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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.8] ■■■
[252] 持経者
持経者とは、常に信仰対象の経典を受持し読誦を行う仏道修行者。
他の経典には無関心ということでもあり、信仰の原初スタイルを僧の行儀に持ち込んだものであり、勉学否定となりかねないから、正式な受戒をしていない沙弥や、破戒僧が多かったであろう。
見かけ上は、学僧より真摯な信仰に映るが、その本心は色々というのが、「今昔物語集」編纂者の考え方では。

すでに、"法花経持経聖人"として取り上げているが、ここらの譚は意図的に玉石混交的にしている可能性もあるので、もう少し見ておきたい。

持経は大人気だが、どうしてそれが、取り立てて素晴らしい善行になるか今一歩はっきりしていないようにも思える。[→]
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#35]神明睿実持経者

とは言え、貸した経典だけが火事でも焼けなかったとの霊験は、持経の果実と見ることもできる訳だ。[→源信物語[6:インプリケーション]]
  [巻十二#30]尼願西所持法花経不焼給語

ところが、どうやら命を繋ぐことだけはできるような生活を送る場合も。隠遁生活を死ぬまで続ける聖人なら、それが普通という気もするが。[→水の沫]
  [巻十二#40]金峰山岳良算持経者

・・・それぞれの持経者の特徴が目立つため、持経聖人一般の基本プロフィールをまとめることは難しそう。
この巻には持経者譚がもう一つある。40年以上に渡って毎日30部読誦したというから凄い。
  [巻十二#39]愛宕護山好延持経者
 愛宕護の山に好延持経者という聖人がいた。
 長年この山に住んでおり、
 師に付き法華経を信奉。
 毎日三十部読誦し、四十余以上過ごした。
 ある時、金峰山に参詣した。
 帰り道で、奈良坂で盗人に遭遇。
 盗人は近寄って来るや、
 持経者の衣の襟を掴んで引き倒した。
 持経者は「法華経、我を助け給え。」と
 大声で三度叫んだ。
 すると、盗人は持経者を放り出し
 皆逃げ去ってしまったのである。
 「これは法華経の霊験。
  金峰の蔵王がお守り下さったのだ。」
 ということで、
 愛宕護山に帰えると、
 法華経読誦にさらに熱が入り、
 僧房に籠り切りに。
〇徳大寺の阿闍梨が夢をみた。・・・
  愛宕護山に行くと、大きな池が。
  池の東方に、西に向かい座ている僧がいた。
  手に香炉を持ち、法華経読誦。
  西方から紫雲が棚引きやって来た。
  雲の上には大きな金色の蓮華。
  池の中で留まると、
  僧は法華経を口誦しながら、
  手に香炉を持ち、
  池の水面上を歩いて蓮華に乗り西を指し去って行った。
  阿闍梨はどなたが極楽に参らるのですかと尋ねたところ、
  私は愛宕護の峰に住む好延と申す者との答。
 そこで目が覚めたのである。
 阿闍梨は驚き、下僧に
 愛宕護の峰の好延という聖人の存在を確かめさせた。
 下僧はすぐに戻って来て、
 好延持経者はおられましたが、
 この暁にお亡くなりになり、
 弟子達が僧房で泣き悲しんでいたと報告。


本格的に持経者を並べた巻の方はこちら。
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_6]摂津国多々院持経者 [→閻魔王]
  [巻十三#_9]理満持経者顕経験語 [→犬譚]
  [巻十三#11]一叡持経者聞屍骸読誦音語 [→熊野の地]
  [巻十三#17]雲浄持経者誦法花免蛇難語 [→熊野の地]
  [巻十三#39]出雲国花厳法花二人持経者 [→ 「法華経」v.s.「華厳経」]

こちらの巻で目立つのは以下の譚。
大乗としては、他利のために生きる訳だが、そのために罪を犯すという、わかったようなわからないような論理がそこにあるから。
他利のため"ポアさせてあげる。"というトンデモカルトの論理と同根だが、当人も社会も、そうは思っていないところがポイント。そんな人達には何を言っても無駄であるし、下手に指摘でもすれば抹消されかねない訳で。
「今昔物語集」編纂者は、霊験集や列伝集を見尽くして、それに気付いたのだと思う。
  [巻十三#10]春朝持経者顕経験語
 春朝は法華経の信者。
 ある時獄舎を見て、
 「犯罪者として苦しい刑罰を受けているが
  なんとかして、彼等囚人達を救いたいもの。
  成仏できるよう、善根の種を植え付けてあげたい。」
 と思った。
 そこで、故意に、罪を犯し、獄舎に入って、法華経読誦。
 そのお蔭で、菩薩に罪を許される。
 しかし、再度、入獄。
 それが7回に及んだ。


そんなセンスで編纂されていたと考えると、次の持経者にはシンパシーを感じていたのではなかろうか。
明らかに、ただただ経典読誦の回数を増やしたところで、畜生道に堕ちてしまうかも知れないというより、極楽往生などできる訳無しと気付いたらしいから。
読誦そのものに意味があるのではなく、何故に、どういう心根で読誦するかが重要という、知の世界の考え方に戻ることができたということ。この譚は、おそらく、修行者に対する"ガツンと一撃"を意図して収載したもの。
  [巻十三#19]平願持経者誦法花経免死語
 平願持経者は、書写山の性空聖人の弟子。
 聖人の死後、書写山に籠り、法華経読誦一途。
 ところが、大風が吹いてきて、房が倒れてしまった。
 中にいたので打ちつけられて、圧死寸前に。
 そこで一心に法華経を誦し、助けて欲しいと祈った。
 すると、強力の人が現れ、房から引き出してくれ
 こう告げたのである。
 「汝は、宿世の報で、このような目にあった。
  しかし、法華の力で、生き延びることができた。
  恨みの心をおこさず、法華経読誦を続けよ。
  この世で宿業を尽くし、来世の極楽往生を願うべし。」
 そして、掻き消すように見えなくなった。
 気高い方だったが、誰なのかはわからないままだった。
 その後、身体で痛むところもなく
 ただただ法華経読誦してことで
 護法の加護があったと思うと、貴び喜ぶ一方。
 老人になり、
 「この人生はいたずらに過ぎて行く。
  近いうちに他界に行くことになろう。
  今、善行を修めないと、悪趣に堕ちるのは間違いない。」
 と思うようになり、
 嘆き悲しみ、施しを受けた衣鉢を投げ棄て、
 仏事を営むことに専念。
 法華経書写、菩薩像図絵を描き、
 広い河原に仮屋を建て
 の住み家を立て"無遮法会"を行ったのである。
 供養の後、朝方夕方には後悔講義で説法。
 さらに、阿弥陀念仏及び法華懺法を修行した。
 そして、朝暮に念仏を唱え懺法。
 このような善根を施して、誓願を発したのである。
 「我、今生、年来、法華経を持し読経を積重ねて来た。
  もしも、この力で、極楽転生ができるのでしたら、
  今日の善根で、その瑞相を見せて下さい。」
 涙を流し、誓い、礼拝したのである。
 翌日、法会が行われた川原の池には
 白蓮花が隙間なく生えていたのである。
 それを見た人は涙を流し喜び、
 その話を聞いた人も集まって来て
 喜び礼拝し
 「これこそ聖人が往生に生まれる瑞相。」
 と言い合った。
 平願は、それを聞き、見に行き、大いに喜び、又、大いに悲しみ、
 泣き泣き礼拝し返って行った。
 その後、さらに老いて、遂に臨終に近づき
 身体には痛みもなく、法華経読誦に余念なく、
 思いを専念し、西に向かって入滅。
 瑞相が示すように必ず極楽に生まれたろうと皆語った。


次は、平願持経者譚。
この譚も重要なのだが、持経者の話は、漫然と読みがちなので、上記もこの譚も通りすぎていくだけになりがち。
中身はとうということもない。法華経を恐ろしい早口読誦することで、一生で数十万部可能というにすぎない。
常識人からすれば、それに何の意味があるかというところだが、数をこなせば、それだけ極楽往生の可能性が高まるとの根強い信仰があったことを示している。しかし、数をこなしたからといってが往生が約束される訳でもなかろう。「今昔物語集」編纂者はそのあたりは批判的に見ていそうで、この持経者は本気で気が散ることなく一心不乱だったので、実現できたということだろう。しかし、そこまでしても、、極楽転生できる証拠を生前に見せてもらわねばえらく不安になる訳だ。
蓮長持経者と平願持経者はどちらも、白蓮華という瑞相で極楽往生を示しており、ちょっと見には持経者列伝並列的に映るが、それは意図的なもの。インテリが読めば、両者の立ち位置の違いが気になるような仕掛けがしてある。目にもとまらぬ早口読誦 v.s. 説法と集団読誦である。
  [巻十三#28]蓮長持経者誦法花得加護語
 僧 蓮長は、昔、桜井の長延聖人の同行者だった。
 若い時に法華経を受習し、以来、昼夜欠かさず読誦。
 金峰山・熊野・長谷寺の諸々の霊験所参詣。
 宝前参拝で必ず法華経1,000部読誦。
 極めて早口なので、一月内で必ず千部1,000部読誦。
 若い時から老いるまでにの数はとんでもなく多く、数えられないほど。
 傍らの人が、一月1,000部を疑ったところ、夢に
 甲冑装着の天衣姿の、極めて気高く恐ろし気な4人が出現し、
 各々、鉾.釼等を持ち、蓮長持経者の前後左右に仕えており、
 束の間も離れない状況。
 夢が覚め、疑ったことを、悔い悲しみ、貴ぶようになった。
 蓮長持経者は臨終を迎え、手に白蓮華を持っていたので
 怪んだ人が尋ねた。
 「蓮華の咲く時期ではないのに、
  どこでその蓮華をお取りになったのか?」
 持経者がそれに対し
 「妙法蓮華と謂う。」
 と答えたところ、たちまちのうちに消滅。
 皆、奇異なこととと言った。


そうそう、すでに取り上げた"知前生"の法華経霊験譚にも持経者的なものが含まれている。[→前生蟋蟀の僧]
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#18]僧明蓮持法花知前生 
  [巻十四#23]近江国僧頼真誦法花知前生

後者では、頼真は60,000回読誦である。
前者は霊験所盥回し的な話になっており、なかなかに面白い。

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