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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.4] ■■■
[370] 多量読誦
持経者についてはすでに取り上げた。
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#30]尼願西所持法花経不焼給語📖持経者
  [巻十二#35] 神明睿実持経者📖法花経持経聖人📖持経者
  [巻十二#39] 愛宕護山好延持経者📖持経者
  [巻十二#40] 金峰山岳良算持経者📖水の沫📖持経者
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_6] 摂津国多々院持経者📖閻魔王📖持経者
  [巻十三#10] 春朝持経者顕経験語📖持経者
  [巻十三#11] 一叡持経者聞屍骸読誦音語📖熊野の地📖持経者
  [巻十三#17] 雲浄持経者誦法花免蛇難語📖熊野の地📖持経者
  [巻十三#19] 平願持経者誦法花経免死語📖持経者
  [巻十三#39] 出雲国花厳法花二人持経者📖「法華経」v.s.「華厳経」📖持経者
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#18] 僧明蓮持法花知前生語📖持経者

そのなかには、多量読誦の事例も含まれている。
【毎月1,000部】
  [巻十三#28]蓮長持経者誦法花得加護語📖持経者
【2万部以上】
  [巻十三#_9] 理満持経者顕経験語📖犬譚📖持経者

譚題に"持経者"と記載されていなくとも、膨大な数の読誦例は他でも語られているから、数が多いほど善行が多いと見なされるとの考え方が主流だったと言えよう。
【6万部】
  [巻十四#22] 比叡山西塔僧春命読誦法花知前生語📖前生蚯蚓の僧📖悪人往生
【6万部】
  [巻十四#23] 近江国僧頼真誦法花知前生語📖前生蚯蚓の僧📖持経者
現代感覚からすると、6万部とは、とんでもない数字に映るが、本気で行僧として生きれば、そんなものかも知れないという気にならないでもないが、さらに、呆然とするような数字もでてくる。持経者のカテゴリーから逸脱している気もしてくる。

ザッと見ておこう。

【30万部以上】
  [巻十三#24]一宿聖人行空誦法花語
 行空は、世間では一宿聖人と呼ばれていた。
 若い時から法華経修習。昼に6部、夜に6部読誦が日課。
 出家後は、住所不定で、同じ場所で二泊することはなかった。
 それが、名前の由来である。
 この聖人は、三衣一鉢え持たず、
 当然ながら、それ以外の物を貯えることなどあり得ない。
 身に付けているモノと言えば、法華経一部だけ。
 五畿七道すべてを廻り
  
(山城・大和・摂津・河内・和泉+東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海)
 本朝60ヶ国のうち、行かなかった国は一つもない。
 修行中、道に迷うと、見知らぬ童子が現れて、教えてくれた。
 水が無い場所では、見知らぬ女人がか現れて、水を与えてくれる。
 食物で飢えた時には、いつの間にか、持ってくる人が現れる。
 法華経の力で、
 夢の中に尊く気高い僧が現れるので、常に語り合っていた。
 そうでなければ、高貴な俗人て寄り添ってくれた。
 実に奇異なことが多かったのである。
 臨終を迎えたのは、鎮西の地で、90才に達していた。
 それまでで、法華経特需30余万部を越えた。
 息を引き取る時
 「普賢菩薩と文殊菩薩が現れれなさった。」と言い、
 尊い姿で示寂。

30万部という数字にビックリするので、特別な人と思ってしまいがちだが、毎日12部で90才まで生きたなら、そうなるというだけのこと。
よく考えると、住所不定で世界の果てまで、日々、尋ね歩いている現代人も居る訳で、その性情とたいしてかわらない。その存在を容認できる社会か否かという話である。
現代インドでは、そのような宗教者の数は半端なものではないと見られている。

【毎日30部以上】
  [巻十三#25]周防国基灯聖人誦法花経語
 周防大島の基灯聖人は、
 若くして法華経修習。全てをとして日夜読誦。毎日30部以上。
 140才を越えても、腰も曲がらず、軽快な書さで起床。
 容姿は極めて若々しく、40才程度に見えた。
 視力もあり、遠くの物を見るのに不自由せず。
 聴力もあり、遠くの音をはっきりと聞き取ることができた。
 そのため、
 世間の人々は、六根清浄で罪や穢れを消し去った聖人と見なした。
 哀れみの心は深く、智恵もあり、
 草木を敬い、生き物に対しては仏に接するかのように礼拝。
 老いても、病ひとつなく、
 ひたする生死の無常を悲しんで、法華経読誦で、浄土転生を祈願。

何十万部という数に換算することはよしたのだろう。
はたして140才という長寿を実現できるものかは、わからぬが、現代でも、長寿で若々しい宗教者は仏教に限らず存在している。
現代人からすると、それで?となる訳だが。「今昔物語集」編纂者はどう考えたのか気になるところだ。

気にいっている多量読誦譚は以下ではないかと推測するが、どうだろうか。
【2万部】
  [巻十三#31]備前国人出家誦法花経語
 備前に長年住んで居る沙弥は妻帯者で子ももうけていた。
 ところが、当然、妻子を捨て、比叡山に登って受戒を。
 そして、三井寺に行き、そこの僧となった。
 日夜法華経読誦で、そのうち空で誦するように。
 10年を経て、読誦量が20,000を越した。
 寺内の上中下の人々は、それを見て、皆、尊び称えた。
 にもかかわらず、
 この僧は、あろうことにか、故郷の家に戻って住むように。
 以前のような世渡りす生活。
 そうこうするうち、法華経をすべて忘れてしまった。
 妻子もあり、破戒生活に陥ったのである。
 やがて、老境に入り罹病。
 何日も苦しんだ末、臨終を迎えようとしていた。
 そこで、やって来た知り合い達は語りかけた。
 「もう、この世の命は望むべくもないので。
  もっぱら後世の救いをご祈願されるべきでしょう。
  長年に渡り、尊び読誦していた法華経を
  今、読誦し、阿弥陀仏の御名を唱え、
  極楽往生をご祈願致しましょう。」と。
 しかし、この勧めを全く信じず
 頭を横に振り、念仏を唱えず、法華経も読誦しなかった。
 ところが、
 数日経つと、少し快方に向かったのである。
 すると、僧は急に起き上がり、
 沐浴潔斎の上、清浄な衣を着て、
 合掌し、三宝に申し上げた。
 「我は、もとは法華経を信奉しており、
  数多く読誦致しました。
  魔に依り、心を惑わされ、
  長年、法華経を棄て、邪見に陥っておりました。
  今、突然、普賢菩薩の御加護を受けることができ
  本心に戻ることが出来ました。
  その昔、10年以上に渡って読誦致しました
  法華経20.000部が、まだ私の心中に残っておりますなら
  命が終わる時に、以前のように、空で読誦奉りたく、
  どうか、思い出させて下さい。」と祈誓。
 傍の人にも、「妙法蓮華経序品第一」と唱えるように頼んだ。
 その發声に続け、僧は、「如是我聞・・・」と。
 続きを心の底から、声高らかに一部を空で読誦。
 そして、礼拝し、逝去。


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