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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.27] ■■■
[附48] 夢話のタブー
💤🔍"「今昔物語集」の夢話は、もっぱら往生と霊験・ご利益か、懐妊であり、夢そのものについて考えることはしなかったようである。"📖二人同夢と書いたが、裏を返せば、本朝での"書いてはならないタブー"を破る振りを見せないことに決めたということ。

そして、これに係る訳だが、もう一点付け加えるなら、蘇生しての"冥界からの帰還"話は、夢とは別次元とされている点にも注意を払っておく必要があろう。
往生譚は、元ネタはある意味激情的なに成立した書に映るが、「今昔物語集」は冷静な引用に徹しているように映る。

"生々しい"ことを書くのだから、何でもかまわぬという訳にはいかないのは当たり前で、この姿勢、適切な判断と言ってよかろう。

現代日本人は、フロイト説を信用している訳でもなさそうだが、特定の信仰宗教無しと言う人が大半のようだから、「夢」を特別なお告げと考えていそうにない。しかし、不特定な神仏祈願は矢鱈熱心であり、どこまで本心を反映しているのかはよくわからないところがある。
一方、「今昔物語集」成立時の社会を考えると、どう見ても、貴族は100%で、それ以外も同様で、「夢」で日々の生活が大きく規定されていたと言えそう。

従って、社会風習を描くつもりなら、そこらの実態が描かれて当然だが、「今昔物語集」には生々しい「夢」話は収載されていない。

そう思うのは唐代の書、「酉陽雑俎」を通読したから。「夢」に対する姿勢が余りに違いすぎるからだ。

著者の段成式は、インターナショナルかつ身分横断的な知的交流をこよなく愛好する仏教徒。当時のトップクラスの文章家でかつ中央中堅官僚だが、科挙ではなく親の七光り的に地位を得ており、有名なグルメ家でもある。
一般には、唐代の妖怪詳述の書として紹介されるが、エスプリの結晶とも言えるので、魯迅等、一部の知識人にこよなく愛された本である。

その書の冒頭の巻では、夢について、はっきりと記載している。
従って、震旦の社会風土に無知な筈がない「今昔物語集」編纂者が、こうした見方をご存知ない筈はなかろう。📖夢とは@「酉陽雑俎」の面白さ

  《周禮》には、夢占いについての記述があるが、
  要するに、
  正夢から悪夢まで、それぞれ規定したにすぎない。
  社会的な悪夢だったりしたら、
   民を集め、
   方位学者に四方に悪夢を追い払ってもらえばよい、
   とも書いてある。

  漢の儀式に"伯奇が夢を食う。"があった。
  道教的には、
  夢とは、魄が妖怪になったモノとされており、
  仏教的には細かな規定があったようである。
  僧侶によれば、出典は《藏經》。
  確かめていないが、こんなことだという。
   夢を取ってはいけない。
   取れば、顕著化するからだ。
   そして、怪物が入ってくる。
  そもそも、目が見えない瞽者は夢など見ない。
  つまり、夢とは習い性に過ぎないということ。

  医者の見立て。・・・
   ヒトの内臓の"気力"が弱くなり"陰"になると、
   数々の夢を見るもの。

  色々な人が夢を見て、それを語ってくれる。
    中宗の夢
    謀反を企て不安にさいなまれる人の夢
    真面目に修行をつんできた道士の
    兄の夢
    伯母の夢
  そして、当然ながら、「解夢」上手もいる。


要するに、見た夢を他人に聞かせた人だらけということでもある。それぞれ理由は違いそうだが、是非にも、との夢があると同時に、絶対に話さない隠している夢もある筈だ。

いかに「夢」重視しているかは、独立した巻を設定したことでもわかる。
 📖[集卷八]夢(夢/夢占)[307〜321譚]

震旦の状況で、もう一つ見逃してならない点がある。
道教をはじめ、土着観念からすると、一般的には、夢に神が登場するとか、代理のお告げがあると考えられていなかったという点。妖怪・鬼神・邪霊の類が心のなかに入り込んで悪さをした結果と見られていた筈。
いみじくも、文字の発祥がそれを示している。{白川静:「常用字解」に基づく解釈であり、妥当性のほどは不明。}
  夢=萝=萈[巫蠱呪術者の形象文字]+夕
   …夕べになると、魔が心のなかに現れる。

ただ例外は少なくとも2つある。
一つは、出生の超人的現象譚。妖怪・鬼神・邪霊の類ではなく、部族トーテムに関係する霊的な存在から来る特別な感応。従って、夢に係らないこともある。
もう一つは仏教である。
夢は天からの聖なるお告げなのだ。
  [巻一#_1]釈迦如来人界宿給語📖仏伝 📖釈尊誕生本生譚
  [巻六#_2]震旦後漢明帝時仏法渡語📖白馬寺
  [巻十一#_1]聖徳太子於此朝始弘仏法語📖本邦三仏聖 📖弥勒菩薩 📖尼紫雲御来迎
もちろん、上記は仏教にとっては特別な事績だが、それ以外でも夢告は少なくない。その場合、夢に登場するのは神仏に限らない。
ここは結構重要な概念であって、深入りするべきではないが、要するに個人個人に異界と交流できる能力があることを意味している。

従って、「今昔物語集」では、そのような夢での交流譚は数多く収録されている。上記の「酉陽雑俎」の書きっぷりとはかなり違っているのである。

この違いは、震旦と本朝のもともとの風土の違いがありそう。夢とくれば、「古事記」の有名なシーンが最初にあがってくる社会なのだから。・・・。
  高倉下答曰
   「己夢云、
    天照大~ 高木~二柱~之命以、召建御雷~・・・」
  皇愁歎而坐~牀之夜 大物主大~顯於御夢曰
   「是者我之御心故 以意富多多泥古・・・」


ただ、注意が必要なのは、瞑想に繋がる夢とは違うという点。
段成式も、時に寺に籠ったりした訳で、その間のお勤め中に見た夢は別だろう。自分の修行の進展度を知るには、師の見立てと、瞑想を通じて得られる夢告しかなかった筈だからだ。
「今昔物語集」はその辺りの差違は曖昧である。
それと、蘇生者談は夢語りとは別にされている点も、現代人の概念とは違うので、注意が必要だ。

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