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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.29] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[80]
−迦毛大御神[山城の鴨]−

出雲勢力が祭祀を司ると称している、奈良盆地の4つの神奈備を眺めてみた。
 ○大物主⇒大三輪 [→]
 ○阿遅須伎高孫根命⇒葛木(葛城) [→]
 ○事代主命⇒雲梯(橿原) [→]
 ○賀夜奈流美命⇒飛鳥(明日香) [→]

一般には、加茂・鴨の社と言えば京都の神社。どうつながるのか、見ておこう。
【山城の鴨】
[逸文]「山城風土記」"加茂社"(@釋日本紀巻九)によれば、祖神の賀茂建角身命は日向の曾の峯に天降り、神倭石余比古の御前に立ち、大倭(大和)の葛木山の峯に宿って、彼より漸に遷り、山代の国の岡田の加茂に至りとされている。
出雲とは無関係で、当初から天王家の勢力であるということになる。奈良盆地の東側に落ち着いた天王家だが、葛木山はその反対側の西。(対抗的な地点であり、臣下が賜るような地域とは思えないが。)
"御前に立ち"とは八咫烏を意味するとされている。どう考えても、烏トーテムであり、おそらく黒装束あるいは烏の被り物をつけた一族を指すのだと思うが、鴨とはいささか遠い印象である。同根とはとても思えない。ただ、鴨族が鳥信仰族の代表と考えれば、おかしなことではないが。

しかし、「古事記」では、阿遅高日子根神が迦毛大御神とされているのに、この名前がご祭神として登場しない。迦毛大御神は葛木山に坐しているのに。

そうなると、山城の加茂とは、鴨氏本家(アジ)に対立的な分家(カモ)の勢力と見なすしかあるまい。阿遅高日子根神の地から離れた地へと渡っていった一団なのだろう。

わかる気はする。

下照比売命と婚姻を結んだ天若日子の葬儀を蹴破って出雲から出奔し、瀬戸海で一大勢力をなした阿遅高日子根神勢力は"出雲出自"を自ら掲げていた筈。しかし、一緒に出奔しても、そうは言い難い一族も抱えていた筈。出雲勢力と融合してしまった天若日子を、一気に誅した勢力が存在したに違いないからだ。高天原との婚姻関係で地位を盤石にしたかった勢力からは、それを壊した一派とみなされるから、当然居ずらくなる。反天若日子の高天原筋と自称するしかなかろう。
山城の鴨族は当初からゴチャゴチャした位置にあった訳で、平安京に定着してもそのような体質は続いた。と言うよりは、それこそが京の都の貴族の風土を形成した根幹と考えるべきだろう。
 [→葵祭の“こだわり”]
 [→鴨神信仰は錯綜]
従って、現存する神社にしても、あちこち渡ってきた可能性が高い。
【[逸文]「山城風土記」」"加茂社より】
* 葛木山⇒山代の国の岡田の加茂
 岡田鴨神社(建角身命)@木津川(山代川) 加茂 北
 岡田国神社(生国魂命)654年創建@加茂 大野⇒木津大谷・・・国ッ神
* 葛野河(桂川)と賀茂河(鴨川)との会う所・・・"石川の瀬見の小川"
  (↑合流すると淀川だが、この地点のすぐ下流でさらに上記の木津川と合流)
 久我神社/久何神社784年創建(建角身神+玉依比売命神+別雷神)
   @伏見 久我宮の森・・・祭神は久我氏祖の筈

* 久我の国の北の山基・・・"加茂"
 久我神社(賀茂建角身命)@北 紫竹下竹殿
   ・・・久我の地ではないし、加茂という地名でもない。

* "石川の瀬見の小川"譚こと塗矢伝承
   賀茂の建角身命の娘 玉依比賣が此処で川遊び。
   川上から流れ下ってきた丹塗矢で孕み、別雷命を生んだ。

 乙訓(坐大雷)神社(火雷神=丹塗矢)…向日神社に合祀
* 蓼倉の里@左京 蓼倉
 三井神社(玉依日女+[父]賀茂建角身命+[母]伊可古夜日女@丹波)
   @下鴨神社本殿西


言うまでもないが、現在は下鴨神社+上賀茂神社が本家筋とされている。
上下ともに、現在の社殿は、王家住居の風情を醸し出す出雲大社造りではなく、切妻平入高床の稲倉様式。出雲出自ではなく高天原系であることを明示していると言えよう。
【山城 愛宕】
[下鴨]賀茂御祖神社(賀茂建角身命)@左京 下鴨泉川 御蔭山
 河合神社(多多須玉依日売命)
 賀茂波爾神社(波爾安日子神+波爾安日女神)…神餞用土器製作
[上賀茂]賀茂別雷神社(賀茂別雷神)@北 上賀茂 本山
【山城 相樂】
玉津岡神社/椋本神社(下照比賣命 )@綴喜 井手東垣

分家筋はもう1つある。
【美濃 賀茂】8地区:太田 古井 山之上 蜂屋 加茂野 伊深 三和 下米田/牧野
この地名だが、大宝戸籍[702年]では加毛郡、和名抄は賀茂郡。
[下]縣主神社(彦坐王命)@太田
[上]加茂神社(賀茂武角之身命)@蜂屋
坂祝神社(正鹿山津見神)・・・"坂歩危"からとか。

他の加茂の地は、瀬戸海に一大勢力を張っていた頃に、各地に展開した名残だと思う。
例えば、伊豆。
三島大社の出自は、伊豆の島嶼域における火山信仰なのは明らかだが、[→]内陸での開拓で成功を収めた勢力(伊豆半島に渡来した加茂族)が現在地に奉遷したのだと考えられる。瀬戸海の御嶋や鴨族とは無縁だったが、その関係でご祭神が大山津見神や事代主命になったりする。
【伊豆 賀茂】
加畠賀茂神社(八重事代主命)@南伊豆 下賀茂

(参照:秋本吉郎[校注]:「風土記」日本古典文学大系2 岩波書店 1958年
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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