→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.12] ■■■ [346] 悪報[3:母不孝] 主題は、母への孝行を否定するような悪行をなすと、それに相当する報いを受けることになる、というもの。 【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報) 《_1〜14天狗》 《15〜19冥界》 《20〜40悪報:転生現報》 ●[巻二十#20] 延興寺僧恵勝依悪業受牛身語🐄 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上20僧用涌湯之分薪而与他作牛役之示奇表 ●[巻二十#21] 武蔵国大伴赤麿依悪業受牛身語🐄 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中9用寺物作牛役 ●[巻二十#22] 紀伊国名草郡人造悪業受牛身語🐄 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中32貸用寺息利酒不償死作牛役之償債 ●[巻二十#23] 比叡山横川僧受小蛇身語🐍📖源信物語 [4:気になる小瓶] ●[巻二十#24] 奈良馬庭山寺僧依邪見受蛇身語🐍📖馬庭山寺 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中38因貪成大蛇 ●[巻二十#25] 古京人打乞食感現報語📖四国辺地 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上15悪人逼乞食僧而現得悪報 ●[巻二十#26] 白髪部猪麿打破乞食鉢感現報語📖四国辺地 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上29邪見打破乞食沙弥鉢以現得悪死報 ●[巻二十#27] 長屋親王罸沙弥感現報語📖疫病神の伴善男 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中1恃高徳刑沙弥現悪死 ●[巻二十#28] 大和国人捕菟感現報語🐇 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上16無慈心剥生兔皮而得現悪報 ●[巻二十#29] 河内国人殺馬得現報語🐎 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上21無慈心而馬負重駄以現得悪報 ●[巻二十#30] 和泉国人焼食鳥卵得現報語🐔📖鶏卵食の仏罰 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中10鳥卵煮以得悪死 ●[巻二十#31] 大和国人為母依不孝 得現報語 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上23凶人不孝養嫡房母以現得悪死報 ●[巻二十#32] 古京女為母依不孝感現報語 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上24凶女不孝養所生母以現得悪死報 ●[巻二十#33] 吉志火麿擬殺母得現報語 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中3悪逆子愛妻将殺母謀現報被悪死縁 ●[巻二十#34] 出雲寺別当浄覚父成鯰肉得現報忽死語🙏🐟📖出雲路の鯰汁寺 ●[巻二十#35] 比叡山僧心懐依嫉妬感現報語🙏 ●[巻二十#36] 河内守依慳貪感現報語 ●[巻二十#37] 耽財娘為鬼被噉悔語👹📖初夜の人喰い鬼 ⇒「日本国現報善悪霊異記」中33女人悪鬼見點攸食縁 ●[巻二十#38] 石川沙弥造悪業得現報語🙏 ⇒「日本国現報善悪霊異記」上27邪見假名沙弥斫塔木得悪報 ●[巻二十#39] 清滝河奥聖人成慢悔語🙏 ●[巻二十#40] 義紹院不知化人被返施悔語📖泉川原の消えた乞食 《41〜46他》 不孝者仏罰を受けるという単純な話を3つ並べた訳ではなさそうだ。 最初の譚では、世間の目では、"借りた物と返せ"と母親に迫るとは、実にけしからん不孝者ということになるが、返せない借用証文を書いて子に渡す行為がなされた訳であり、その行為はどういう意味があるのか考えさせられる話である。 ㉛【現報】 大和添上の公に伺候する学生 瞻保は、日夜、文を学んでいた。 親不孝で、養うことはしていなかった。 その母に貸した稲の返済を厳しく迫ったのである。 母は泣いて、極めて情無しと、天道に裁可を訴えた。 すると、たちまち瞻保は乱心し狂ったようになり、 大切な証文類を取り出し、庭で焼き捨て、 髪を振り乱し、山中を走り狂った。 3日後、火がでて、内外の家倉が全焼。 妻子ともども、食物を欠き、迷うように。 そして、瞻保は餓死した。 その状況が知られ、 "不孝に依て現報を得る事、遠からず。 此れを見聞く人、瞻保を{忄惡}み謗けり。"だそうな。 この文字、「今昔物語集」編纂者の創作国字(憎+惡)と違うか。 (#39でも使われている。「康熙字典」には無いようだ。) ㉜【現報】 古京の時、 孝養の心が無く、母を養はない女がいた。 母は寡婦で貧しく、ご飯も炊けない時があり、 娘の家に行って、飯を乞い、食わせてもらおうと考え、 娘に、飯が有るなら、食わせて欲しいと言うと 娘は、 「只今、夫と我の飯の分があるが、母に食はせる飯は無い。」と言い、 与えようとはしなかった。 母は、幼き子を伴っていたが、その子を抱いて家に返った。 道の辺を見ると、包んだ飯があったので 家に持ち込んで食したので、飢えの心は消え、喜んで寝た。 その夜の夜半過ぎ頃、戸を叩いて呼ぶ人がいた。 「汝が娘、只今、胸に釘が刺さったと声高く叫んでおるぞ。 さらに、死にかかっているから、助けてくれ、とも叫んでおるぞ。」と。 母、これを聞いたものの、夜半でもあり、すぐに行かなかったので、 その娘は、母の顔も見れずに、死んでしまった。 食べていけなくなった時に、どのように対処すべきかは、姥捨山問題である。ケースバイケースで考えるしかなかろう。[→歌物語(姥捨山)] ㉝【現報】 武蔵多摩鴨の里の吉志火丸の母は日下部真刀自。 聖武天皇代のこと。 吉志火丸は防人として筑紫に派遣されて3年。 母を伴って行ったので、養っていた。 妻は武蔵の家に残ったので、恋しくてたまらない。 母が死ぬと喪に服すために帰還できるので、殺すことを思い立つ。 東方山中に七日法華経の講があると母を誘い、 母の頸を佩刀で切ろうとすると 地が裂け、深い穴でき、そこに落ちて行く。 母は子の髪を取って助けようとするが、墜ちてしまう。 その遺髪を筥に納め、仏前で僧に諷誦してもらい追善供養。 一部割愛しているが、この譚だけ読めば、母の子を思う気持ちの深さが読者の心に沁みるような内容になっている。従って、本当の焦点はそこにありそうに思えてしまうが、それほどまでもの親の心を踏みにじった子は、穴の底に墜ちて行くしかない、という結果に焦点があてられていると見るべきだろう。 ・・・子はそのような親の愛情に本当に気付かなかったのか。それとも、そんなものは邪魔以外のなにものでもなく、無価値と考えたのか。はたしてどちらでしょう、との問題提起がなされているとも言えそう。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |