反朝廷の雄、熊襲・出雲の"建"と並ぶ力量どころか、それを圧倒的に凌駕する一人前の男王になってしまったことになる。さらに、一歩進んで、反逆的大王たる"倭建命"と名乗ることにしたのだから、その先のライバルは父帝しかあり得ぬことになる。
つまり、太安万侶の見立ては、実質、父子の2天皇併存状況。

皇位継承は、この状況を踏まえて読み取ることと書いているようなもの。もちろん、あからさまにそう記載する訳にはいかないが。


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