表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.9 ■■■ 酉陽雑俎的に山海経を読む段成式は、もともと、怪神信仰とは無縁の人。しかし、民が尊崇しているなら、それも止む無しという姿勢。 一方、怪神尊崇的体質であるにもかかわらず、それを伏せ、帝国統治に邪魔な怪神を政治的に抹殺させようと図ってきたのが儒教勢力。正反対の対応である。 それを踏まえて、何故に、酉陽雑俎は「怪」を積極的に取り上げたか、考えるべきだろう。 (全巻を眺めれば、「怪」の部分は一部に過ぎないのに、儒教勢力の動きに乗って、現代でも相変わらず奇書扱いされていることにも十分注意を払う必要があろう。唐代の一級知識人は、帝国の統治機構たる官僚組織内での儒教的文化は黙認していたようだが、個人的生活や世界観と信仰の領域では、言葉にはしないものの、宗教としての儒教を徹頭徹尾排除していたと見るべきだと思う。) だが、その答はひとつしか考えられない。 「怪」だらけの書「山海経」を読んでいて、そこにとてつもない重要性を見い出したからだ。繰り返すが「怪」そのものにはトンと興味がなかったにもかかわらず、地誌としてじっくり見つめていて、ハタと思い当たったに違いないのである。 その「山海経」だが、どう見ても、揚子江上流域に関係しそうな解説が散漫なのである。(山経での記述は、江は中山9系と8系の荊山、漢水が中山12系。)四川での体験を通じて、その地の風土を知り尽くしていた成式にしてみれば、地誌としては余りに不自然な記載ぶり。なにか隠している書というのが実感だった筈。 だからこそ、書名として、四川盆地の伝説で書籍が隠されているとされる穴の地「酉陽」を採用したとも言えよう。[→] 言い換えれば、成式は、「山海経」を読破した瞬間、四川に存在した古代の中華帝国の姿を実感したということ。 その四川の地だが、そこには、土着の人に加え、揚子江下流からの避難民はいるし、世界の峰から降りてくる人々と、まさに部族が入り乱れた"渾沌"の地だった筈。と言っても、平和共存を享受できた訳ではない。多くの部族の大量絶滅地でもあったからだ。(それは大昔だけの話ではない。明代でさえ、数百万人規模での絶滅狙いの殺戮があったと思われるし、文化大革命も似たようなものだったろう。) そんな地であれば、大中華帝国樹立の思想基盤を生み出した地であっておかしくないのだが、現実には、その歴史は葬りさられてしまった。それが、逆に、本格的な中華帝国樹立につながったと言えなくもない。 成式は、そのことにいち早く気付いたのでは。 表立って語れることではないが、すべての神の中心に、天山の神があり、それは揚子江一帯の統合の神とされ、帝江と呼ばれていたのでは、と言わんばかりの記述があるからだ。・・・ もちろん、"有識無面目の帝江"[→]のことである。・・・ 天山有神,是為【渾潡】。状如橐而光,其光如火。六足重翼,無面目。是識歌舞,實為【帝江】。【形夭】與帝爭神,帝斷其首,葬之常羊山,乃以亂為目,臍為口,操幹戚而舞焉。 [卷十四 諾皋記上] 顔は無いものの、羽があって6脚だから、昆虫のように、どこにでも現れる神ということであろうか。「莊子」應帝王に登場する混沌と同一とすれば、それは、四方から穴をあけられて死んだ、中央天帝でもある。(西山1系▲太華之山に居る六足四翼の蛇"肥𧔥"とは、帝江の遺骸が蛇になったということか。太帝の下に位置づけられるのだろうか。) ところが、昆虫崇拝の話は滅多に耳にしない。 例外は、蜀国の最初の王。養蚕業創成者を示唆していそうな名称の「蠶[蚕]叢」。"其目縱"という、まさに「怪」的形相。[晉 常璩:「華陽国志」卷三蜀志] ただ、ヒトとしては異様かも知れないが、目がとびでたイモムシとのキメラと見なせば、どうということはない。もっとも、キメラを特段の「怪」と考えなければの話だが。 この書籍によれば、蜀王が君臨した"華陽"の地とは四川[長江の4支流]盆地の成都辺りを指す。「天府[天子の府庫]」と称していたのでよのように呼ばれたようだ。その範囲はこんなところ。 東:巴[重慶] 南:越 北:秦 西:峨(眉山) この他の周辺国としては、夜郎[貴]があげられよう。 結局のところ、5王朝[蠶叢→柏濩→魚鳧→杜宇→開明]続いたと。 [西漢 揚雄:「蜀王本紀」]
そんな地勢であるから、周囲の高山から流れ出る無数の河川だらけの地。それらすべてが岷江-揚子江に集まってくる。盆地からの水流の出口は1つしかない。・・・ 岷江 〇阿壩藏族羌族の地域 ・・・黄河上流でもある. ├黒水河 ├雑谷脳河 │〇茂 │ ▲九頂山 │〇汶川 │ ▲青城山 ├"黄龍渓"@赤水[錦江・鹿渓河合流点] │〇成都 │<都江堰 │ ▲鶴鳴山 ├────蒲江河 ├────府河 │┌───青衣江 ├┤〇楽山 ▲峨眉山 │└───大渡河(梭磨河、腳木足河、茶堡河、大金河) ├────馬辺河 │〇宜賓 ├──┬───────金沙江 │┼┼└───雅礱江( 安寧河、九龍河、臥龍河、理塘河、鮮水河) 長江(揚子江) │〇濾 ├──────沱江 │┌─────陵江 │├─────嘉江 ││〇合川 ├┴───涪江 │〇重慶 │ ├──────────烏江 │<三峡 │<洞庭湖 〇岳陽 │ ├──────漢江 〇武漢 │ │〇南京 │〇上海 ┴ 近年、この成都近辺の遺跡からの、大量の出土品が公開された。この結果、ようやくにして、山海經をはじめとする伝承話を、作り話と笑い飛ばすことができなくなってきた。要するに、出土品が"奇"なのであって、書はそれをママで記載しただけのことだからだ。奇書と呼んでいた方々がだんまりを決め込むしかなくなってしまったのである。 荒唐無稽なのは、"馬鹿げた空想を書いた本"との主張の方だったのである。 その転換点になったのは、三星堆遺跡@四川広漢から出土した青銅製の異様な目の"お面"。[B.C.9〜10世紀頃に様々な祭祀品が破壊され埋められとの推定] Mask/仮面と呼ばれるが、巨大[幅138cm-高64.5cm]な頭で、とても被れるような代物ではなく、像の頭部分と思われる。その大きさもさることながら、奇怪な印象を与えるので耳目を集めたのである。 ・円柱状に突出した瞳孔[眼睛呈柱状向外凸] ・横にはりだした牛耳的耳朶[耳朶向兩側充分展開] ・耳迄切れ上がった口 ・太い首[脖子粗大] ・体躯欠落 小振りのもの["青銅戴冠縦目仮面"]もあり、そちらは額に上方に伸びた目立つ飾り物が付いており、戴冠的なものだと見れば、王権の象徴と解釈可能。この大型"お面"のも同様なものが付けたと思われる穴があることだし。 こうなれば、冒頭の"蠶[蚕]叢"像と考えざるを得まい。王朝祖霊の依り代としての偶像ということ。 この後を継ぐ王朝も記載されており、アナロジーで判定すればこんな勢力とみなせよう。 "柏濩"・・・ 柏樹林から流れ出す水を生活基盤とする勢力。 勿論、比定地はある。尚、書籍によっては"柏灌"になっている。 "魚鳧"[中型鴨類ケリの頭]・・・ 鵜飼の土着的漁撈部族勢力。 "杜宇"[杜鵑/ホトトギス] ・・・ 魚鳧王朝を制圧した成都勢力。 鳥が留まる樹木信仰者だと思われるが、成功裏に農耕族化したのだろう。 種蒔時期設定の祖ということか。 "鱉霊"[スッポン]・・・ 開明朝は治水による農業振興に注力したのであろう。 結局のところ、巴との関係から発した内紛で秦の侵入を呼び込んでしまい、B.C.316年に蜀王朝は滅亡。秦は岷江一帯を支配し、その下流の巴、さらにその勢いで一気に本命の楚をも落とす訳である。 (ともあれ、この時代の蜀の話は以後途絶えるようだが、この時代以前についての蜀の話は出てくる。・・・黄帝娶妻嫘祖,生了兩個兒子,一個叫玄囂,一個叫昌意。昌意娶了蜀山氏的女兒昌仆,生了個兒子叫高陽。[「史記」五帝本紀] さらには、"禹興於西羌"という、いかにも蜀とつながっているような記載も。[「史記」六國年表]) ともあれ、"蚕叢"像から、様々な意味を読み取ることができよう。 何と言っても、重要なのは、名称。 草叢/くさむらに芋虫たる蚕という文字仕様だから、養蚕業の創成者を示している訳だ。 これは、偶像の外見から、その超人ぶりを表現していると考えられる。通訳無しにコミュニケーションが難しい言語状況を考えると、この手のイメージ伝達が主流になるのは、なんの不思議もない。 比喩的な類似性で新たな概念を形成するのが、漢字使用の民の習慣。眼を目立たせたのは、眼玉がにらむ芋虫を彷彿させるものであり、秀逸と言えよう。それに、これは古代海人のMana信仰の伝統を引き継いでいると解釈することもできよう。 → 「眼で見ると、日本語は海洋民族語」(20110127) 「日本語の眼の概念」(20120529) 成程感があるのは、カイコという糸を口から吐きだす一匹の虫を指すなら、別の文字があるせいも。沢山の儿がひしめき合うように身体に付いている、蛾の幼虫たるイモムシが、口から"氣"を出して蠢いて群れている様を意味しているのだと思う。いかにも、大量に飼っている様を示していると言えよう。 蠶[蚕][=虫x2+朁[=曰+兂x2]] 略字化⇒ 蚕[=虫+天] 口から絹という糸を吐き出す機能を重視している文字ではない。それに該当する虫の文字は別に存在するからだ。養蚕を表現するとなれば、"蜎々"となろう。 蜎[=虫+肙[=肉+口]] ⇒ 絹[=糸+肙[=肉+口]] "蚕叢"王族の祖先は眼玉が飛び出したイモムシの能力を頂戴した一族たる"蜀"の出でもあるということか。(領袖の家系は遺伝的バセドウ病[眼球突出症状]に罹患することが多かった可能性も.) もともと、漢字は象形文字が出発点でイメージを規格化したもの。その抽象化されたイメージを用いて、合成文字を作ることで概念的拡張を図ってきた訳だ。このことは、そんなことが可能な思考パターンがすでにできあがっていたことを意味しよう。 ヒトと動物のキメラ身体は、奇怪な訳ではなく、当該動物の能力を得たヒトを意味しているに過ぎないとも言えよう。言い換えれば、ヒトの特徴を説明するのに。動物が使われていたということ。純粋に抽象化された行為の動詞や、形象や印象の形容詞は嫌われたともいえる。 考えてみれば、話言葉が全く通じない部族をまとめあげたいなら、具象的な用語でコミュニケーションを図るのは当たり前のこと。 (そもそも、成式は仏教徒であり、幼少の頃から「金剛経」を読み込んでいるから、"若以三十二相觀如來者,轉輪聖王即是如來。"は常識の範疇。水鳥、牛馬、師子の形象が挿入されている釈迦如来像を「怪」と見る訳がないのと同じこと。[→"三十二相"@「仙人化観想法」]) 例えば、養蚕にしても、養=羊+食であり、類推すれば意味がわかるようになっている。会意文字とよばれたりする訳だが、この発想は文字形成で始まったものではなかろう。超人的能力を持っていれば、それを動物とのキメラ身体だからと説明するのは理にかなっている。現代用語では比喩だが、それ以外の方法で説明するのは難しかろう。だからこそ、人と生肖を合体した文字(件俿儱傌伏)も生まれたりする訳だ。 このような発想こそ、中華帝国文化といえよう。 従って、山海經では、辺境の民への差別的表現だらけとの見方は避けた方がよい。穴倉居住民ならアナグマの姿として記載されるだけのこと。現代で言えば、衛生に気遣って、なんでもかんでも徹底的に洗う民なら、アライグマ扱いされることになろう。そのような表現に、差別意識が無い訳ではないが、理解できない異文化の民の特徴を描けば、誰が行ったところでそうならざるを得まい。 ただ、日本では、このキメラ体で特徴を示す表現方法はえらく嫌われたようである。ヒトの能力は外見では判断できないと思っていたからだろうか。それに、食して体に取り込めば、その能力を頂戴できるという信仰にも違和感を覚えていたらしいから、そんな民が想定するキメラはえらく気分悪しだったかも。 青銅の"縦目仮面"以外の三星堆遺跡出土品も、山海経に出てくるキメラ体や怪獣・怪鳥がどういう体裁のイメージなのかを示してくれた。 〇青銅立人像[身長180cm] 獣面冠、長衣3重。両腕を胸前に。つまり、その装束は"是時人萌椎髻左衽。"[「蜀王本紀」] 従って、獣面キメラ体とは、このような仮面姿で祭祀を行ったり、部族長の象徴として飾り物を着けていたと見るべきだろう。 〇鈎嘴の"青銅大鳥頭" 形状から見て明らかに鷲。 天から獣をつかんで地に運んだりする鳥としての偶像では。祖伸が、この鳥に命じて家畜を地にもたらしたとの伝説があったのでは。 〇3段木に9鳥の青銅製通天神樹[樹高384cm] 建木だろう。(その形は牛のよう。引くと皮がある。纓のような黄蛇。葉は大きく果実は硬い。[海内南経]) 黒歯の北にある太陽が休む扶桑[海外東経]と思っていたが、よく見れば太陽は1つも無い。烏に似た鳥とも思えない。第4王朝のトーテムである杜鵑が留まる、第2王朝ご神木の柏樹と考えた方がしっくりくるが。 〇鳥に乗っている人や人頭鳥身の像 おそらく、天に昇る姿だろう。 〇強烈な形相のヒトの像 神の降臨を促す役割の人々ではないか。 このように考えれば、「燭龍」の出自も想像がつこうというもの。 「燭龍」西北海之外,赤水之北,有▲章尾山。有神,目を開けば昼になり、目を閉じれば夜にな而赤,直目正乘,其瞑乃晦,其視乃明,不食不寢不息,風雨是謁。是燭九陰,是燭龍。[大荒北経] 北経だから地の果ての、北極オーロラを指すという学者の説にのせられがちだが、場所は赤水之北の北。"蜀の火"の神である以上、四川成都辺りの赤水と見た方がよかろう。そして、その姿の特徴として"直目"があげられている。つまり、これは、部族祖先としての"蚕叢"王がユニバーサルな神になった姿と解釈するのが自然である。人面蛇身になっているのは、部族トーテムから、ユニバーサルな神への移行期に当たっていたのだろう。換言すれば、渡来蛇信仰をママ取り入れ、キメラ体の神に仕上げたにすぎまい。 瞑晦-視明ということも、烏による太陽運行とは異なる宇宙観を示している訳だし。 「燭龍」は、他の書にも登場する。そこには、"燭龍何照?"との言葉も。・・・ 燭龍在雁門北,蔽于委羽之山,不見日,其神人面龍身而無足。[「淮南子」地形訓] 西北闢啟,何氣通焉? 日安不到,燭龍何照?[屈原:「楚辭」卷第三 天問第三] ただ、「燭龍」という名称に、太陽の神という意味があるとは思えない。 その役割を果たしていそうなのは、明かりを持って暗闇を照らす「燭陰」だろう。蛇の眼は瞼がなく、夜になると光っているように見えるから、その畏怖感からきた神と思われる。目力が昼夜を支配している筈と解釈したのであろう。但し、食の捧げもの一切無用とされており、普通の山神とは別格扱いされている。身長1,000里は、それだけ取り出せば異なる姿に見えるが、すべての山系に係わるのであるから、当然の外形と言うべきであろう。そして、神として扱うのだから、体裁上人面にせざるを得まい。それだけのこと。 ▲鍾山之神,名曰燭陰,視為晝,瞑為夜,吹為冬,呼為夏,不飲,不食,不息,息為風。身長千里…其為物,人面蛇身赤色,居鐘山下。[海外北経] キメラ体における獣や鳥は、その能力を得ている状況を表現する技法に過ぎない(と言っても、その実在が信じられていたに違いないが)、とすれば、ここでの"龍"とは一体なにを意味するのかということになる。難しい問に感じるが、なんと、その答は「酉陽雑俎」に書いてある。 "祖"を指すと、丁寧な説明付きで。[→「龍は祖」]・・・ <羽→飛龍→鳥> <毛→應龍→獸> <鱗→蛟龍→魚> <潭→先龍→龜> <馮→玄陽閼→木> <根→玄玉→草> <海→屈龍→藻> 帝国官僚は、このようにそれぞれ独自の世界を造られてはこまるから、無視するか、なんらかの帝の従者にしたくなるだろう。ただ、龍の祖先感覚が残っているから、それなりの扱いになる。それこそ、帝の祖先は龍であるとの言い方もされたりしかねない訳で。 この見方をすれば、我々の神「燭龍」は「燭陰」の祖と主張して生まれた神ということかも。 おわかりのように、山海経を読むに当たっては、山の名前と神の名前が何を意味しているかを推し量ることが重要である。そして、神の能力というか、役割を示すのがキメラ体の様相と考えればよいということ。 ここで注意すべきは、神か非神かが記載されているが、その峻別にはたいした意味が無いという点である。覇権を握った側はすべての行為が正当化され、反抗する側は悪辣な賊軍と見なされるようなものだからだ。帝国官僚が承認すれば神と記載されているに過ぎない。 それを考えると、「偏枯/魚婦」[大荒西経]は"禹"[=ノ+虫+冂] or [ノ+中+冂+ム]である可能性ありと指摘した白川静のセンスは光っている。 誰が考えても枯れ木のように動けなくなった身体を表した名前だからだ。 だが、それは死んだ顓頊が復活したのだとされる。再生能力があるのだから、その姿は当然ながら蛇身だが、驚いたことに何の理由もなくさらに蛇から魚に変わるというのである。このことは、ご都合主義的な変身が可能であることを意味している。それは、"禹"="顓頊"としたいか、反"禹"を掲げる勢力が存在していたということでもあろう。 有魚偏枯,名曰魚婦。顓頊死即復蘇。風道北來,天乃大水泉,蛇乃化為魚,是為魚婦。顓頊死即復蘇。 「酉陽雑俎」を読んで、頭慣らしをした上で山海經を読めば、キメラ体表現と、仏像表現における規定はなんら変わらないことに気付く筈である。 そして、中原の最初の国家の名前が「夏」である理由も見えてこよう。それは、よく言われるように、中華の「華」であるが、本来的には「華陽」の「華」だった可能性が高い。その「華陽」文化の基底に流れるのは揚子江の風土で、発祥地は四川盆地ではなくもっと下流域。そこで、キメラ体による超能力神像尊崇が産まれ、祖先神を超キメラ的抽象像として「龍」概念が生まれたことになる。 段成式は、そんなことは一言も書いていないが、読者からすれば、そう考えていたに違いなかろうとなるのである。「酉陽雑俎」が、時代を越えて、インテリに、"密かに"読み継がれてきたのは、そのような極めて高度な思想書だったからだと思う。 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |