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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.3] ■■■
[92] 多遅摩毛理往復先の常世国
常世について見てきたが、神代の時代のこととしてだ。

現代の通念では、死後永続的に魂が存在することになる世界を意味するが、神代の時代の観念は相当に違っていそう。
少なくとも、南島信仰の海原の先の天と繋がる祖霊の地という見方は通用しそうにない。御毛沼命の行く先は海原とは別な場所であることが明瞭だし、黄泉国や根之堅洲國とも無関係だから、死後往く地とも言いかねる。

さらに、非神代の中巻では衝撃的な話が収録されている。常世国へ向け出港した臣下がそこから帰還してくるからだ。黄泉国から戻って穢れを漱ぐという神代の話とは訳が違う。
そこらを眺める必要があるが、情報はせいぜいが系譜止まり。だが、それが語ってくれるコトは少なくなさそう。

--- "常世"譚 --- 📖高千穂宮(1:常世の国)
❶㊤常世の長鳴鳥 📖「常世長鳴鳥」こそ南方信仰そのもの
 令思金神 而 集常世長鳴鳥。令 鳴 而・・・
❷㊤少名毘古那神 📖少名毘古那神の推定出自
 其少名毘古那神者。度于常世國也。
❸㊤常世思金神 📖秩父神社寄り道(思金神)
 八尺勾璁鏡。及草那藝劔。亦常世思金神。
   手力男神。天石門別神而詔者。
  ・・・思金~者取持前事爲政。
❹㊤御毛沼命
 故御毛沼命者。跳波穗。渡坐于常世國
 稻氷命者爲妣國 而 入坐海原也。
多遲麻毛理
 天皇。以 三宅連等之祖 名多遲麻毛理 遣常世國
 令求登岐士玖能迦玖能木實。
 獻置天皇之御陵戸 而 フ其木實 叫哭以白。
 
常世國之登岐士玖能迦玖能木實 持參上侍。遂叫哭死也。
息長帶日賣命の酒楽之歌> 📖石立たす少御神と酒宴
 是還上坐時 其御祖 息長帶日賣命 釀待酒以獻。
 爾其御祖御歌曰:
  この神酒は吾神酒ならず
  奇酒の司(加美)
   
常世(登許余)に坐す 石(伊波)立たす 少名御神(須久那美迦微)の
   神(加牟)祝き 祝き狂ほし
   豊祝き祝き廻し
   奉り来し神酒そ
   あさず飲せ ささ
 如此歌 而 獻大御酒。
 爾 建内宿禰命 爲御子答歌曰:
  ・・・
  この神酒の あやに歌愉し ささ
 此者 "酒樂之歌"也。

❼㊦大長谷若建命/雄略天皇御製
 天皇幸行吉野宮之時・・・
 因其孃子之好儛作御歌其歌曰:
  胡坐居の 神の御手もち 弾く琴に
  舞する嬢子
常世(登許余)にもかも
    …これは"永遠に"という意味で常世国とは無関係だろう。

多遲麻毛理の話に入る前に、すでに取り上げた「酒楽之歌」から入っていこう。

太子が訪れた気比神宮だが、702年文武天皇勅命で造営されたという。その社殿は、日本海航路の枢要地 敦賀湾に向かっている。
「古事記」には、別称神名譚(御食津神)と地名譚がイルカ漁的風情で収載されているが、前者は名と菜の謎掛けであり、後者は強引な当て字に映る。そのため、そこまでする意味がよくわからないところがある。

この神社は、延喜式神名帳によれば御祭神は7座。・・・
伊奢沙和氣大~之命【1主祭神】

[_7]大倭根子日子賦斗邇命/孝霊天皇
└┬△意富夜麻登玖邇阿礼比売命/蠅伊呂泥
┼┼日岡陵古墳/褶墓85.5m
┼┼日岡坐天伊佐佐比古神社730年@播磨加古川大野
├┬
┼┼○大吉備津日子命/比古伊佐勢理毘古命(祖:吉備上道臣)
└┬△蠅伊呂杼(阿礼比売命の妹)
┼┼(蠅伊呂泥、蠅伊呂杼姉妹は3代の皇子 師木津彦の孫)
├┬
┼┼○若日子建吉備津日子命(祖:吉備下道臣, 笠臣)
┼┼
[12]大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇

└┬△針間伊那毘能大郎女(吉備臣の祖 若建吉備津日子の娘)
├─〇櫛角別王
├─〇大碓命
├─〇[太子]小碓命/倭男具那命
┌│─┘
│├─〇倭根子命
│└─〇神櫛王

(倭建命)【4@東殿宮】
└┬△布多遅能伊理毘売命(伊玖米天皇[11]の娘)
[14]帯中津日子命/仲哀天皇【2】

┌┐息長宿禰王(開化天皇曾孫)の娘
└┬△息長帯比売命/神功皇后【3】
┼┼玉妃命(息長帯比売命妹)【6@平殿宮】
┼┼[15]大鞆和気命/品陀和気命/応神天皇【5@総社宮】
┼┼┼┼┼┼┼┼建内宿禰【7@西殿宮】
┼┼└┬△息長真若中比売(咋俣長日子王の娘)
┼┼┼○若沼毛二俣王
┼┼┼└┬△百師木伊呂弁(息長真若中比売の妹)
┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼○大郎子/意富富杼王
┼┼┼┼┼…祖:三国君 波多君 息長君 坂田君 酒人君 山道君 筑紫之米多君 布勢君
┼┼┼┼┼     近江国坂田郡出自↑
┼┼┼┼┼(○△)忍坂之大中津比売命 田井之中比売 田宮之中比売 藤原之琴節郎女 取売王 沙禰王

以下、矛盾しているところもあり、小生がまるっきり間違ったかもしれないが、息長帯比売命/神功皇后と多遅摩毛理の系譜は繋がっていそう。・・・
△阿孝([新羅2]南解次次雄の長女)
└┬◎[新羅4]脫解尼師今…"賢"である渡来王(多婆那國@倭國東北)
推定↑[「三國史記」卷一新羅本紀[4]脫解尼師今(在位:57-80年:"昔"姓)]
┌┘
天之日矛 但馬国に渡来した新羅国王子 📖穴門之豊浦宮 & 筑紫訶志比宮
└┬△前津見(多遅摩俣尾の娘)@但馬国
多遅摩母呂須玖
└┬△n.a.
┼┼多遅摩斐泥
┼┼└┬△n.a.
┼┼┼多遅摩比那良岐
┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼├┬
┼┼┼┼多遅摩毛理
┼┼┼┼┼多遅摩比多訶
┼┼┼┼┼└┬△[姪]由良度美
┼┼┼┼┼┼
[9]若倭根子日子大毘毘命/開化天皇📖春日之伊邪河宮
└┬△意祁都比売命(丸邇臣先祖 日子国意祁都命の妹)
┼┼┼┼
〇日子坐王
└┬△袁祁都比売命(近江 御上祝 が斎 する天之御影神の息女[妹])
┼┼┼┼┼
┼┼〇山代 大筒木真若王
┼┼└┬△丹波能阿治佐波毘売(同腹弟 伊理泥王の息女)
┼┼┼〇迦邇米雷王
┼┼┼┼┼
┼┼┼└┬△高材比売(丹波 遠津臣の息女)
┼┼┼┼息長宿禰王(開化天皇曾孫)
┼┼┼┼
┼┼┼┼└┬△葛城高額比賣命(天之日矛の六世孫)
┼┼┌──┘
[14]帯中津日子天皇/仲哀天皇
└┬△息長帯比売命/神功皇后
[15]大鞆和気命/品陀和気命/応神天皇
└┬△息長水依比売(近江 御上祝 が斎 する天之御影神の息女[姉])
┼┼丹波比古多多須美知能宇斯王
┼┼└┬△丹波河上 摩須郎女
┼┼┌┘
[11]伊久米伊理毘古伊佐知命/垂仁天皇
└┬△比婆須比売命📖大后扱いに見る后妃の地位

複雑で小生が対応できるレベルではないが、若狭・敦賀の日本海側勢力は新羅との連携があり、吉備〜播磨〜丹波〜越前〜近江の一帯に紐帯ができていたようにも見える。多遲摩毛理は、その象徴とも言えそう。 📖墓制と「古事記」(18:多遲摩毛理)
多遅摩毛理は、国外放逐後に新羅王になった系譜に属しているし、新羅王皇子が渡来し播磨から但馬に入ったとなっている。そもそも、その部分の記載が詳しい割に唐突な印章を与えるからだ。
要するに、息長帯比売命/神功皇后の母方に当たる流れである。
[「三國史記」卷一新羅本紀[4]脫解尼師今(在位:57-80年:"昔"姓)]
・・・脫解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。
 初,其國王娶女國王女爲妻,有娠七年,乃生大卵。
 王曰:「人而生卵,不祥也,宜棄之。」
 其女不忍,以帛裏卵并寶物置於櫝中,浮於海,任其所往。・・・
【地名】
 丹波/旦波[読み:太邇波]/但波/丹婆/谿羽
 ├(西部)@7世紀→多遅麻/但馬
 └(北部)@713年→丹後(網野銚子山古墳198m 神明山古墳190m 蛭子山古墳140m)


気比神宮ご祭神を見ると、どうも、吉備や播磨の勢力を後背にした倭建命の日本海側平定時の流れを汲んでいるように見える。息長はそれらを結びつける勢力の本貫地の名称と言えそう。

と言うことは、多遅摩毛理がはるばる探し出して来た登岐士玖能迦玖能木實は、新羅船経由か。朝鮮半島北部に魅力的柑橘系が存在するとも思えないから、南島からの採取を依頼したとしか思えない。ただ、新羅に常世なる観念があるとも思えないから簡単に説得できるとも思えないが。
その肝心の実だが、天皇命での探索とされているものの、実際のところは皇后への献上が主目的と見た方が当たっていそう。

ともあれ、この話の影響力は大きかったようで、橘の意味が確定してしまったようである。
【「万葉集」】 📖高千穂宮(1:常世の国)
[巻十八#4063/4]後追和橘歌二首
 常世物この橘のいや照りにわご大君は今も見るごと
 大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして
[巻十八#4111]橘歌一首 并短歌 閏五月廿三日大伴宿祢家持作之
 かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守 常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの木の実を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ 霍公鳥 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの木の実と 名付けけらしも


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